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武蔵飯能 久久戸山538m~堂平山520m

 飯能の堂平山山頂
  

【日付】2020年12月24日(木曜日)

【メンバー】 礒田武志: 1名 (コロナ第3波新座市累積感染者数261人)

【行動日程】      
【交通】アクセス
(往 路)志木(東武東上線)06:54⇒06:56朝霞台/北朝霞(武蔵野線)07:04⇒07:15新秋津/秋津(西武池袋線)07:28⇒07:59飯能(西武秩父線)08:22⇒08:47吾野  
(復 路)吾野14:09⇒14:30飯能14:34⇒15:07秋津/新秋津15:24⇒15:35北朝霞/朝霞台15:43⇒15:45志木

【コースタイム】 
 吾野駅8:48→9:07東郷公園入口→9:37小床峠入口→9:41滝不動→9:42林道するぎ線起点9:44→9:48小橋→10:06作業道終点→10:15スルギ→10:26久久戸山538m10:27→10:47山の神→11:04六石の頭→11:14堂平山分岐→11:27堂平山520m(昼食)11:47→11:58堂平山分岐→12:08高反山分岐→12:28三角点522m→12:52石祠・林道→13:00前坂登り口→13:48前坂→13:45墓苑→13:48吾野駅
[歩行実時間(休憩を含む)]  5時間00分

【コメント】
1. 動機・目的 
 コロナ禍でおとなしく近場の山を歩いている。
・日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうちの登り残していた飯能市の堂平山(ドウダイラヤマともドウヒラヤマとも)の頂上を踏みたい。
・また青葉戸の小床峠入口から林道するぎ起点を経てスルギに登り吾野駅~吉田山~小床峠~滝不動と結んで周回ができるのか確かめたかった。
・当日であったが地形図にあるスルギ尾根の旧コースが久久戸山538mを通っていたのではないかとふと思った。指折り数えてみれば今回で4度もスルギ尾根を歩いている。果たして久久戸山を踏んでいるのかと疑念がわいた。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
 24日は低気圧や前線が日本を通過し、南から湿った空気が流れ込んだ。関東地方は晴れ間があり現地の飯能市の予報は「最高気温12℃、最低気温-2℃の冬日で西の風後南西の風が吹く晴れ」であった。実際の天気は山に入るころに曇りとなり弱い日差しが時々ある程度であった。吾野駅の辺りでは朝霜が降り、帰路ではあったが吾野湧水の水溜まりはまだ凍っていた。

2.2. 体調
 往路の吾野駅から滝不動の間でセルフチェックをし、どこにも問題・異常はないと確認した。風はなかったがウインドブレーカーをアウターに、手袋をつけて歩き始めの寒さに備えた。
 平日であったせいか新規コロナウイルス第3波の中であるのに乗換駅である朝霞台/北朝霞、新秋津/秋津の人出には驚かされた。後期高齢者の私は通勤や通学の方が少ない休日に山に出かけた方がよいと気づかされる。もちろん電車内、人混み、対面になる場合はマスクをかけた。

2.3. 装備
 一般的ハイキング装備でOKである。トレッキングシューズで足拵えしてスルギ尾根のアップダウンに備え、冬日の寒さ対策も常識通りでよかった。

3. コース
3.1. 見どころ 見どころは写真で
・展望 稜線を歩くことが多いのだがほとんどが黒木の植林内であるので好展望は望めない。わずかに三角点522m周辺で吾野鉱業の石灰採掘場や子の権現が展望される。
・三角点マニア 三角点522mがある
・信心 滝不動、山の神、涎掛け地蔵、石祠など
・遺跡・歴史的建造物 滝不動ぐらいだろうか
・自然・動植物 斜面を覆う山茶、また尾根筋の薮椿など山里の暮らしを偲ぶ植物が林床となっている黒木の場所もある。

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
 林道するぎ線からスルギに至る地形図破線路は林業作業路が設けられて消滅している。まずは沢筋の林道から左の林業作業路へ渡る古ぼけた小橋を見つけるのに注力する必要がある。橋を渡って林業作業路に乗っても、水で掘られて路面が荒れていること、獣道が縦横にある上に作業路は電光道になっており、屈曲点は三叉に分岐していることに注意を払い、一途に南へ進めば、まず道迷いはないと思う。作業道を上下する人もあるのか、踏み跡の濃淡も助けになる。獣道も多数交差しているので人獣の見分けも肝要である。また三叉路では、コンパスでスルギの方向すなわち南へ登っていることを確認することを勧める。逆コースならば、三叉路では作業路を谷へ谷へと下れば林道に出られる。登りの際は尾根にでて作業路末端まで来たら、後は一本道で迷うことはない。

3.2.2. 薮・倒木
 小床峠から下った経験から、林道するぎ線起点からの破線路は薮に変わり足元には倒木や間伐材が散らばり、かつ塞いでいると予想していた。だが幸運にも予想外れで林業作業道の路面が水荒れしていた程度で薮・倒木はなかった。

3.2.3. 急坂
 スルギ尾根のアップダウンにある急坂については本年初めに新座山の会HPに掲載された「子の権現」を閲覧していただきたい。なおスルギ尾根の要所にはロープが張ってある。

3.2.3. 寒さ
 冬日であったがまだ厳冬にいたらず、強風・積雪・結氷もなく無理せずに歩けた。

4. 歩いてみての感想
・日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうちの飯能の堂平山の頂上を踏むことができた。満足している。
・林道するぎ線起点からスルギまで地形図破線路の代替として林業作業路を活用し、吾野駅~吉田山~小床峠~林道するぎ線起点~スルギ~堂平山~前坂~吾野駅と思っていた通り今でも約6時間30分で周回もできると分かった。
・久久戸山に足を運んだがどうも記憶にない。帰宅して電子地図を閲覧したところ地図番号によってはスルギコースからはずれた派生尾根の山だった。昭文社の尾根コースも電子地図破線コースは現存なのだろうか。また地図読みも先入観・過去の話があると怖い。

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(写真 礒田武志)
 

5. 記録
5.1. 吾野駅から林道するぎ線起点
 吾野駅前に出た。電車で温まった体を寒さが突き刺す。志木駅では見なかった霜が楓の落葉を白く縁取っている。下車した人は2人のみであった。例の駅前店も開店前で寂しい。東郷公園の楓と同種との看板を見て線路沿いの徒歩道へ入る。霜はさらに白く広く降りていた。吾野鉱業前を過ぎ、東郷公園入口前に着いて子の権現への参道へ左折する。吉田山から下ってきたときに気になった枝から垂れる苔を撮影した。これまでに歩いたアジア・オセアニア・アフリカ・アメリカの雲霧林と比べて侘しいと思ってしまうのは悲しい。薄くても緑のベールは美しい。道路に柚子の皮が散乱すると小集落になる。猿がうろついているのだろうが柿が残っているのが不思議だ。白壁の家の隣が小床峠から降りて来た階段になる。地形図で見ると昔は階段の奥に一軒あったようだ。12月6日に下って来た時は薮に隠されて形跡もわずかしか見えなかった。昔、繁盛していた浅見茶屋はどうなっているのだろうか。ネットでは営業していないと書いてあったが。滝不動の赤い建物を過ぎて、すぐ上の林道するぎ線起点に到着した。林道を横断してロープが渡してあり、6日に見た色あせた通行禁止と書いた古ぼけた札が下がっていた。

5.2. 林道するぎ線起点からスルギまで
 前後左右を見まわして「どなたも見ていらっしゃらない」とみて「すみません。お邪魔します」と独り言を言って通行禁止の横断ロープを乗り越えた。杉植林の暗い谷間にある林道を道なりに進むと簡易舗装が終わり土道になる。砂利もはいっていないうえに路面は相当荒れている。左斜面に踏み跡がないか注意していると壊れかけた小橋を見つけた。相当古い。標高も約370mでスルギとは標高差130mに過ぎない。今ではここが登山口であろう。なお帰宅してトラックログを調べたところ地形図破線路の入り口はすでに通過していた。地図読みとはなくなった破線路をさがすことか?。橋を渡ると草に隠れていた林業作業道になる。思いがけなく広い。伐採作業車が通れる幅はある。「それにしては小橋の貧弱さ」と頭をひねった。作業道はまずはなんと北へ向かい、その後南へ曲がる。見上げると作業道はジグザグに斜面を登って道の端が階段のように連なっている。登ってゆくと、南北水平に作業が行われたのか電光路の曲がり角が三差になっているのがわかる。踏み跡が濃い南へ谷を右手に見ながら登る。獣の踏み跡も多い。また三叉路、次の三叉路、ここも三叉路と電光道を南へ登って尾根に到達した。遮るものがなくなったので吾野鉱業の重機音が聞こえた。尾根の上を少し歩くと作業道は終点G457mとなり徒歩道に代わった。5分も登ると見覚えある「立った大岩」が出てきた。前回、子の権現に初詣したおりにこの大岩までチェックに下って来たのだ。大岩を抜けると狸溜め糞がありその上には「寝た大岩」が出てきた。この岩の真ん中を抜けた記憶があるが右に濃い目の巻道があった。巻道が安全策かと思ったがやはり記憶通り抜けた方が良かった。巻道は足跡が散らばって消えている。尾根に登り返してスルギに着いた。

5.3. スルギから久久戸山を経て堂平山528m 
 スルギについて斜面を見上げてふと疑念が湧いた。「昭文社山と高原地図22 1998年版奥武蔵・秩父には赤破線のスルギ尾根コースが久久戸山538mを通過している。何度もスルギコースを歩いたが少なくとも3回は現在の巻道コースを歩いている。その前は尾根コースを歩いた時に久久戸山を踏んだのだろうか?」と。記憶を確かめるためにスルギから斜面を直登して尾根に出てみた。尾根には明確な踏み跡がついている。踏み跡を辿って久久戸山に向かった。山頂には久久戸山の手作り山名標や山名を書いた巻きテープもある。歩き良い尾根道の途中で、それらがなければ気が付かずに通り過ぎてしまうかもしれない。それにしても記憶がない。早々に道を引き返すことにした。直登してきた点には赤杭が刺さっていた。境界巡視に尾根が使われている。しっかりした踏み跡はコルまで続いていた。巻道コースから久久戸山へ登るにはこのコルからが良い。地形図では南に久久戸へ下る破線もある。
 当初計画通り巻道コースを辿って山の神分岐に着いた。山の神に登って2021年の登山安全を祈念して分岐に戻りアップダウンを繰り返す。山茶の斜面、それに続く馬酔木の薮、そして林床いっぱいに育った薮椿の尾根など気になる場所が多い。六石の頭について堂平山分岐がすぐそこだと心の準備をした。これまで分岐にある幾つもの手作り道標を見て「ここが堂平山」と勘違いしてきた。
 分岐に着くと真新しいトラロープが堂平山への尾根入口に張ってある。迷いこまないための措置だろう。今回は確信をもって堂平山へロープを越した。ロープの先の薮からは目印テープ続き、踏み跡もはっきりしている。コルを越して堂平山528mG524mに到着した。なんと檜植林の下に広い道が頂上尾根の東西にも走っている。木漏れ陽場所を探して昼食とした。食後分岐へ引き返す。コルには左右からも徒歩道が登ってきている。地形図には東の谷標高差20m下に民家がある。堂平山とその周りは登山者が生活を乱さないように配慮されているに違いないと納得した。

5.4. 堂平山分岐から吾野駅まで
 堂平山分岐に帰還してスルギ定番コースを下山する。1月11日に右折した高反山分岐は今回は通り過ぎた。尾根が細くなると左側に木立を透かして子の権現などの尾根が現れる。飯能アルプス道標を過ぎて吾野鉱業の採掘場が見下ろせるようになると奥武蔵の山々が現れる。三角点522mに着くと目の下の谷間の先に大集落も見える。細尾根の急降下が続くがロープが張ってあるので自分のペースで下れば怖くない。墓地まで来るともう気を休めてよい。涎掛け地蔵に真新しい涎掛けが着けてあった。林道に到着して左の石祠を見る。正月から1年近く過ぎたので注連縄も落ち寂しい感じであった。石祠から採掘場へ踏み跡を辿ってみた。なんということもない。なぜ踏み跡があるのかと考えこんでしまう。林道を下って前坂登り口に着き、徒歩道に入る。巻き登りになっているので息を切らすことはないが時間はかかる。尾根に到着してそのまま尾根道をすすむ。コルには峠道が地形図破線通り左右から横断している。使う人があるのかしらん。前坂へ道標に従って左折し斜面を登る。419m峰は西を巻く。飽きるほど歩いてようやく前坂に着いた。
 今回初めて気づいたのだが道標にある吾の五がエと読めるようになっていた。中々乙な道標である。前坂から「エロ野駅」へ下る。まずは広い尾根筋、次いで西斜面の電光道を延々と下る。目の下に墓苑が見えても急坂である。墓苑に降りてきた頃にはつま先が痛くなり、太腿も筋力が弱ったと悲鳴をあげていた。こんな里山歩きで、コロナ禍で衰えた筋力が回復できるのか心配である。吾野湧水の水場ではまだ飛沫の水溜まりが氷結したままであった。秩父線下の真っ暗なトンネル路を抜けてようやく無人の吾野駅に到着した。これで吉田山と堂平山とを結ぶ周回ができたことになったと喜び持参したワンカップで祝杯をあげた。とはいえ本日は誰にも会わなかった。
 
(記:礒田武志)