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奥武蔵東秩父村 地蔵岳393.2m~観音山(北)~臼入山421.2m 

 観音山(北)山頂
  

【日付】2020年10月31日(土曜日)
【メンバー】 礒田武志: 1名 (新型コロナ感染拡大中 新座市累積感染者数120人)

【行動日程】      
【交通】アクセス
(往 路)志木[東武東上線]07:17-08:04小川町/小川町駅[イーグルバス]08:14-08:35東秩父村役場入口  
(復 路)東秩父村役場入口〔イーグルバス〕14:18→14:42小川町14:53→15:39志木

【コースタイム】 
 東秩父村役場入口8:39→9:42地蔵岳9:44→10:02観音山(北)10:31→10:31地蔵岳→11:16東秩父村役場入口→奥沢神社→11:52奥沢神社奥宮(昼食)12:13→12:34臼入山421.2m→官ノ倉山分岐→臼入山13:02→奥社→13:38奥沢神社14:48→地蔵堂→14:00東秩父村役場入口
[歩行実時間(休憩を含む)]  5時間21分

【コメント】
1. 動機・目的  
日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうち、東秩父村で登り残していた観音山と記録し忘れていたかもしれない臼入山を東秩父村役場入口バス停を結び目にして往復散歩をする。埼玉県の山201峰のうちには武甲山をはじめに観音山、男岳、女岳など採石で頂上部分を失ったり無残な姿になった山々がある。名山の武甲山は昔、何度かコースを変えて登り、大採石場を見下ろしてチチブイワザクラを探したこともある。ハイカーに疎まれている採石場になっている観音山、男岳、女岳なども訪れてどんな様子か見てみたかった。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
31日の天気予報は「高気圧に覆われ関東は日中は日差しが降り注ぐ。最高気温は全国的に平年並みの予想で20度前後である。東秩父村は晴、最高18℃、降水確率0%、北西の風後南東の風」であった。観音山、臼入山では予報通りの好天であった。

2.2. 体調
降車したバス停で軽く動いて膝腰をチェックし、帰りは奥沢神社の階段に座って血の巡りと筋肉に異常なところはないか調べた。快い疲れが残っているだけであった。なお新規コロナウイルス流行中であるから後期高齢者一年生の私も特に電車とバス内ではマスクをかけた。

2.3. 装備
一般的ハイキング装備/トレッキングシューズ、昼食、水(1L、予備を含む)、帽子、手袋・長袖シャツ・長ズボンで薮に備えた。

3. コース
3.1. 見どころ
立派な植林地の中では360度の絶景は望むべくもない。観音山(北)山頂の雑木の間から採石場を挟んで観音山(南)や仙元山の山筋のみが見える。臼入山も展望に乏しい。頂上から見渡せるのは北東の平野、西南西の二本木峠の尾根筋に限られる。展望は諦めて観音山(北)山頂の紅簾石の大岩や臼入山の奥沢神社、奥社、妙見堂、地蔵堂は地元の方のパワースポット巡りはどうであろうか。前に立つとそんな気配を感じた。なお観音山(北)の頂上尾根に近づくと「ヒカゲツツジ保護地(予定地)東秩父村教育委員会」という看板が間隔をとって幾つも立っている。近場では三峰神社妙法ケ岳で花を着けた小薮を、遠くは別子銅山跡で満開の黄色に見える大薮を見た。これらの看板の近くにそれらしい姿はなかった。もしあれば大群落である。気候変化、伐採や採石で消滅したのかもしれない。残念であった。

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
登山口に立つことができたら登山は90%成功という人がいる。当初はネット情報にあった橋場バス停で下車して薄い踏み跡の観音山登山口を探して取り付こうと計画した。不安を覚えたのでネット情報を検索したら東秩父村役場の駐車場から向堀に歩けば東電巡視路入口があるという。
国土地理院電子地図(地形図)にはそれらしい破線や実線がないので道迷いを覚悟して登山口を見つけることにした。目印は来迎寺、墓場を抜けて送電線鉄塔を目掛けて行けば巡視路入口の近くに出るに違いない。そんな考えで農道を進むとどん詰まりの空き地に水路を跨ぐ作業道入口があった。結果として正解であった。しかしもっとわかりやすいアプローチがあることが復路で分かった。巡視路入口から流れ出る水路に沿って三叉路を過ぎ、もう少し道なりに歩いて東電鉄塔巡視路を示す黄色杭が刺さる変則五叉路から広い車道に出て右(南)に歩けば東秩父村役場の隣のJA裏手になる。これを逆に里道をたどってくだされば歩きやすい。曰く言い難いのでサムネイル写真のトラックログを見て欲しい。もちろん少々道迷いしても向堀集落の中だから不安になることはないとは思う。
観音山の東尾根から地蔵尾根へ向かう分岐を見落としてしまい東尾根をずいぶん進んでしまった。地形図を見ると東尾根の先端には採石場がある。関係者が境界を示すために杭を打ち、巡視した踏み跡を残しているのかもしれない。往路で見た「ヒカゲツツジ保護地(予定地)東秩父村教育委員会」の看板や黄色杭が分岐を越えて東尾根に設けられている。安易にこれらを追っていったので迷いこんでしまった。分岐に赤テープなどの目立つ印を残しておくべきだったと悔やんだ。
地蔵岳から落合・坂本に至る尾根にある向堀への分岐点は尾根から降下する時には注意しないと通り過ぎてしまう。小さな目印があるだけだ。観音山の東尾根から地蔵岳尾根へ向かう分岐を見落して10分程ロスした後だったので同じ間違いをしないよう気を配って目印を見つけることができた。いずれも逆コースなら問題とならない。なお東秩父村役場前バス停から奥沢神社をへて臼入山を往復する参拝兼登山道は迷いようがない。

3.2.2. 薮・倒木
昨年の台風19号の影響が残っているが二山ともに邪魔になる倒木や薮はほとんどない。 

3.2.3. 急坂・岩場
巡視路を利用したので急な斜面には電光道が切ってある。地蔵岳尾根が観音山の東尾根と合流する辺りが岩っぽい。邪魔する大岩はない。

3.2.3. 暑寒
問題なし。

4. 歩いてみての感想
日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうちの観音山(北)の頂上を踏み、三角点のある地蔵岳と臼入山にも登ることができた。満足している。
登るのが難しいと思っていた観音山(北)は向堀集落から東電巡視路を利用すれば地蔵岳を通って無理なく散歩できることも分かった。
観音山の山頂部は評判通り大きな谷に変わり観音山(南)と分断されていた。良質珪石の露天鉱山とのことである。人間の営みで未経験で大規模と感じれば受ける衝撃も大きい。考えてみれば観音山の周りの黒木の植林は採石場よりもっと大規模な人工物であるし、頂上から展望できた平野の農地こそ自然を人工に変えたものだ。これらは子供のころから見慣れた風景でむしろ親しみをを感じる。それに比べれば露天掘りの谷は小さい小さいと言えるかもしれない。閉山した時里山に復元する努力を惜しまずにと祈る。情緒感情に乗って批判オンリーにはなりたくないものだ。

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(写真 礒田武志)
 
 
 5. 記録
5.1. 東秩父村役場前バス停から地蔵岳まで
東秩父村役場前バス停から車道を横断して大門橋に向かう。大門橋から覗く槻川には澄んだ流れに落ち葉が乗って下に旅立っていた。左手の大きな駐車場は空であった。東秩父村役場、次いでJAの前を通り、広い道とのT字路にでた。ネット情報にあった左奥の来迎寺の赤屋根を目指す。墓場脇の轍跡を辿ってみる。高圧送電線下を通り、道なりに右折、さらに道なりに右折する。今度は山に向かって左折し最奥の民家の前を過ぎると道のどん詰まりに登り口らしい小道がある。さらに谷奥の斜面見上げると送電線鉄塔が立つ。東電の巡視路と思うが黄色杭が見当たらない。水路に架かる小橋渡ると杉林の中に歩きやすい作業道が続いているのが見える。

斜面から作業道に数本の杉が倒れ覆っている。昨年の台風19号のせいだろう。歩くのに邪魔にはならない。水路に架かる小橋の手前に東電の黄色標杭を見つけて巡視路と確認し安心した。頭上にあるはずの送電線は杉に隠されて見えない。水の流れが細くなり巡視路は谷から北の斜面へ移り、それを登ると支尾根に出た。右手に鉄塔が見える。東電黄色標杭には西上武幹線秩父線92・18号に至るとある。支尾根の上の道は予想外に広い。まだ標高を稼いでいないので下界から車の走行音が響く。里山らしい。斜度が上がると電光道になる。谷を挟んだ南の斜面から黒い獣が逃げ出してゲゲゲと私を威嚇、猪か? 里に獣除けの柵はなかったが巡視路に鹿か猪の寝床が多数あった。鉄塔90号標杭を過ぎると平坦な尾根道は谷側巻き道に変わる。巻き終わり登ると主尾根に合流した。合流点には小さな赤ビニールテープが巻いてあるだけだ。これでは見落としてしまうかもしれない。橋場から直登して観音山から北の坂本へ向かう当初コースとは逆の当日コースを選んでよかったと思う。
南へ広い作業道が続いている。地形図通りのアップダウンが始まる。最初の瘤のあたりは楢主体の広葉樹雑木林で太い藤蔓が2本ほど道を塞いでいた。2番目の瘤で南南西へ、この辺りの檜林には赤松が混じる。尾根が細くなったが歩きやすい道が続く。3番目の瘤へは尾根道と巻き道が別れる。なるほど無駄な労働は避ける作業道と感心した。先ほどから犬が何度も吠えてうるさいなと思っていると銃声が2回轟いた。狩猟は11月1日開始が常識だが既に始まっているようだ。再び尾根道と巻き道の分岐にでた。地蔵岳へは尾根道と判断して登ると頂上に着いた。

5.2. 地蔵岳から観音山(北)まで
地蔵岳頂上には三角点393.2mがあった。ヒノキ林の中で展望は全くない。早々に頂上から下る。巻き道と合流した。ここには赤杭が刺してある。作業道が明るくなるとコウヤボウキが増えてきた。登り着いたところは尾根で三叉分岐になる。踏跡は東と南西に向いている。コンパスを見て南南西へ歩む。尾根道に岩が出てきたが邪魔にはならない。また赤松が増えて松葉が踏み跡を覆っている。プラ杭の色が黄色に代わった。「ヒカゲツツジ保護地(予定地)東秩父村教育委員会」の看板が出てきた。保護看板は都合、3枚、倒れているものもある。「秩父鉱業の立ち入り禁止・発破注意」の看板も立っている。なるほど保護地看板や黄色プラ杭も秩父鉱業敷地内に立ち入らせないようにするためか。目の前が明るくなり右手に赤色の珪石露頭が出てきた。観音山(北)の山頂はすぐそこだ。

5.3. 観音山(北)から地蔵岳 
観音山(北)珪石露頭の前はちょっとした広場になっている。GPSの表示では標高435mである。ところで東の薮中に使途が分らぬ物体と測尺とおぼしきものがある。この尾根の踏み跡はこれらを使う作業や境界巡視のために関係者が歩いてできたのでハッキリしているに違いない。西の珪石露頭の背後の暗い林には橋場からの踏み跡があるのではと落ち葉の上を探してみたが見つけられなかった。広場からわずかに南の方向が開いている。茂った小木とススキで視界が塞がれているがススキの穂の先に見えるのが観音山(南458mと460m)から仙元山に続く尾根だろう。草木の隙間を探して崖下の珪石採石場を覗いた。ネット写真より狭い範囲しか見えない。それでも遠くの重機やそのまわりの様子が観察できた。このような採石場だが地形図で足下に崖記号がないところを見ると電子地図の作成・改定後に拡張されたと思われる。
観音山(北)から往路を下る。尾根道の岩を確認して、右手採石場側の立入禁止の看板や保護地(予定地)の看板と黄杭の行列を辿っていたら東尾根にずいぶん入りこんでしまった。GPSで414mの地点から岩まで引き返し左手地蔵岳側を注意しながら再び東に進んで分岐を見つけた。北北東尾根へ下り、5分ほどで地蔵岳の尾根道・巻き道分岐に着いた。復路は気分を代えて巻き道の様子を見てみた。


5.4. 地蔵岳から東秩父村役場前バス停まで
地蔵岳の尾根道と巻き道合流点を過ぎ、往路に通った瘤を順番に越してゆく。北東支尾根を下って巻き道をショートカットしようとも思ったが下降点を見つけられるかの方に気が向く。見覚えのある太い藤蔓を2か所で確かめて落合・坂本の方へ帰る。無事に主尾根の小さな目印テープを見つけることができた。気分よく斜面を下って巻き道に入る。見つけていた赤い実を着けたテンナンショウを撮影し余裕をもって下る。巻き道に残る鹿の寝床にはまだ乾いてない蹄跡が幾つかついていた。巻き道から尾根道へそして支尾根から谷へ下る。谷の沢に水が湧き出し、流れとなって次第に水路に変わる。水路に堰堤や小橋そしてプラ水道管やタンクが現れると向堀集落が近づく。杉の倒木の下をくぐって巡視路入口に出た。水路に沿って集落の中を道なりに歩く。鈴なりの熟柿が青空に映えて美しい。T字路にでた。往路は右(南)から来たが復路は左(北東)へ行ってみる。交差点(変則5差路)について見たらここに東電黄色杭が電柱に並んで立っていた。交差点が巡視路の入口なのだ。路傍の畑の畔に植えられたムラサキシキブと菊が目を奪う。カラスウリが鈴なりにぶら下がり、これも青空と赤実のコントラストが里の秋を飾っていた。ノスリような大鷹が畑の上を舞って西の森の方へ去っていった。広い車道を右(南)へ向かう。JAの裏手から左へ曲がって東秩父村役場の前を通る。東秩父村役場の広い駐車場は今もガラガラであった。大門橋を渡り車道を横断してバス停に着いた。


5.5. 東秩父村役場入口BSから臼入山山頂まで
当初計画では地蔵岳から坂本まで下って坂本から臼入山に登る予定だった。変更したプランでも坂本まで歩いて登山口を探すつもりであった。しかし奥沢の集落の風情があまりにも秋らしかったので東秩父村役場前バス停のある奥沢から登ることに変更した。
奥沢神社入口から里道に入ると実が爆ぜたマユミが飾る鳥居前にすぐ着いた。急な階段の下に大きな看板で奥沢神社由来が掲げてある。熊野系の神社なのだ。階段を休み休み登ると最後の階段の上の広場に立派な奥沢神社が見えた。拝礼して祈り色々お願いをする。社殿右は下り道、左の尾根に奥社の参拝に向かう登り道の入口があった。入口からすこし上までは植林が孟宗竹に襲われて参拝路脇にも子孫の細竹が生えて道を狭めていた。最近の里山に多い。竹林侵略を過ぎると広葉樹に挟まれた幅広の里山道になる。最近は登る人が少ないのか鹿の新旧ベッドが点々と見つかる。注意してみればところどころのアオキが坊主になっていた。雑木林に挟まれたゆるい傾斜の参拝路に木漏れ日が揺れる点々マークを作り、それを踏んで登ると心がグーっと安らぐ。2羽ののカケスに囃子立てられても漫歩ができた。参拝路が巻き道と尾根道に分れる。尾根道に駆け登って奥社に着いた。
小さな祠と思っていたがここも立派な新社殿がある。中は覗けないが2拍1礼してここでもお願いを重ねた。拝殿の正面を外して座り昼食とした。食事中に鳴った正午のチャイムはピアノ演奏に聞こえたがどうなんだろう。至福の時間を過ごした後、立ち上がって出発したが奥社からは吃驚するほど道が狭くなる。とは言え普通幅の登山路だ。臼入山山頂に到着した。

5.6. 臼入山山頂から東秩父村役場入口バス停まで
臼入山山頂の空き地には山名標、三角点421.2m、道標の三点セットがある。坂本へ下る道標を確認する。坂本からここに登ってくる予定だった。山頂は木に囲まれているが樹の間から北東方向に平野、西南西に向かいの尾根が見える。未経験の道を歩きたいので東のコルにあるはずの南北に延びる峠道を探す。山頂から官ノ倉山方向ヘ下ってコルを丹念に調べたが見つからず次の尾根に着いてしまった。ここには官ノ倉山の道標あり、奥沢へ谷を下る破線路は見つから無かった。結局、臼入山山頂から来た道を下ることにする。
道なりに下っていると自然に奥社分岐を巻き道に入った。右手上に社が見えたので引き返し参拝してお礼する。下っていくと谷側への分岐路あった。谷の林道へ下ることができるのかを確かめるため踏み込んでみるとすぐに道が消えた。引き返して参拝路に戻る。ゆっくり歩いて奥沢神社に帰着した。
階段の上でバス時間待ちの時間調整休憩をした後、階段左手の妙見宮から奥沢集落へ下る。途中には地蔵堂とお墓があり谷に下ると水路に沿った林道が地形図どおりに谷奥に延びていた。林道を登り返してどこまで行けるか調べようと瞬間思ったが林道に生える草木を見て無駄な努力とあきらめた。空き家のネットフェンスから覗くカントウヨメナの花群を見て東秩父村役場入口バス停に向かう。バス停のベンチに座ってバスの来る方を見ていると官ノ倉山から下山してきた熟年夫婦が時刻表を見て「バスにジャスト」と喜び合っていた。朝からほのぼのとした小さな秋を見つけた1日となったようだ。
 
(記:礒田武志)