奥武蔵 遠ノ平山(200m)・寒沢山(186.8m)
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【山行目的】埼玉県の山201踏破 |
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【日 付】 2020年06月05日(日曜日)・06月15日(月曜日)
【メンバー】 礒田武志: 1名
【行動日程】
【交通】
06月05日
(往 路)志木(東武東上線)⇒準急川越市行に12:35⇒12:53川越市12:59⇒13:31武蔵嵐山
(復 路)武蔵嵐山16:37⇒17:24志木
06月15日
(往 路)志木(東武東上線)⇒快速小川町行に12:51⇒13:31武蔵嵐山
(復 路)武蔵嵐山16:36⇒17:24志木
【コースタイム】 06月05日
武蔵嵐山駅13:34→14:10R254分岐→14:22階段→15:02遠ノ平山15:05→15:22R245旧道→寒沢山作業道入口15:33→15:59R245分岐→16:33武蔵嵐山駅
[歩行実時間(休憩を含む)] 2時間59分
06月15日
武蔵嵐山駅13:34→R254交差点→千手堂分岐→14:11遠山峠→14:17苔の生えた階段→15:08寒沢山15:10→15:24南尾根下山口→15:33遠山寺前→15:48嵐山渓谷駐車場→15:55苔の生えた階段→16:00遠山峠→16:10千手堂分岐→16:14R254交差点→16:30武蔵嵐山駅
[歩行実時間(休憩を含む)] 2時間56分
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【コメント】
1. 動機・目的
日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうち未踏の遠ノ平山と寒沢山をつなげて踏破する
ネットで縦走記録を調査したが見つからなかった。そこでピークハントの記録を国土地理院の地形図破線・実線に組み合わせて東武東上線武蔵嵐山駅を始点・終点に周回コースと必要時間を設定した。
2. 天気・気温・体調・装備
06/05 梅雨入り前の蒸し暑い曇り空で時々薄日、東京で最高温度29.3℃、最低温度22.2℃
06/15 梅雨のどんよりした晴れ 東京で最高温度32.6℃、最低温度21.0℃
里山歩きにはあまり良い条件ではなかったが熱中症対策に生理的食塩水を調合して十二分に持参し、1時間ごとに口を潤した。
3. コース
3.1. 見どころ
ネット情報に詳しいが遠ノ平山の山頂には御嶽信仰の秩父青石板碑がある。
3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
里山では歩かれなくなった林道、作業道、参拝路や遊歩道は草木が急速に茂って薮に変わり、踏み跡は消えてしまう。何年も前に記入された国土地理院の地形図の破線や実線も頼りにならなくなる。情報が少ないマイナーな山では行ってみないと登山口が無かったり、分からなくなっていることがある。今回のR254バイパス環境センター近傍の遠ノ平山登山口、R254旧道の遠ノ平山南尾根末端やR254旧道の寒沢山登山口がその例だ。現在も歩かれていると思われる行政境界や送電線鉄塔の巡視路と一般道の接点に目をつけて登山口を計画すべきだったと反省している。
登山口から頂上を経て下山口までのコースの選定も同様である。今回は境界杭や東電送電線鉄塔標柱を追うことで道迷いを避けることができたと思う。上から目線で申し訳ないが、低山の里山であるとはいえコース略図や山と高原地図だけに頼るのは好ましくない。黒木の林の中で見通しは利かないが瘤、コル、分岐などの要所で頭とコンパスとを働かせて現在位置と進む方向を確認して地形図と照合することで道迷いを防ぐことが大切である。迷ったらと思ったら原則、里に下らず引き返すこと。これが民有林や私有地を利用させていただく里山歩きのエチケットであると心得ていただきたい。なお登山口に至る嵐山の街中の方が迷い易い。私は地形図と嵐山町ウオーキングマップ(ネットで入手可能)を活用した。
3.2.2. 薮・倒木
R254バイパス環境センター近傍の遠ノ平山登山口(階段)上の矢竹の密薮は短距離であるが凄い。箱根の矢竹薮を掻き分ける練習台になると思えるくらいだ。遠ノ平山、寒沢山とも薮にキイチゴや山椒などの棘植物やヤマウルシなどかぶれる植物がないのは幸運だった。また二山ともに邪魔になる倒木はほとんどない。植林年齢が数十年と若く、これまで台風などの影響がすくなかったせいだろう。
3.2.3. 岩場・急坂
滑ったり落ちたりするような岩場、急坂、細尾根はなかった。
3.2.3. 暑気
梅雨前、梅雨時の蒸し暑さによる熱中症を心配したが、山中は杉・ヒノキ植林地の日陰を歩くのでしのぎやすかった。むしろ武蔵嵐山駅と登山口との間の町歩き・里歩きで日焼けするかと心配であった。
4. 歩いてみての感想
武蔵嵐山駅から歩いて、日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうちの遠ノ平山と寒沢山の頂上を踏むことができたのは満足、残念なことに縦走とならなかったが・・・。思っていた通り梅雨時の黒木人工林の中は単調で胸にズキンとくるような動植物はほとんどなかった。とはいえ幸運にも、予定してなかった登山口を見つけたのは喜びであり、遊歩道が矢竹密薮に変わっていたので時の流れや社会の変化を感じ心が動いた。遠ノ平山の御嶽信仰の秩父青石板碑は立派、一見する価値がある。麓の神社にもお参りしたかった。
総括すればこの二山は低山マニア向きであろう。
(記:礒田武志) |
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(写真 礒田武志)
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5. 記録(遠ノ平山)
5.1. 武蔵嵐山駅北口からR254バイパス環境センター近くの階段(登山口)まで
武蔵嵐山駅北口から東上線の線路沿いに西に進み、踏切を渡って線路南に出る。住宅地の端にある遊水地では葦の茂みでオオヨシキリが囀っていた。坂を登って今度は東上線の上の陸橋を渡り小学校脇に着く。ここまでが町、林の脇を左折すると一挙に田園となる。木々の中では物真似鳥が鶯の囀り等で互いの縄張りを主張してうるさい。カエル飛込む水の音にひかれて覗き込んだ溜池には金色の錦鯉が波を作って泳いでいた。池の脇を通って秩父青石の板碑が立つ墓地を過ぎて三叉路(変則十字路)で左折する。水入れ前、田植え作業中、水面に行儀よく並んだ田圃などが目に入る。往来する車に注意して狭い線路下のガードをくぐりカインズモールの車入口横に出た。大型車が疾走するR254の歩道を北上してR254分岐をバイパス側にとり、バイパスを横断して南西側歩道に移った。「この小山が遠ノ平山かな」と尾根の延びを見て国道に交差する地形図破線の目星をつけ作業道入口を探す。R254の北側にはそれらしい入口があるが目指す南側の谷の東西には見つからない。確認のため、そのまま西へ進んで環境センター入口まで進み、門前まで入って引き返した。改めて東へ目を凝らして法面に沿って歩く。草木に埋もれた階段が法面を登っている見つけて小躍りした!
5.2. 環境センター近くの階段から遠ノ平山を経てR254旧道まで
落ち葉や腐葉土で埋まった階段には草や灌木が生え、左右から横たわった小木や伸びた太い藤蔓が邪魔をしてまるで密薮斜面と変わらない。滑り落ちぬように草木の根や蔓を掴んでどうにか階段を登った。階段の上はなんと背丈を超す矢竹の密薮で塞がれている。右の金網塀に沿って進もうかと思案をしたが、結局、左の尾根筋へ林床の笹薮をかき分け高木の根元を目当てに隙間を探して登ることにした。矢竹を左右上下に分け隙間を作って進む。赤プラ境界標識杭を発見して喜んで近づいたが巡視の踏み跡がない。少しでも妨害がなく尾根に近づくように笹を掻き分け続けて進むが、健やかに育った雑木に絡んだ太め笹束は思うようにならない。薮が薄くなったところに古いベンチが2つ、周りにサツキやモミジなども観賞用の木が植えてあった。育った雑木が重なりあって植木の上を覆っている。徒歩道跡らしい薮を漕いで進むとコンクリ手摺柵に出た。右手下に環境センターの施設・建物がある。「かってはここに登ってベンチに座って休憩し植木の花や紅葉を鑑賞してR254まで階段をくだったのか」と想像したが「今日の私はこんなに苦労して進んでもこれだけしか進んでなかったのか」と焦りが湧いた。決心して笹薮に突入し赤プラ標杭を再発見した。今度は踏み跡もある。植林の針葉樹が空を覆うようになるにつれ周りの矢竹が鈴竹にかわり、だんだん笹薮が薄くなった。笹が消えてシダの斜面に変わったところに今度は黄プラ標杭が刺さっていた。急なシダ斜面から尾根瘤に登りついたらなんと広い徒歩道が目の前に、藪漕ぎしなくても楽に取り付ける登山口があるのだろう。瘤を下って登り返す短い急斜面に踏み跡はなかったが上まで登ると頂上か、目前に石碑が見えた。遠ノ平山200mに着いたのだ。石碑(下山後見たネットでは石塔)には「御嶽山大神・八海山大神・三笠山刀利天宮大神」と彫ってある。その脇に「神武天皇」と刻んだ石碑もあった。周りはちょっとした平地だが植林で囲まれて展望はない。御嶽信仰だけの山だったのであろう。石碑を礼拝して見回せば東電の送電線鉄塔巡視杭も立っていた。
歩きやすいそうな巡視路(参拝路?)は東西に伸びているのだが、計画通り寒沢山に登り返して武蔵嵐山駅下るため南尾根を下ることにした。踏み跡を辿るとススキなどの埋もれている送電線鉄塔に出た。鉄塔の裾からも巡視路が尾根を下っている。すぐに巡視路は尾根から右下り斜面に曲がる。曲がり角で礒田はそのまま南尾根へ踏み跡を辿って下ってみた。下界に近づくにつれ踏み跡は雨裂に変わり、雨裂は狭い薮沢になる。薮沢の先は車が疾走するR254旧道に面した小池であった。どうにか小池の縁を踏んでR254旧道に着くことができた。
5.3. R254旧道下山場所から寒沢山作業道入口まで
地形図を改めて見て寒沢山のある尾根へ登る作業道・林道の入口を探した。まず実線の入口は私有地なのか進入禁止のロープが渡してあった。さらに西に歩いて貯水池堤につながる破線の入口に向かった。作業道は堤末端で密薮に変わりその先が見えない。本日は寒沢山を登り越すのを断念せざるを得なかった。
5.4. 寒沢山作業道入口から武蔵嵐山駅
貯水池堤に生えているオニグルミがいくつか実を結んで風で揺れているいるのを見てコロナ自粛の間に季節が進んだなと感じた。R254旧道に出て東に向かう。使われていない配送センターの手摺に風に飛ばされてきたゴマダラチョウがとまった。写真を撮って歩む。向かいの廃パチンコ店脇に徒歩道が山から下って来ているのを見つけた。尾根から斜面に向かった鉄塔巡視路の出口ならうなずける(帰宅後ネットで調べたらその通り、すこし西に歩いたら参拝路となる神社入口があった)。次の溜池には水底にイモリかサンショウウオか黒い姿が点々と散らばっていた。私がR254に出てきた場所を確認する。地形図破線がR254と交わる場所だがどう見ても作業路ではない。高圧送電線が頭上を横断するので寒沢山側に東電の道標が立っているかと注意してみたがかいはなかった。峠に登ってきたら「小川町の水源を守れ」と看板がある。大きな溜池が2つ、池の脇には休憩所があった。なにか住民問題の気配がした。路傍にテリハノイバラが白い花をつけているのを久しぶりにと思う。長い間この時期に里を歩いていなかった。
R254分岐からは往路を辿る。事前の情報がなかったとはいえ密薮に出くわして縦走を達成できなかったという後悔心の澱を抱えたまま武蔵嵐山駅に到着した。
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6. 記録(寒沢山)
6.1. 武蔵嵐山駅から遠山峠先の古階段まで
世間ではリベンジ登山というのかもしれないが、いくら低い里山であっても前回失敗した山・コースの踏破と思うと気持ちが高まる。梅雨らしいどんよりした晴れ空の武蔵嵐山駅南口を出発した。国土地理院の地形図地図読みは山より町の方が難しい。変電所・送電線鉄塔、嵐山三叉路、嵐山郵便局、モールと要所を抑えて迷わずに消防分署入口R254交差点に着いた。交差点を渡って後は田園・里山の中を道なりに進めばよい。そこここの梶の木が黄色の熟果を着けていた。千手堂分岐には嵐山ハイキング道標が立つ。周りからウグイス、コジュケイ、ホトトギスが紛らわしくも騒がしく鳴いていた。空き家の庭にニョキニョキと生えている筍が目を引く。左手薮には「県立比企自然公園」の古看板が隠れていた。車道の端を登ると遠山峠に着く。右手に遠山トンネル記念碑が立っていた。地形図にある作業道があるかと探ってみたが嵐山の方に草ぼうぼうになった道跡が下っているようだった。方向が違うので諦めて遠山集落に向かうことにする。峠から大平山登山口を過ぎて下った右手に苔の生えた階段があるのを見つけた。ここからなら尾根に取り付け得るはずだ
6.2. 遠山峠先の古階段から寒沢山を経て南尾根下山口(槻川沿い駐車場)まで
苔むした階段の上は杉・ヒノキが植わった人工林の斜面で林床には朝まで降った雨に濡れた笹とヒサカキなどの薮があった。その中に踏み跡が続いている。登りついた尾根で踏み跡は左右に分かれた三叉になっている。まず左(遠山・寒沢山側)へ向かう。細木の林床には倒木もあり、踏み跡を横切って架かる蜘蛛の糸が何度も顔に纏い付く。太陽とコンパスを見ると尾根を南(車道方向)へ下り始めたので先ほどの分岐に帰ることにした。分岐から今度は踏み跡を東(遠山峠方向)に登って南北に走る本格的な作業道に出合った。作業道を道なりの北から望み通りの北西へ進む。地形図破線分岐2か所は見つからなかった。作業道が南西に曲がるあたりで巻つけられたテープに地名が書き込んである木が目に入った。作業道はこの一本になっているようだ。行政区分や林業境界の杭も刺さっている。そこで次の杭を探し、GPS高度を確かめつつ標高点214mを過ぎて地形図にない分岐に着いた。ここにも道しるべテープが巻いてあり「遠山大平山」と記してあった。分岐の北西路にも登山口があるのだろう。遠山大平山を背後に進んでGPS高度で233mを通った。ここが本日最高点かと苦笑しつつコルに降りて登り返した。頂上部の端にはヤブレガサが開花して寒沢山を登頂する私を迎えてくれた。昭文社の山と高原地図(22 1998年版)奥武蔵・秩父では寒沢山と記してあったが地元の山名は寺山らしい。「寺山186・8m」と書いて巻き付けた木が立っていた。頂上部は心地よい小さな緑の広場であるが林に囲まれて展望がない。残念である。地形図にあるように北と南へ分かれる踏み跡がある。北西方向についている踏み跡は幾分薄いが西斜面へ下っている。西斜面にはいくつかの青テープが間隔をおいて下っていた。一方、南へ下る踏み跡は濃い方に赤テープが下がり境界標杭も刺さっていた。一思案して南道を選んだ。目論見通り植林地を下る踏み跡は歩きよく締まっていた。古くから利用されているのか道脇にかっては石碑かと思われるような石が立っていた。踏み跡が暗い植林から出てしまうと薮が邪魔を始めた。洗掘気味の踏み跡から笹薮急斜面下に槻川、舗装車道、駐車場と乗用車が見える。どうにか笹薮を抜けて車道に下りついた。ほんの1分程度の薮下りであったが足の置き場が見えないので余分な緊張をしたようだ。槻川側から下山した場所を改めて見たが、「これじゃ取り付きがわからない」との状態であった。次回のため取り付きと目印を記録撮影して三叉路を遠山集落へ折れた。
6.3. 南尾根下山口かた遠山集落をへて古階段登山口まで
遠山集落は広い車道から外れているせいか落ち着いた風情でそぞろ歩きに合う。緑の山側に民家、道を挟んで田畑という原則的構成になっている。もちろん田畑側にもすこし新しい民家が見られる。八幡神社の入口前の畑には取り入れ寸前の麦が、それに続く田圃は水を張って田植え寸前の様子であった。禅宗の遠山寺の門前といっても門はずいぶん先だが通る。寒沢山を寺山というのは寺の裏山だからであろう。田畑の上を鷹が1羽舞って杉の古木の裏に消えていった。山に入る作業道の入口が左手にあったがやはり薮で覆われていた。山裾の民家に植えてある枇杷が黄色に色づいている。その上の尾根を歩いたのだが目印となるものはなにも見えなかった。こんどは小型の鷹(ホトトギスかも)が寒沢山から大平山のほうへ横切って行った。遠山集落の一本道が工場入口に突き当たる場所で右折する。距離計を転がしている測量の方2名とすれ違う。雨粒が水田に輪を描き始めたので折り畳み傘を広げて遠山峠へ向かった。合流した広い車道に嵐山渓谷入口駐車場があった。公衆便所わきに水栓があったので手を洗って車道を工場の上まで登って行った。左手に崩れた作業道入口がありロープで通せんぼがしてあった。往路で迷い込んだ尾根道の末端かもしれない。坂の上近くが階段登り口であった。
6.4. 古階段登山口から武蔵嵐山駅まで
階段登り口からは小雨上がりの往路を忠実にトレースして武蔵嵐山駅に帰ってきた。本日歩いたのは10.9kmであった。もっとも大部分は舗装道路の上である。
(記:礒田武志) |