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奥武蔵寄居町 車山(226.9m)

 落合橋から見た車山
  

【日  付】 2020年09月08日(火曜日)

【メンバー】 礒田武志: 1名 コロナ対策

【行動日程】      
【交通】
(往 路)志木(東武東上線)⇒急行小川町行に09:19⇒10:10小川町10:12⇒10:24鉢形 
(復 路)鉢形(東武東上線(小川町行))13:37⇒13:49小川町(東武東上線快速(池袋行)13:52⇒14:39志木

【コースタイム】 鉢形駅10:28~11:04折原駅北踏切~11:14車山参道登山口等高線130m~11:32車山226.9m・昼食11:54~11:55北尾根下り口~12:19折原小学校西~12:30鉢形城跡12:47~13:10鉢形駅
[歩行実時間(休憩を含む)]  2時間42分

【コメント】
1. 山行の目的 
新型コロナ感染第2波で埼玉県外に出ることを控えるため、日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうち未踏の低山である車山に単独で登ることにした。寄居町のHPによれば「鉢形城歴史館駐車場から西に目をやると、最も手前に見える低い山並みが確認できます。それが、車山です。標高226.8mで、その山頂からは鉢形城の曲輪(くるわ)がよく見えることから「くるわやま」と呼び、車山となったとする説と、鉢形城攻めの際、本多忠勝が28人持ちの大筒を山頂に据付け、鉢形城の大手門を破壊したといわれていますが、その際に轍ができたことから、その名が付いたという説があります」とある。鉢形城跡には20年前に訪れた。その後も何回か車上から眺めたがすでに忘却の霞が城跡の記憶を覆っている。久しぶりに歩いて歴史を辿るのも面白そうだ。

2. 天気・体調・装備
2.1. 天気・気温
気温が高く熱中症に注意が必要な寄居町の天気であった。 曇のち晴 真夏日 最高34℃最低23℃ 降水確率10% 風 日中北の風

2.2. 体調
不調なところはなにも感ぜられないが後期高齢者であるので無理はしない。

2.3. 装備
一般的ハイキング装備・足拵え/トレッキングシューズ・薮対策/手袋、日焼け止め・麦藁帽子、熱中症対策に生理的食塩水を調合して1.5Lほど持参し、1時間ごとに口を潤した。

3. コース
3.1. 見どころ
車山の頂上に三角点と石祠がある。展望はない。鉢形城跡には鉢形城歴史館があるので広い城跡を巡った後で余裕時間があれば訪れたい。また例年5月には寄居北条まつりが盛大に催されるとは伊藤さんの情報である。今年はコロナで中止になった。なお鉢形駅から鉢形駅入口までのR253は埼玉県で最も短い県道とのこと、話のついでに歩くのもよかろう。

3.2. ハザード
3.2.1 道迷い
最善の車山登山口がどこにあるのかは下山後の今も不明である。車山参道入口を見つけたが入口上にお住いの高齢女性のお話では「使われなくなって久しい」とのことである。「学校から道がある」と勧められた。そこで今回、折原小学校西に下ってみたが植林地から畑地に出ると徒歩道・踏み跡が見つけられなくなってしまった。東電の送電線鉄塔が複数立っていてそれらの巡視路があるのでどこかに取り付き口があるはずだ。下山後に見つけたネット記事には車山参道と折原小学校の間にハイキング登山口があり車山に楽々登ったという。Google earth上にトラックログを貼り付けた記事もあった。Mapfanの最新地図で道路を検索するとこの登山口へのアプローチも複数あるようである。なお巡視路や尾根道は明瞭であるし、頂上から折原小学校近くの植林地までは赤テープ、黄色テープの目印がそこここにあり辿れば少々の薮でも迷うことはない。

3.2.2. 薮・倒木
車山参道を少し登り倒木を1回潜ると細竹の密薮が前をふさぐ。ちょうど踏み跡が左右に分かれるところだ。右の踏み跡を選んだが巻き気味に下り始めたので左に登り密薮斜面に取り付いた。青竹と枯竹が混じりあい、密薮を掻き分けるのに少々難渋した。幸運にも獣道を見つけて密薮から徒歩道へ抜けることができた。左側の踏み跡に入ればもっと楽に徒歩道に合流できたのかもしれない。車山頂上から小学校への下りも傾斜が緩くなると笹で踏み跡も薮めいてくる。前を見通せないくらいで大したことはない。

3.2.3. 岩場・急坂
岩場、急坂、細尾根はなかった。あまり急でない坂に太いロープが張ってあるので驚いた。

3.2.3. 暑気
標高227mの山で風がないとなるとやはり気温34度の暑さはこたえる。鉢形駅入口から登山口まで、折原小学校西から鉢形駅入口までのダンプトラックが疾走する舗装道路の脇を歩くのもつらかった。指先が凍えても冬に訪れたい山だ。

3.2.3. 薮蚊
小さな薮蚊がしじゅう纏い付く。刺されるととてもかゆい。防虫剤が有効であった。

4. 歩いてみての感想
鉢形駅から歩いて、日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうちの車山の頂上をどうにか計画通り踏むことができた。満足である。今回の車山参道と折原小学校下山コースは薮になれた低山マニアなら何でもないがハイキング愛好家には勧められない。楽々コースとその取り付きもあるらしいのでそれらを探してほしいと思う。

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     (写真 礒田武志)
 
 6. 記録
6.1. 鉢形駅から折原駅北踏切を経由して車山参道登山口まで
鉢形駅の南口に出るとまずは黄や赤の傘を広げ座り込んで駅舎などを写生している小学生と引率の先生の一団に出会った。邪魔をしないように進む。この道は県道253号で埼玉県で最短の県道である。県道30号に出て右折(西へ)する。青空にノウゼンカズラの橙色が映えて美しい。しかし暑い。日陰を探して車道の左へ移ると背後から大型ダンプに迫られて何度もヒヤリとした。鉢形城跡東交差点を左折(南へ)して県道294号を進むとまた交差点に出会う。県道294号は西に分かれ折原小学校の方へ向かうが車山へはそのまま直進だ。遠くに車山が見える。路傍にナンテンハギの群落を見て落合橋に向かう。落合橋からは車山が大きく見える。坂を登り八高線折原駅北の踏切に(標高121m)を渡って仙元名水道標の矢印方向に歩む。晩夏の舞姫ウスバキトンボがイヌタデのピンクの花の上を飛んでいた。T字路を右へとり太陽光発電所下を歩むと車山の麓の三叉路に出た。さてどちらに曲がろうかと見回すと車山参道と書いた錆びた鉄の道標があった。その矢印の正面先に倒れている道標も見えた。近寄ってみるとやはり車山参道と書いてある。ここが登山口と坂道を登ろうとしたら右手上のお宅の庭から声がかかった。風が通る木陰の下、椅子に座って寛がれている年配の方だ。お話では「手入れをしている方が亡くなって参道は薮に変わり、さらに上から水が流れて道がない。学校からの車山登山道の方がはっきりとしている」とのことであった。助言に従って一旦、小学校へ向かったがネットで「そのコースも笹薮道」と報告されていたのを思い出した。引き返して「同じ薮ならここから掻き分けて登ります」と声をかけた。なお錆鉄道標のあった三叉路を左に曲がり送電線下に進んだら巡視路入口を示す黄色杭と法面を上がる階段があったかもしれないとは後の思いである。登山口の周囲に駐車できるスペースは見当たらなかった。

6.2. 車山参道登山口から車山頂上まで
お話の通り参道は踏み跡程度で笹が生え、水も踏み跡を削っていた。参道の面影はない。だが小さいが新しい境界標赤杭が打ってあるので作業をした方が最近通過していると思われる。踏み跡は密薮の手前で左右に分れていた。密薮が幾分薄い右へ進むと次の赤杭が見つからくなってしまった。しかも踏み跡は巻き気味に下っている。左の沢へ行くべきだったのだ(下山後地形図実線確認)と唇を噛む。引き返さず密笹薮に入って少し登ると目の前に小獣の踏み跡があった。獣道を辿って左(沢側)へ密薮の中を回り気味に登るとはっきりした徒歩道にでた。なんとこの徒歩道は巡視路に多い黒プラ階段で、麓から這いあがってきているようだ。徒歩道を登るとすぐに送電線鉄塔に到着した。やはり階段道は東電の巡視路なのだろう。鉄塔から笹が濃くなった。登り道と下り巻き道に分かれる三叉路に出た。登り道を選ぶ。登り道は土壌の関係か笹が薄くなりに参道らしくなってきた。ただし蜘蛛の巣や糸が次々と顔にかかりうっとおしい。楢に巻かれた太いロープが道を這って山上に延びている。幹の皮の盛り上がりからみて相当前に結ばれたものに違いない。地形図実線合流点に気づかず楢林の中の急な登りにかかる。2分ものぼると車山の山頂に着いた。木に囲まれて展望はない。空き地の正面に石祠と三角点、左手に「正芳寺東国寺」道標矢印があった。ここに大筒を据えて砲撃したのだろうか。

5.3. 車山頂上から折原小学校西まで
纏い付く小型のやぶ蚊を虫除けで追い払って石祠の裏で昼食をとった。木々の隙間から南方向を望んだ後、道標に従い正芳寺東国寺方向へ下る。1分も歩くと右に赤テープ目印と赤境界標杭がある。これらを目印に北(右)に小学校方向へ延びる尾根を下る。急な下りの左右に古いのやら新しいのやらテープがそこここに付いていた。傾斜が緩やかになると楢林の林床に細い笹が増えて薮めいてくる。里から正午のチャイムが響いてきた。笹は徐々に濃くなるが要所に赤テープがあるので踏み跡を間違えることはなかった。
ところが杉植林の中にはいり林床が平坦になると踏み跡が幾筋にも分かれ、赤、ピンク、黄色、青と色とりどりの目印テープがそこここに散らばって現れた。黄色のテープは東電巡視目印と察して右手に曲がる。杉林の縁に出ると踏み跡がT字に分かれる。踏み跡が濃い方を選んで進むと送電線鉄塔が薮越しに見えた。またして三叉路になる。薮が薄い方へ導かれて(右手に曲がったら小学校へ直進できたかもしれない)「樋口線41号に至る」という標柱に出会った。巡視路をたどっていると安心した。杉林に入り込み徒歩道は登りとなる。下ると徒歩道が水で抉れて脇の深い溝に崩落し狭くなっている場所があった。ようやく植林を抜けて畑地の沿って流れる水路に出会った。橋を渡ると道が道でなくなり踏み跡が消えた。畑の中を直進すべきか、水路脇を左右のどちらに行くべきか迷った。結局、水路下流の民家に向かって進む。どうも遠回りさせられているようだ。ここが小学校からの登山口かとも思える橋に出会う。結局畑の畔を直進して民家の裏にたどり着き軒下を通らせていただいて小学校裏からまっすぐ南に走る道に出ることができた。振り返って車山の方を見ると折原小学校からの道が畑地を貫いて用水路まで行っているように見えた。地形図のどの実線を選ぶかは最新の情報がないと決められない。また目印が続く踏み跡が実線や破線をトレースしているとは限らない。試行錯誤を余儀なくされるようだ。

5.4. 折原小学校西から鉢形城跡を通って鉢形駅まで
R294坂本寺井線の折原小学校前交差点は左(西)に増善寺の石柱、右に折原交番がある。交差点を右折して薄曇りになった空を見ながら八高線踏切から鉢形城跡に入った。諏訪神社を左手に見て三の丸に沿う車道から車止めを抜けて歩道に入る。道標と案内図を見て鉢形城歴史資料館を目指す。ネット記事だとそこから車山がよく見えたという。鉢形城歴史資料館駐車場から車山を見たが靄のせいもあり前景の民家の邪魔などもあり、落合橋から見た車山の方が好ましかった。車山の標高と距離を考えると本多の大筒から威力がある砲弾を大手門に何発も集中着弾させることができたのかと色々考えてしまう。鉢形城跡から県道294号へ出て県道30号線へ向かう。鉢形城跡東交差点で寄居のほうから静かにゆっくりと歩いてきた若い男女の集団の後ろについた。細身のハンマーを持った女性もいる。何をしてきたのだろう、これから何をするのだろうと思っているうちに鉢形駅の手前で北に曲がっていった。鉢形駅入口の県道253号に着いたとき13:07発の電車が出て行った。追い抜けばよかったと悔やむ。次の電車は30分後である。 
(記:礒田武志)