| 新潟県 巻機山前衛 刃物ヶ崎山撤退・威守松山 |
| 【期日】2016年04月05日(火)〜07日(木) 【メンバー】CL (Qさん)、TI(合計2名) 【交通】 (往路)04/05 大宮(集合) 特急とき303号(2号車)7:25大宮→8:10越後湯沢下車 8:16→ →8:34六日町8:35タクシー→ 9:00清水集落 (復路)04/07 清水集落8:36→送迎バス→8:43沢口停留所8:55→バス発→9:20六日町着9:24→ →9:41越後湯沢(とき)→11:02大宮(解散) 【コースタイム】 休憩等を含む 《04/05》清水609m9:15→東屋沢→車道終点・檜倉沢→12:10送電線鉄塔930m12:20→ →13:40 旧国道291号線1200m→14:35檜倉山(V,1744m)(幕営)歩程 05:20 《04/06》幕営地5:20→檜倉山5:23→悪天候で刃物ヶ崎山往復断念→5:29幕営地6:45→旧国道291号線→ →8:40 送電線鉄塔9:05→檜倉沢・車道終点→東屋沢→12:12除雪終点→12:22清水停留所→ →送電線鉄塔下→イガシラ登山口・沢を渡って斜面に取り付く13:29→ →15:35 威守松山(V,1214m)15:45→16:45大神宮登山口→16:54清水停留所→ →16:59旅館上田屋(泊) 歩程 11:39 |
| 【コメント】 |
| 刃物ケ崎山は、谷川岳と巻機山との間にある檜倉山から東に延びる尾根の先にある。奥利根の八木沢ダムの水源の1つで、特徴ある名前と東南の大岩壁から一般登山者を寄せ付けないロッククライマーの世界にある秘峰と言われていた。2006年にEIさんの踏破記事を読んで「歩んでみたいな」と思うだけで挑戦する気持ちは全くなかった。 Qさんの本年の残雪期登山計画にその名を見た時、「大丈夫かな」と少し心配になった。綿密な調査をするQさんのことだから安全かつ効果的なルートを選んだのだろうと同行を依頼した。インターネットで検索すると幾つも記録が出てきたし、もちろん「(ほんの数年前だと思っていたがなんともう13年になる)2003年の残雪期に楽々通った檜倉山に幕営するのだから」との気持ちが強かった。 この冬は全国的に降雪が異常に少なかった。その上に暖冬で積雪が1/3〜1/2しかないという。「夏には東京で渇水騒ぎが起きるかもしれない」と会津の川桁山に登った際、宿屋の大女将から早めの同情を頂いたくらいだ。今回のコースも残雪が消えて密薮が出ていると覚悟の上だった。 残念な結果だが、岩や薮と格闘する前に寒波による風雪に檜倉山頂上から追い返されてしまった。好天を期待して再挑戦したいものだ。 |
| 威守松山は清水集落の背後、巻機山の前衛にあたる低山だ。それでも1214.2mある。清水バス停横に立つ大きな看板地図には威守松山ハイキングコースがあるように記されていた。今回は刃物ヶ崎山の添え物としてQさんは選んだらしい。しかしこの山はなかなか急峻で、いわゆる固定ロープを頼りに昇り降りしなければならないかなり厳しい山だ。添え物とは勿体無い。 登りに選んだ北尾根には急傾斜に加えてイヌツゲなどの激薮があった。北尾根から主稜線に出ると西尾根から登ってくる巡視路(送電鉄塔ならびに山林境界の)に会う。下山時には西尾根を下ってこの巡視路ルートを確認してみた。急降下だが激薮はない。登山口の鳥居には大神宮様とあり、歩を進めると清水バス停に出る。 頂上に至るルートも色々あるようだし展望する巻機山は美しい。が、せめて看板地図に大神宮様登山口と書いて欲しかった。数ある道標もその殆どが倒れていた。意外に地元の方から冷遇されている山かもしれない。 |
| 【記録】 |
| 《04/05》 六日町タクシーの平賀さんの運転で清水ゲートに到着した。途中、巻機登山と間違えられて清水集落に入りかけたがどうにか2003年にKTさんと登った時の駐車スペースに荷を降ろすことができた。他に車は無かった。やはり残雪は少なめ、今年の少降雪・暖冬のせいだろう。右手に見える堰堤から落ちる水は澄んで「今が雪解け」という気配を全く示していなかった。国道291号の末端はどうだろうか? |
| 荷を背負い、ゲートを過ぎた。舗装道路をショートカットして直ぐに残雪で埋まった分岐に出会う。ここが威守松山の夏道登山口のはずだ。奥にはなにか役所関係の施設がある。そこに行った踏み跡は全く無い。威守松山の残雪期登山口はどこなのだろう。 |
| 落石などを注意する通行止めの看板を左に見て国道291号を進む。標高点639mから見下ろす川にも春が来ていた。柳は黄色い雄シベを飾り、ハンノキは芽吹いてやはり雄花を垂れ下げている。河原にはまだ雪が残っていた。しかしゲート付近にあった残雪が国道上にはない。舗装や残雪の上にブナの殻が足を踏む間もなく散在していた。昨秋はブナ豊作だった違いない。殻だけで無く小さな三日月の種子さえ幾つも見つけられた。獣が食べ残すほど潤沢だったのだろう。 |
| 二番目の堰堤でも、現在地確認をした。標高を少し稼いだせいか国道を腐った残雪が覆う。その上に先行者の足跡がある。歩きにくい残雪を踏むより、雪解けで出た歩き易い簡易舗装や路肩を選んで進んだ。路肩にはフキノトウが無数に出ていた。残雪に登ると雪の照り返しが強く目がくらむ。前掛けサングラスを装着して凌いだ。ようやく雪から少しだけ首を出した(決まり文句か)清水峠への道標に出会った。 旧国道分岐だ。Qさんのプランではここで旧国道と分かれて素直に真っ直ぐ進むのだ。旧国道を歩いて倒木や沢を越えるのに大変苦労したとのHP記録があったと記憶する。3番目の大堰堤を右手に見ながら標高点773m付近を過ぎた。堰堤から落ちる沢音が轟いていた。 |
| 雪解けで国道に溢れて流れる東屋沢の水は深く、国道を石飛びでは渡れそうになかった。石の隙間に嵌りながら東屋沢の残雪を右岸を登って対岸の赤テープを目印に、沢の岩を踏んで渡って、崩落した残雪を足がかりに左岸の泥崖を木の根を掴んでよじ登った。左岸を下って標高点738mに下りついた。国道の端に大石を2、3置くだけでさらに安全に東屋沢を通過できると思うが無理な注文か。ここは国道の要所である。 |
| 残雪と雪解けで現れた路肩を踏んで国道を進む。晴天、無風で周りの木々が明日にも芽を吹きそうな気配が高まっていた。右手上には清水峠の送電線監視所が見える。前回(もう大昔だが)流失していた謙信尾根に渡る橋は今回も目に止まらなかった。 残雪を踏んで檜倉沢に出た。沢の風景は一変していた。沢を下から上に眺めると防災のためか大きな堰堤が幾つか見えた。最下流の堰堤の取り付きが雪に覆われた広場になっていて車道の終点と思われた。木造のベンチが登って来た車道の角に備わっている。檜倉沢には豊富な雪解け水が流れ下っていた。 |
| この大沢を横切るため河原に降りたが石の間が広く、流れも深い。石を跳んで渡れそうにはなかった。見れば堰堤には固定梯子がついていて上を歩めば濡れずに対岸に渡ることができることが分かった。堰堤を渡って降りた檜倉沢の左岸には道標らしい2本の杭が雪の上に立ち、ここが夏道の登り口だと示していた。思い出せば前回、崖を巻いている細い巻き道を滑落しないように恐る恐る歩いた記憶がある。手近な雪斜面を直登して巻き道に達し、今回も肝を冷やしながら夏道を歩んで尾根の末端に出た。無雪期なら安全な巻道も雪が残っていればリスクが高い。 |
| 巻き道を進んで尾根末端を回りこんだところに送電鉄塔(標高930m)がある。小さなせせらぎが流れる広場の脇に幾つもの切り株や伐採された丸太の山が残っている。日だまりに腰を下ろして行動食を取った。 |
| 西尾根取り付きには踏み跡があり目印のピンクテープも下がっていた。林野庁の境界巡視路らしい。薮が濃いと心配してきたが赤杭・ピンクテープが薮っぽい尾根の要所要所にあった。当初は残雪も無く薄い薮で踏み跡もはっきりしていたが石楠花の薮が現れ、踏み跡が消えてしまった。北を見ると旧国道が尾根を巻いて西尾根に近づいているのが見えた。 。石楠花薮といえば、ISさんと登った日光高薙山を思い出す。こんな面倒な石楠花の密薮でもいつものようにQさんはヒョヒョイと前進していく。だがTIは重いザックや手足を石楠花に引っ張られて苦闘する。薮以外の高木は目に入らなかった。 |
| 旧国道291号線(標高1200m)に登りついて休憩した。見下ろすとミズナラやブナの高木が石楠花などの薮の上に立っていた。いつの間にか太陽を雲が覆い山が暗くなってきた。旧国道には残雪がへばりつきにここより標高がある場所には雪があることを示していた。 |
| 高木帯を抜け小木林帯に入った。一面に残雪があるが雪の上には逆茂木のように枝や細い幹が出ている。もう1mも積雪があったら隠れてしまうのにと思う。目前の斜面上部に雲がかかりだしたので雨具の上着を着込んだ。視界が悪く尾根が広くなり尾根筋もはっきりしなくなったので帰りのためにもQさんが要所で赤テープを付けた。残雪の尾根には小木だけでなく笹が薮となって現れてきた。北西からの尾根越しの風が強くなり寒い。20m先が見えなくなるようなホワイトアウトだ。 |
| 寒風かつホワイトアウトの中、檜倉山の山頂雪原で平坦な幕営適地を探して荷を降ろした。下山後、GPSのトラックログを見ると池塘の西岸にテントを張ったらしい。風雪がつよく体感温度は氷点下10℃以下になり手足が冷たくなった。1 |
| 《04/06》夜半に小用に起きてテントの外に出ると、空には星が瞬き、麓には町の明りが黄色に輝いていた。朝の好天を期待して寝袋に潜り込む。ところが夜明けに近づくにつれ風も強くなり、フライに当る雪の音も次第に大きく、気温も低下してテントの内側に霜が着き出した。朝食を終えて装備を整えテントから出てみると10m先が見えない。西から雲が流れ、風で潅木に霧氷ができつつあった。寒い。指がかじかんで痛くなってきた。 |
| 幕営地を出てホワイトアウトの雪原を檜倉山山頂に向かった。雪原も檜倉山山頂(1744.3m)も寒風が吹き荒れていた。Qさんの判断でテントに引き返して天気が良くなるのを待つことにした。ホワイトアウトで先ほど歩いた足跡が見えず、平坦な雪原では笹薮で隠れたテントがどこにあるのかわからなかった。迷った地点からホンの数m先にあったテントの中で1時間以上待機した。悪天気は続いていた。中越(長岡)の明日の予報は曇後雨で下り坂である。 |
| Qさんの考えは「刃物ヶ崎山往復を諦めて早めに下山し、今日中に威守松山に登ってしまうのが良策」である。TIも賛同して直ちにテントを撤収して下山することにした。 檜倉山頂上雪原から少し下ると風が弱くなり視野が広がってきた。振り返ると雲は頂上部だけを流れているのが分かった。笹薮から小木林帯を抜けて再び広い雪原にでた。標高が下がるにつれ北から流れる雲がどんどん薄くなってくる。Qさんは登りにつけた赤テープを回収しながら下って行った。 高木林帯に入り旧国道291号線を横断して薮尾根に帰ってきた。雪の重みで木々が麓を向いているせいか石楠花の薮も登りほど苦にならない。笹薮尾根のブナに巻いてある巡視目印テープまで下山した。沢音も大きくなり目の前に送電線鉄塔登り口が見えてきた。 |
| 下りついた送電線鉄塔で少し長い休憩を取った。見れば青空が谷川岳側に広がっている。まだ白雲の動きは早い。檜倉沢左岸の崖についた夏道を往路と同じように冷や冷やしながら抜けて、残雪の斜面を下って檜倉沢に降り立った。堰堤の上から谷の奥を見上げると檜倉山から柄沢山に至る稜線が青空の下に白く光っていた。数時間早く雲が去ってくれていたらと思うが時間切れとはこんなものだ。 車道の末端からは残雪の国道を歩む。桑ノ沢で谷奥を望遠鏡で見ている人たちに会った。熊狩り中ということだ。「秋にブナの実が大豊作だったので春になっても熊が木に登らない。見つけるのが難しい」とのことであった。話を聞いている最中にも後続の人たちが猟銃を背負って登って来た。新潟安全狩猟の会の皆さんは皆、立派な尻皮を着けていらっしゃった。謙信尾根の向かいを過ぎると懐かしい大源太山が鋭い峰を青空に向けているのが見えた。次第に陽射しが強くなる。東屋沢は雪解け水を一層溢れさせている。往路と同じ渡渉点に登って右岸に渡った。残雪が腐って来て石の間の間に足が落ち込むので国道まで注意して下らなければならなかった。 |
| 標高が下がるにつれ、まずマンサク、ついでキブシ、カタクリ、アズマイチゲ、ショウジョウバカマの花が咲いて春が次第に里から山に登って来ていると教えてくれた。涸沢の端にある威守松山夏道の分岐に到着して、往路と同じく登山者の踏み跡を探して目を配ったが何も見つからずそのまま清水集落ゲートに向かった。ゲートの外、除雪末端には乗用車や軽トラックが多数駐車していた。桑ノ沢で会った狩猟者の数より多いようなのが不思議だ。 清水バス停で大看板の案内地図を見上げてイモリマツヤマの登山路を再確認した。登山口がバス停と巻機山キャンプ場の間にあるように書いてある。これがQさん調査のイガシラ登山口なのだろう。バス停脇の駐車場では巻機山から下山してきたのか、濡れた装備を整理して車のトランクに積み込んでいる登山者がいた。 |
| 清水バス停から右手に神社を2つ、左手に今夜泊まる予定の上田屋旅館を見てイガシラ登山口を探しながら高圧送電線鉄塔の先まで歩いた。道標、踏み跡が見つからない。鉄塔下まで引き返して細かく調べた。 どうにも見つからないので送電線鉄塔下の岩の横に大ザックをデポして沢を渡り、Qさんを先頭に北尾根の急斜面に取り付いた。 |
| 木の根、細枝を掴んでどうにか尾根に上がる。尾根筋は激しい薮でしかも上に向かって次第に狭くなり左右は崖となっていた。少し進むとさらに、酷い柘植の薮が二ヶ所もあったが崖に降りて巻くわけにも行かず、先を登るQさんが薮を踏む音を頼りに登るしかなかった。 酷い薮尾根を登り、平坦な笹薮を抜けて主稜線に合流する。なんとそこには高木林の中に広い徒歩道があった。徒歩道に座り込んで汗を拭い息を整えた。主稜線の先に標高点858mらしい峰が見える。 |
| 小さな峰を越えると高圧送電線鉄塔と電波反射板があった。主稜線は境界巡視路らしく赤杭とテープが途切れなく続き、それらを追いかけて登ることができる。「柄沢林道」と記した分岐道標が出てきた。下れば、南の(地形図)涸沢の林道から登ってくる夏道になるのだろうか。次は寺屋敷分岐という道標が立つ。ここからは北に下っていた。我々は頂上に向かう。しだいに登山路に傾斜がつき、所々に雪堤が出てきた。残雪から起き始めているマルバマンサクの木々には満開の縮れ花がつき、午後の太陽に輝いていた。さらに傾斜が急になるる。何本もトラロープが固定されている。それらを頼って石や木の根、潅木を掴んで登るはきつかった。 |
| 残雪を踏んで最後の薮を抜けるとQさんがそこが待つ威守松山の山頂(3等三角点、1214.2m)であった。展望がすばらしい。巻機山が北東に聳え、巻機山から谷川岳に至る主稜線、谷から六日町方面に至る山麓が見えた。10分近く展望を楽しんだ後、急な登山路を注意して下った。急いだのは旅館のチェックイン時刻をQさんが配慮したこともある。 |
| 二ヶ所の分岐、高圧線鉄塔、858mの小ピークを過ぎて往路で合流した西尾根・北尾根分岐に到着した。このまま広い登山路を進むことにして落葉が積もった急な徒歩道を固定ロープを補助にしながら下った。徒歩道の左右にはイワウチワが開花していた。標高700m付近に下りると奥社と思われる社がある。参拝する人のためか杉人工林の中に歩き易い電光道がついている。登山路の傍らに「山頂へ」の道標が落ちていた。周りには雪椿が開花していた。 送電線鉄塔に着いた。その先には鳥居がある。傍に「大神宮様方面」との道標があった。杉林の中にも大神宮様の鳥居があり、前後からの道が通っている。鳥居を出ると広い田畑にになり残雪のせいか集落への道がハッキリしない。山裾の用水に沿うか田畑の東端を通るか迷ったが残雪を踏んで東端から集落に直進することにした。通り抜けて車道に降りたらなんと驚くことにそこは清水バス停であった。傍らに立つ大看板の案内図を恨めしく見上げた。なんで大神宮様コースが書いてないのだ。 |
| 往路に確認した上田旅館(幟には上田屋食堂民宿025-782-3403)に直行してまずチェックインした。「大ザックを高圧送電線鉄塔下にデポしているのでこれから回収に行く」とQさんが説明したら、「若奥さんの軽トラで運びますよ」との有り難い申し出があった。甘受してデポを回収した。痛い背中、疲れた足には感謝!感謝! 夕食は山菜づくし、3才のネネちゃんと6歳のシオン君の接待でさらに癒された。孫や曾孫の歳だものね。一般登山のベストは連休後に始まり十月の紅葉で終わるとは宿帳から見た判断だ。機会があれば名物の手打ち蕎麦を頂きたい。 「明日は清水停1番バスに間に合うように出発したい」とQさんが申し出ると、「朝食後、次の集落の沢口バス停留所までご主人が送る」とのさらに暖かい申し出があった。お願いしてゆっくり休むことができた。 |
| 《04/07》 週間天気予報どおり曇り空で、小雨が時折襲来していた。落ち着いて朝食を頂き、沢口バス停発08:55に合わせて小林旅館からご主人運転の車で送っていただいた。歩けば二時間は掛かったであろう。バスの窓から見ると、谷を下るにつれ春がたけなわになっているのが分かる。六日町駅に向かうバスからは本当にゆとりを持って楽しめた。 Qさんと小林旅館の皆様に感謝! |
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