屋久島 高盤岳〜白檀岳〜七五岳〜烏帽子岳〜湯泊林道
 【期日】      2016年11月05日〜11月07日(月曜日)

 【メンバー】    CL(TQさん)、TI (以上2人)

 【コースタイム】

11/05 
宮之浦の民宿5:02→タクシー→6:08淀川登山口(\10000)6:30→7:22淀川小屋(等高線1020m)7:33→9:16花之江河(デポ)9:44→9:58黒味分れ→投石平→投石分れ(1760高)→投石岳コルで撤退11:17→分れ→安房分れ→安房岳小沢上密笹薮で撤退→翁岳分れ→翁岳密笹薮見て撤退→分岐→13:33花之江河13:59→14:02栗生分岐→14:19行き過ぎて→高盤岳取り付き14:29→14:40高盤岳(1711m)14:46→15:06取り付き→15:39データロー岩屋(幕営) [歩程09:09]

11/06
データロー岩屋7:02→7:58取り付き→8:17白檀峰(1565m)→8:47取り付き9:00→9:42ワレノ岩屋→ジンネム高盤岳巻道→11:52ミノ小屋跡・烏帽子岳分岐(1480m)テント設営12:50→12:53七五岳入り口→13:30七五岳(1488m)13:42→14:31七五岳入り口→14:34ミノの小屋跡14:43→15:05烏帽子岳(1614m)15:12→15:46ミノの小屋跡(幕営) (泊)[歩程8:44]

11/07
ミノの小屋跡1480m6:45→七五岳直登コース分岐見つからず→9:12湯泊歩道入口9:35→湯泊林道(12Km) (崩落・落石箇所約30箇所)→13:30湯泊バス13:55(13:52)→15:15宮之浦→15:20民宿 [歩程06:15]

 【コメント】
11/05 
花之江河から高盤岳への道もそこそこ荒れている。しかし一筋の道で迷うことは無い。高盤岳の取り付きから頂上へ延びる尾根筋には赤テープの目印が点々と結ばれていて登りやすい。すぐに高盤岳頂上のトーフ岩につくことができる。

高盤岳からデー太郎岩屋への縦走路は針葉樹林帯中にあり、所々に木の根が高い段差があるうえにどこでも踏み跡に見える。赤テープでルートを確認して進む。デー太郎岩屋は岩場ではなく針葉樹林の中の平坦場である。

11/06
白檀岳取りつき口は分かりにくい。事前にGPSでセットしておくとよい。目の前は薮、頂上へ見通しがない。山頂標はない。

白檀岳取り口からはワレノ岩屋まではやはり赤テープでルートを確認して進むとよい。ワレノ岩屋はテントを張るには不向きである。幕営には岩屋より数分北の横尾根平坦地が最適だ。

ワレノ岩屋を過ぎるとジンネム高盤岳を巻く道に入る。この巻道は一言でいうと悪路である。ミノの小屋跡まで赤テープが確認しながら進まなくてはいけない。

ミノの小屋跡の右側(西)の小沢に標高差10〜50mほど降りれば水汲みができる。

ミノの小屋跡から踏み跡をすこし下れば七五岳入り口で道標板もある。その先は尾根筋の樹林帯の中だが目印テープが点々とある。岩場にはロープがあり、頂上寸前のクラックの丸岩スラブはフリクションが利くので登りも下りは問題ない。

ミノの小屋跡から烏帽子岳へは平坦な尾根を登る。頂上取り付きだけが急登であるが最後の岩場にはロープも張ってある。烏帽子岳頂上は巨岩が積み重なる岩場だが崖側を注意して歩けばジンネム高盤岳に続く尾根末端の最高点着く。

11月7日
ミノの小屋跡から湯泊林道の広場まで湯泊歩道を進むにはやはり目印テープを見つけては歩むのがよい。目印テープをつけていただいた方に感謝感激である。

湯泊林道は上部7kmの間に30箇所以上の崩落箇所があった。経験豊かな登山者にとってこの程度の崩落は通常の岩場、ザレ場と変わりが無い。行政には一律規制をして頂きたくないと思うが、復旧工事の妨害となるような行為は厳重に慎みたい。

湯泊BS標の向かいの「なかきはら」商店、右手先に郵便局である。バスの便は数少ない。間に合うために無理をしないことだ。因みに宮之浦方向には13:52の次には15:32がある
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11/05
11/06
11/07
【記録】
11/05

素泊民宿(フレンド)のフロントで前夜購入した幕の内弁当を食べながら天気予報番組を見た。同宿の男女も即席ラーメンなどで朝食を共にしてTVに目を注ぐ。フロントには自炊設備があった。雨は無さそうだ。

食後、到着した予約タクシーにザックを積み込んで夜明け前の暗い宮之浦を出発した。荒川分れを過ぎ安房林道に入ると補修工事などによる一方通行箇所がところどころにあった。6時過ぎには紀元杉や淀川登山口から帰ってきた複数のバスとすれ違った。 淀川登山口駐車場の自家用車ロットはすでに満杯で林道奥にも何台か車が見えた。

タクシーから下車してみれば、建物や看板がリフレッシュされているもののあらましは変わらず、2011年10月にご一緒した故杉江勲さんとの思い出が募る。行動準備していると数人の男性に囲まれた。屋久島山岳部利用対策協議会と名乗られて「屋久島山岳部保全募金」の趣旨を説明され、一口500円の募金に協力を依頼された。賛同して代表のQさんが募金を渡すとパンフレットをお返しされて色々なお話を頂戴することができた。こんな冊子を頂くとは赤字でないのかなと心配になる。近々、募金の一口額が増額されるとのこと、環境保護には今後も協力したい。駐車場にある温度計が示す気温は7℃であった。

薄明の登山口を出発した。5年過ぎたことを窺わせる木段を登って薮道に入る。朝日の斜光が林を染める。淀川橋までの道は平坦だと思い込んでいたが結構アップダウン、木の根や段差があり、痛めた腰に重いザックが負担になってきた。「淀川登山口から1km」の道標を過ぎて10分くらいで「世界自然遺産地域」の看板に、さらに3分で淀川小屋に着いた。 小屋外のベンチで孤独に男性が朝食中であった。小屋の中にも、小屋前の広場にも人影がない。すでに皆さんは出発したのだろう。小屋のアルコール温度計では7℃、張り紙には「ヤクヤチネズミが食料を狙うので注意」と書いてあった。杉江勲さんのザックがかじられたのを思いす。

淀川橋を渡る。川面に朝の空が映る。前回は夕焼け、今回はモーニングロート、映る水面は左右と違うが美しい。橋を渡って斜面の電光道を登る。オーバーユースなのか路面がずいぶん荒れてきている。思い出でと比べながら杉や樅の大木の間を登った。道標は相変わらずしっかりしていた。「花之江河まで1・7km」道標を過ぎて石楠花やハイノキの低小木林の中を進む。巨岩のトーフ岩を乗せた高盤岳が林の間に見え「花之江河まで1.2km」道標に着いた。高盤岳展望台分岐から左手に入り高盤岳の写真を撮り分岐に帰る。「花之江河まで0.7km」道標を過ぎると木段が続く。途中の大岩の上から左右を展望した。今朝は空を雲が流れ、山肌に靄がかかりと遠目が利かなかった。

小花之江河に到着して驚いた。5年前はあんなにあったミズゴケの厚い絨毯が消えている。屋久鹿が沼に入り込んで湿原の植物を食べている様子を女性が木道の上からキャキャと言いながら撮影していた。人を恐れない屋久鹿による食害が湿原荒廃の原因の1つに違いない。

「花之江河まで0.2m」道標を確認して進む。 花之江河に到着して木道の上を栗生・湯泊方向に曲がる。鹿除けネットで囲まれた部分湿原は植生が保存されている。しかし周りの湿原は裸になりかけていた。湿原から湯泊・栗生へは林地入る場所に細引きが張ってあり、「花之江河〜湯泊までは林道通過停止要請中」と「初心者通行禁止」の雨風に晒されたポスターがあった。Qさんは「全面禁止」と取ったが登山経験者全部まで規制するとは読めなかった。すこし登って大ザックをデポし、間食のお握りを食べた。

ヤクザサの密薮を経験するためアタックザックを背負って一般道へ出発する。花之江河の石祠を見て石塚小屋分岐から黒味別れへの斜面を登った。百名山の宮之浦岳を登るためのこのコースはよく整備されている。昔と変わりない。ただオーバーユースと豪雨で洗掘された道には注意が少々必要だ。登山グループの話し合う声が聞こえる黒味別れを宮之浦岳方向へ下り、登り返すと岩場に太いロープが下がる。その上の石投平湿原に上り、更にロープを使ってよじ登るとヤクザサ薮に覆われ巨石を冠にした石投岳が右手に、その麓には緑の鋭鋒が、振り返ると左の目の前に黒味岳が聳える。広い岩場に着くと道標だけでなく、道迷い防止か、ロープを通した杭の列があった。

ヤクザサの薮道に入り宮之浦岳までの道標を過ぎて見上げる石投岳に「さてどこから取り付くか」とチェックする。徒歩道に思わせぶりな赤と白のテープが結んである。ここから屋久鹿の踏み跡を辿りヤクザサが低く薄い脈を辿ってコルに登りついた。コルから大岩を冠にする石投岳を見上げると標高差は少ないもののヤクザサと石楠花が何層にも密薮になっていた。ちょっとヤクザサ薮に入ってみたが胸以上の深さがあり、上半身で薮を泳ぎ足元はつま先で探らなければならない。ヤクザサの軸は細いが緻密で抜けるには体力が必要とわかった。なるほど障子岳を登り下るにはこれを急斜面で行わねばならないのか。久さんの情報では「石投岳に10分で登った」とのことであったがそれは少々無理のようである。屋久鹿でさえ横に歩くが無理して頂上へ縦には登っていない。納得して登山路に引き返した。

安房岳も翁岳も小沢を同様に詰めてみた。すぐに腰の上までのヤクザサの密薮になり、先には石楠花と笹薮が重なり合う。いずれも登頂をせずに登山路へ下った。ヤクザサ密薮漕ぎの調査にはこれで十分だ。縦走路から谷を見ると白い雲が川になって流れている。強い風はなく暖かい。目の前を宮之浦岳に登山する人達が幾人も通り過ぎた。

少々休んで皆さんとは逆に往路を花之江河に向かって下った。途中でサルトリイバラの赤い実、唯一の紅葉したハウチワカエデを愛でて花之江河に向かう。花之江河の木道末端で食事中のオリエンタル系の男女の傍を抜けてデポ地点に帰還した。

再び重いザックを背負って薮めいた道に入る。すぐに栗生分岐に着いた。歩く人も稀なのか栗生への道は薮で覆われていた。湯泊への道もそこそこ荒れている。左右から枝が伸び、山路には落ち葉が積り、ところどころに倒木、水溜り、苔が覆う岩などが道を遮っていた。踏み跡には古い花之江河湯泊道標が落ちてもいた。しかし一筋の道で迷うことは無い。

35分で高盤岳の取り付きについた。コルから延びる尾根筋には良く見ると赤テープの目印が点々と結ばれている。目印を辿ると小木薮を潜るようだがヤクザサはなく登りやすい。Qさんの後を追ってすぐに高盤岳頂上の巨岩の下についた。巨岩はモノリス(単独)ではなく胎内くぐりができるような隙間や上から下へまっすぐに裁ったようなクラックで分かれたコンポジット(複合組み合わせ)である。これがトーフ岩だろう。ともかく大岩の周りを一回りする。見上げて手掛かり足がかりを探すがない。人工登攀具なしには岩を登って上に立つことは無理そうだ。岩の基部からでも遠望がきく。見下ろせば前山の鋭鋒が目立つ。記念に写真をとって目印を頼りに薮を下りデポした取り付きについた。

高盤岳の取り付きからの縦走路は温帯針葉樹林帯にあり、屋久島の多雨に洗われているせいか所々に木の根が高い段差を作っていた。樹林のなかはどこでも踏み跡に見える。獣道もいたるところにあり迷いやすい。頻繁にぶら下がっている赤テープでルートを確認できるのは心強かった。感謝の極みである。ところどころに水場があり飲み水にも心配はない。

デー太郎岩屋の標識は針葉樹林の中の平坦場あった。左右に水場となる沢があり名前に反して岩はまったく無い。テントを設営し、沢で水を汲んでゆったりとした夕食を摂った。暗くなってテントの外に出たら大木の幹の隙間から星空を見通すことができた。
11/06
障子岳宮之浦林道コースで患った「ぎっくり腰」の痛みを緩和するため寝袋の中を右回転、左回転と苦労する。目が覚めてみると爽やかでデー太郎小屋のテント場を総括すれば快適であったと言える。テント内は7℃(久さんアルコール温度計)、外は4℃で気温も快い。朝食を終えパッキングし直してテントを撤収した。

林に朝日が射し、目印のープが良く見えるようになってデー太郎小屋をようやく出発できた。テント場寸前の小沢に架かる丸木橋は苔がついている倒木か、注意して渡る。朝の斜光が水面を照らし一瞬の至福を授かった。古びた木の階段を登り、針葉高木林の中の踏み跡を辿る。薄暗い中、先の目印テープを見つけては、手前の倒木を越すのか、潜るのか、避けて歩くのかを判断して進む。そんな場所がいたるところにあった。テープを結んでくださった方に大感謝。明るい広葉樹林になったのは束の間で、再び針葉樹林の中に入り、段差、苔の生えた岩など、気の抜けない道を歩む。コルを過ぎると再び低木疎林・薮になり登山路は明るくなった。

Qさんが調べてGPSでポイントを定めた白檀岳取り口に着いた。目の前は薮、頂上へ見通しがない。大ザックをデポして縦走路際の密薮を掻き分け、よじ登った。久さんを追って尾根に通じる薮の隙間を登る。斜面を過ぎると平坦な尾根で小木林であるが落ち葉が積もった空間が続く。山頂標はないので最高点をさがして白檀岳の頂上とした。下りは尾根の平坦さにだまされて手前の斜面を南に下り縦走路に先着していた久さんと白檀岳取り口に引き返した。少々薮道を舐めていたかと反省した。

広葉樹小木林から針葉樹大木林に再び入った。根がうねる薮道を進み、改めて小休止した後は踏み跡に被さる大木の下を何度もくぐった。千葉から来た単独行の男性に追いつかれて久さんが情報交換する。「屋久島にはすでに13回、今回の目標は七五岳登頂、淀川登山口に駐車して暗いうちに出発した」とのこと、彼は往復するのだ。前後しながら歩く。

テント場によい平坦地がある横尾根を右に見てワレノ岩屋に着いた。看板がある。ワレノ岩屋は文字通りの岩屋で巨石の下に大きな隙間がある。しかし床が岩、石、湧き水の流れとテントを張るには不向きである。昔は筵を敷いて雨を凌いだのだろう。子供の時読んだ椋鳩十の岩屋にそっくりと思った。幕営には先ほどの平坦地が最適だ。

ワレノ岩屋を過ぎてジンネム高盤岳を巻く道に入った。この巻道を一言でいうと悪路である。樹林の中の薮だけでなく石を巻き道に落とした続けた小沢がジンネム高盤岳から行く筋も横切っている。苔むした岩の割れ目を登ったり、倒木を潜ったりする。赤テープが確認しながら進めるので迷っても引き返せばよいと安心した。飲み水には小さな水場がいくつもあったのでいざとなったら困らない。しかし下るにつれ伏流水の沢になるのか水場が消えていった。見上げると葉の間にジンネム高盤岳が見える。ここまでジンネム高盤岳の取り付きを見つけようとしたが適わなかった。

とうとうミノの小屋跡に到着した。ここは烏帽子岳分岐でこの先に七五岳分岐がある。テントを設営した後、右側の小沢に標高差にして50mほど降りて清水が湧いている場所で水汲みをした。水深が浅いのでPE瓶を活用してプラティバスに効率的に移すことですばやく2Lの水を確保できた。多数の作業者がいた昔日にミノの小屋主はこんな小沢で水を得ていたのだろうか。

ミノの小屋跡から七五岳分岐へ下る。踏み跡は洗掘されて紛らわしいが目印テープが誘導してくれた。七五岳入り口は直近にあって右に道標板もある。先は樹林帯の中だが目印テープが点々とあるので心強い。予期したように大岩が尾根筋に鎮座している。岩を巻けるように踏み跡と目印があった。ブナのような大木の脇を通る。「ブナの南限は大隅半島のはずだが」とチョッと思った。再び大岩の脇を登る。どうもこれは前山の頂のようだ。巻道にシロバナジンチョウゲが咲いていた。「ジンチョウゲは中国由来のはず、こんな若い木を今も里から植えに来る人がいるのだろうか」と屋久島には分からぬことが多い。

先行して登頂し、下ってきた千葉の男性に岩場の状態を聞く。「頂上直前のスラブに肝を冷やしました」とのことであった。木立の上に岩場が見える。例の黒いロープがここにも垂れ下がっている。背後は太平洋(東シナ海?)まで見下ろせるはずだが雲がかかって展望がなかった。目の前は七五岳の頂上か。ふたたびフリクションが利く岩場をロープ伝いに登った。岩の周りは潅木や草つきになる。いよいよ頂上部だ。振り返ると前山から下る谷を見ることができるが途中で、雲がそれらの山肌を隠していた。低木と薮の.斜面から岩場に進む。岩の先には、左右が崖の割れ目があり、その先は滑りやすそうな肌のスラブであった。身が軽い久さんがまず岩の割れ目を渡って七五岳頂上に着き、フリクションの具合を教えてくれた。スラブの登りは問題ない。

360°の展望と楽しみにした七五岳の頂上は残念ながら奥山から湧いて流れて海に下る雲の中であった。インターネットの紹介では「里の七つの子が神隠しにあったという伝説が名前の由来」とある。湯泊集落の神山で「直登コースなどから里の人達が参拝登山してきた」という。永田集落の永田岳などと同じだ。屋久島にとっては前山に過ぎないが、里から見上げると七五岳はそそり立つ尖峰でとても目立つ。故杉江勲さんと安房から大川の滝までドライブして眺めた姿を思い出した。

烏帽子岳にも登らなくてはならないので七五岳の頂上から早々に下った。岩の割れ目の前後は心配したほどのことも無く岩から岩へ渡ることができた。岩のスラブもフリクションが十二分であった。右手を見下ろすと雲間から谷の下に海がチラリと見えた。湯泊であろう。岩場に来ては七五岳頂上を振り返る。七五岳頂上が尾根に隠れてしまうと今度は前山や烏帽子岳方向をみた。どちらも雲に隠れていたが時折り烏帽子岳の稜線かと思われる影や麓の海岸の白波がうっすらと見えた。「晴天ならば絶景では」と惜しまれる。稜線をコルへ下る。右手の薮から突然、人が出てきた。見れば先行していたはずの千葉の男性ではないか。「道に迷って絶壁に出た」という。岩や小ピークを巻く箇所では、時に登り越しもあるので注意しなければならない。えてしてそんな場所の目印は目立たなかった。3人で七五岳入り口に帰り、ミノの小屋跡に登った。我々は小休憩をとり、千葉の男性はワレノ岩屋近くのテントに帰っていった。

今度は、ミノの小屋跡から烏帽子岳へ向かって平坦な尾根を登る。気持が良い照葉林の中を進む。登山路には大岩も所々にあるが目印テープが要所にあるのでそれを追えばらくらくであった。地形図どおり最後は急登りになる。頂上近くの岩場にはロープも張ってある。この山の登山路整備は行き届いていた。

登りつめると烏帽子岳頂上は巨岩が積み重なる岩場になる。巨岩の下は平坦な岩場と潅木薮になって頂上先のジンネム高盤岳に繋がる岩尾根になる。しかし岩場末端からは先は累積する巨岩と崖が組み合った谷になって行くことができない。振り返れば烏帽子のような巨岩が載っていた。これが烏帽子岳の名の由来であろう。往路を辿り20分ほどでミノの小屋跡に帰着した。

11月7日
深夜、テント(枕)至近で屋久鹿が一度去ってまた帰ってきて鳴き続けた。その後、風向きが変わったのか木々の枝が鳴ってこれも眠りを浅くした。天気が変わるのかと、うとうとしながら寝袋の中で思う。予定した時刻に起床して出発するまでのルーチンをこなし、空を見つめたが好天である。

ミノの小屋跡を朝日が山を染め始める頃に出発した。快晴であった。七五岳入り口を通過して周りのどこも踏み跡に見える登山路(屋久島の神の悪意、好意だろうか)を下る。目印テープを見つけては踏み跡を幸いにも確認し、久さんと声を掛け合いながら(久さんに気合をかけられながら)歩む。赤い実をつけたヤクシマテンナンショウが迎えてくれた。右手に谷を挟んで七五岳がある。写真を撮りたいが針葉高木の幹や枝葉が邪魔をした。湯泊からの七五岳直登コースとの分岐を久さんは懸命に探すのだがとうとう見当たらなかった。谷からはアオバトらしい鳴き声がそれを慰めてくれるようであった。南へ方向転換すると針葉樹林は照葉樹や落葉広葉樹との混合林に代わり、倒木や枯れ枝や落ち葉が積もる下りになった。地面には幾つもの赤いツチトリモチが顔を出し、椎や樫の林を下っていると気づかせてくれた。暗い巻道を通り過ぎると次第に乾いた道になる。目の前が明るくなって湯泊歩道から湯泊林道の広場へ出たことが分かった。

暖帯林に挟まれた広場から東西に気持のよい砂利の湯泊林道が延びている。林道の上にはすがすがしい青空が広がっていた。花之江河のポスターにあった「湯泊まで林道通過停止要請中」が信じられなかった。

休憩後、広場から湯泊林道を下る。ところがすぐに林道を山側からの崩落が覆っている箇所に出くわした。よく見ると崩落の上に更に樹木を乗せた崩落が重なっている。二重崩落だ。倒木を潜り抜けて林道の先を見るとさらに崩落があった。なるほどポスター通り、これじゃ崩落・落石箇所はいくつあるのだろうかと数え始めてみた(結局、崩落の定義にもよ るが31箇所はあった)。崩落だけでなく林道には沢から流れた水が洗掘した深い溝があり今も水がとうとうと流れていた。

距離標9kmを見つけ、そこから数分で左手(北)に七五岳が望める場所に出た。もう雲が発生して七五岳から南へ流れている。路肩も湯川の支流の谷へ崩落して林道がえぐられていた。林道が東向きから西向きにヘヤピンに曲がった地点に着いた。地形図に無い林道分岐になっている。西に向かう林道には沢から流れ出た石が一面をゴロゴロと覆っていた。石が無くなった林道脇に風船のようなものが落ちていた。子供がここまで登ってきているに違いない。これから先は歩きやすくなると思ったが、山側斜面が林道に崩落して、その上に木が崩れ落ちている箇所にすぐついた。落胆して進むとさらに林道に大岩が転落、木々も根こそぎ林道に落ちて折り重なっていた。

距離標5kmを過ぎた地点で林道の上をアサギマダラが舞う。東北や信州から遥かに渡ってきた個体かも知れない。いつの間にか林道は東に向きを変え、前方に鋭鋒が見えた。思い出の本富岳かなと思ったが、地形図を見ると間には破沙岳とか芋塚岳とかの尾根がいくつもあって遮蔽されている。奥山を越してきた雲が見る間に山を覆い始めた。北を見て雲が切れてジンネム高盤岳〜烏帽子岳の尾根が出たと喜んだが湯川の対岸の破沙岳の尾根筋だったかも知れないと思う。林道左手に新しそうな小屋があった。作業小屋だろう。戸締りは厳重で避難には使えそうもない。小屋外のトイレの便器の中からは草が伸び、利用されなくなって月日がたっていると思われた。やはり小屋から先の林道には大崩落、これでは小屋に作業車も到達できない。この崩落は沢から鉄砲水になって押し出したかのようで林道の路床も残りわずかであった。

そこから数分でまた大崩落に出くわした。何たることか、崩落した斜面の上部に巨岩がまだ残って林道の残骸を見下ろしていた。この崩落には将来の工事のための杭がいくつか打ち込まれていた。しかし崩落の上は傷の無い緑斜面が続いている。この巨岩はどこから落ちてきたのか謎である。

崩落を越した林道の谷川に無人観測機があった。しばらく歩き良い林道が続いたが距離標4kmの先でもまだまだマイナーな不通箇所がある。里から正午のチャイムが届いた。今度は山津波跡か、沢から林道がぶった切れていた。残った林道を歩むと距離標3kmが現れ、林道ゲートがあった。ようやくこれから無事な林道と思いながら分岐をすぎた。完全な大貯水槽を見たがその先にはなんとまだ大崩落があった。導水管も治水のための堰堤も岩で破壊され無残なものであった。湯泊集落の上水はどうなっているのか心配である。

崩落した林道の上に残された私より長さが10cmは大きい先行者の足跡に靴を重ねてみた。出発した花之江河の砂の上にもマークされてた足跡だ。どんな人だろうか。この辺りには子供と思われる足跡も乱れていた。再び貯水槽についた。さっきは発電用、今度は本当に上水用か。先ほどからここまで多数のアサギマダラに遭遇して蝶好きには大満足であった。

最後の大崩落に出会う。寸断という言葉がこれまでの林道の状況にはぴったりだ。この先は工事中である。見れば工事用の小屋やトラックがあり大規模な復旧工事が進行していている。まず重機で取り付け道路を工事しているようであった。分岐に出会い、昼休み中の関係者に湯泊までの最短ルートはどちらかをたずねて林道改修の計画を聞いた。「今後、林道を最も上まで復旧する予定」とのことだった。林道が崩れていたのは先に記したように30箇以上あった。復旧には莫大な経費と時間がかかるだろう。復旧するまでは、花之江河のポスターにあったように、「登山初心者は昭文社の登山地図コースタイムで現在の湯泊林道を通過できる」と信じてはならならない。登山経験者には林道損壊と復旧の状況を見ていただきたい。深南部の南アルプススーパー林道の崩落に比べればたいしたことはないと思う。管理者には一律規制をして頂きたくない。

教えていただいた最短ルートに進んで湯泊林道を下った。下りついてサキシマフヨウの花の先に距離標1kmを見つけた。林道分岐に支線があるものの道なりに直進して左右が生垣に囲まれた畑や園地になった。境界から伸びるノボタンやゴンズイを見ながら廃棄された畑山の分岐を直進すると湯泊集落があった。林道出口には「林道利用心得」看板がある。ここが道標0kmか? 道を挟んで向かいには「湯泊」との石碑があった。 右手に進んで湯泊BS標とバス時刻表を見つけて一先ず安心した。湯泊〜宮之浦へ12:57、13:52、15:52、17:22と乗り遅れたら長い時間待ちでった。「屋久島のバスは定刻より早く出る」とは経験が多い久さんの心配である。

向かいは「なかきはら」商店、右手先に郵便局がある。バスが定刻より少々遅れて着いて無事に乗車できた。宮之浦までの車窓から今日は本富岳の女陰と陽根がくっきりと見えたが七五岳や烏帽子岳は雲の中であった。巨大な靴跡の主はまずは自然遺産を愛する人に違いない。