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飯能市 奥武蔵 川越山(ガンゼ山)780m~ツツジ山831m

 川越山(ガンゼ山)    ツツジ山   
  

【日  付】 2021年01月21日(木曜日)

【メンバー】 礒田武志: 1名 単独  新型コロナ第三波(新座市の累積感染者数 529人)につき

【行動日程】
【交通】アクセス
(往 路)北朝霞9:46~9:57新秋津/秋津10:07~10:16小手指10:20~10:38飯能10:43~11:17正丸  
(復 路)正丸16:25~16:59飯能17:08~17:25小手指17:31~17:40秋津/新秋津17:53~18:03北朝霞/朝霞台18:07~18:09志木

【コースタイム】 
正丸駅11:20~11:44正丸峠分岐~12:19正丸峠~12:42正丸山~12:49川越山(ガンぜ山)~706峰~13:36サッキョ峠~12:58旧正丸峠~14:07虚空蔵峠~14:32刈場坂峠~14:42ツツジ山~14:57小都津路山~15:07小ツツジ山~15:55三田久保峠~16:07三田久保峠入口~16:12R299~16:24正丸駅
[歩行時間(休憩を含む)]  5時間04分

【コメント】
1. 動機・目的 
日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうちの正丸で登り残していたかもしれない川越山とツツジ山とをつないで正丸駅周回をしたい。昭文社の「山と高原地図22奥武蔵・秩父1998年版」では、ツツジ山は三角点879.1m峰ではなくその南に延びる尾根の上の峰である。また「日本山名総覧18000の山」にあるのも標高831m峰である。とすると頂上を踏んでいないことになる。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
01/22(金)は留守番なので外出できない。飯能市の天気予報では「01/23(土)、01/24(日)の天気は下り坂、大雪も。ならば01/21日(木)はどうか。前日の天気予報では「高気圧に覆われて晴 冬日で最高10℃、最低-3℃で北東の風後北西の風」、好天予想の01/21に出かけることに決めた。当日の現地天気は予報通りであった。

2.2. 体調
志木駅から北朝霞駅まで歩いて、まずはセルフチェックを行った。寒さで指先が冷たくなる程度で体調は良好であった。なお新規コロナウイルス第3波、2回目の非常事態宣言のさなかである。だから後期高齢者二年生になりかけの私も電車内、人混みでマスクをかけた。往路のJR武蔵野線、西武線はガラ空きであったが、復路は西武線小手指から混み始め、乗り換え地の秋津・新秋津、北朝霞・朝霞台の間は「これでは密ではないか」と思えるほどの人の流れに混じることになった。マスクをかけて黙々と通勤される現役の皆様の努力に頭が下がる。

2.3. 装備
一般的軽登山装備で十分である。落葉堆積やザレが幾つもあるツツジ山からの急降下にはスニーカーよりトレッキングシューズで足拵えする方が良い。ロープ場もあったので滑り止め付手袋が重宝した。ワークマンで買えるもので十二分だ。無風につき頭はキャップで通したが寒中であるので耳当てがあればさらに良ったと思う。もちろん長袖シャツ・長ズボンで歩いた。

3. コース
3.1. 見どころ
・広葉樹が落葉し尾根筋からは武甲山や二子山など県立武甲自然公園の山々や、もちろん正丸峠も含まれる県立黒山自然公園の里山が展望できた。ただ檜杉植林に入ると期待薄である。
・マニアにとっては川越山とツツジ山の三角点は見落とせない。
・里山にしては碑、祠、社が少ない。大蔵集落の安産祈願の堂、正丸峠分岐の祠と申講碑および刈場坂峠の石祠があるくらいだ。今回、正丸峠の社には参り損ねた。
・途中の看板に「このコースは正丸峠から白石峠までを結ぶ古い峠道の一部であった」と書いてあった。峠を巡るのも一興か。
・採石場からであろうか重機や発破の音が響いた。この地域の石灰岩や珪石が関東の産業を支えている。
・もちろん江戸時代から黒山の杉や檜は西川材として関東地方に著名であった。植林地を歩けば歴史を感じる。

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
正丸駅~正丸峠~虚空蔵峠~刈場坂峠~ツツジ山までのコースは要所に道標が整備されている。また道標の間も赤やピンクのテープが下がって案内してくれる。徒歩道、はっきりした踏み跡を辿れば迷うことはない。舗装林道と徒歩道が交わる虚空蔵峠、刈場坂峠ではいくつもの踏み跡が少々錯綜している。方位を確かめて踏み跡を選べば良い。
ツツジ山から三田久保峠の間は道標も目印テープも数少なくなる。その上、徒歩道と幾筋もの林業作業道とが交差重複する箇所がある。目印がなくとも林業作業道の上や分岐では濃い踏み跡を選ぶことを薦めたい。踏み跡を辿ると薄・木苺の薮道に誘われるが短い時間で抜けられた。林業作業道から三田久保峠へ徒歩道へ移るポイントには道標がない。林業作業道を直進しないこと。

3.2.2. 薮・倒木
三田久保峠近くの切り開き(林業作業道か)が薄・木苺の薮に覆われている。足元にははっきりした踏み跡が続いているし、袖に触る薄や木苺を軽く左右にかき分けるだけで通過できた。なお今回のコースで道をふさいでいた倒木はツツジ山からの下りで跨ぎ越した1本だけであった。

3.2.3. 岩場・急坂
埼玉県公社林の中であるせいか急坂には木段が設けられている。ただ杭や土止めが流れている箇所も多い。路面のザレで足を滑らせて5回は尻餅を突いた。長い木段の坂にはトラロープ等が設けられている。木段やロープがない下り坂には左右の杉の並木が活用できた。あるものは何でも使えである。なお岩場は全くない。

3.2.3. 寒さ
寒波も通り過ぎて霜も降りておらず、路面の氷結もわずかであった。風も1m/s程度でヤッケ、キャップ、手袋で体温を確保し、汗ばみ始めるとヤッケを脱いで歩くことができた。

4. 歩いてみての感想
・正丸駅周回で、日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうちの川越山(がんぜ山)とツツジ山(831m)の頂上を踏むことができたので満足している。
・ツツジ山(879.1m)~正丸駅までのコースを始めて歩いた。1998年版山と高原地図では赤破線どころか茶破線も記してなかったが、埼玉県や飯能市が設けた道標やはっきりした踏み跡などがあるのには驚いた。20年の間に一般登山路になったらしい。登って来た男性2人にも出会った。
・どうも川越山とツツジ山(879.1m)とは2度目のような気がしたので帰宅して山行記録をひっくり返してみた。1999年01月23日に旧正丸峠、関八州見晴台を歩いていて山と渓谷社分県登山ガイド10埼玉県の山34正丸峠の地図に歩いたコースをマーキングしてあった。やはり頂上を踏んでいたのだ。山と高原の地図にマークしてなく、かつ詳しい記録を残していなかったことを悔やむ。
・刈場坂峠から正丸駅へ下るコースにある「つつじ山」の表記が混乱しているのは面白い。まず三角点879.1mがあるのは山名標に従えばツツジ山、その南の831m峰の道標兼山名標には小都津路山、だがわざわざ小の上に張り紙で大と書き換え周りの木々に大ツツジ山と書いたテープを巻いてある。ここが日本山名総覧や分県登山ガイドのツツジ山である。さて、その南の峰には木に「小ツツジ山770m」と書いた手作り山名板が取り付けられていた。
・ネット上の山行記録では標高点620から三田久保峠の間のコース取りに注意せよとの趣旨の記述があった。林業作業道と登山道(踏み跡)が入り混じっているからであろう。上下する登山者が多いのか踏み跡は濃く、それを辿って無事通過できた。注意が必要なのは三田久保峠北の林業作業道から尾根巻道へ上がる地点かもしれない。
・三田久保峠入り口とはどこなのだろうか?R299から舗装林道に入るところなのか、舗装林道から沢に入る場所なのだろうか?よく分かる道標が欲しい。
・三田久保峠を下って沢から舗装林道に出る地点で、予定した電車発時刻まで18分しか残っていないのが分かった。正丸駅までをジョギングして辛うじて間に合った。計画外の706m峰往復をしたためギリギリとなったと思われる。日没時刻を勘案して選んだ電車であるがもうすこし余裕ある利用計画を立てておくべきだったと反省している。

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(写真 礒田武志)
 
5. 記録
5.1. 正丸駅から正丸峠まで
正丸駅の出札口を出て左へ、まず小用を済ませた。出て見上げた空には一筋の白雲もない。西吾野側へ向かう。霜も降りてないし、下る斜め階段左の沢も氷が張っていない。しかし階段の先のガードを潜ると谷間で日陰になるのでゾクッと寒さが襲う。ヒビだらけの簡易舗装道路を懐手で歩む。安産祈願のお堂を過ぎたころ宅配便の軽トラが私を追い抜いて谷の奥へ消えて行った。何度も歩いた道だが今日は登山者や住人の人影が全くない。寂しい。道路南側にある林業作業道入口に小型車両数台が駐車していた。一台に西川材のロゴが貼ってある。人声がなく沢音のみが耳に入った。下流では岸の木が伐採されて流れが見下ろせる。小滝の脇には飛沫で氷柱ができていた。柿の木にまだ実があるかどうか次々にチェックして歩いてきたがようやくまだ残果をつけて木を見つけた。ヒヨドリの声も聞こえるが姿はない。下って来た宅配便の軽トラとすれ違ったのはずいぶん前だと思いながら閉店中の中丸屋前を通り過ぎた。久しぶりの登山で予想通り足が重い。東斜面はところどころで日が当たり明るい。駅から予定通り24分で正丸峠分岐に着いた。女性が大蔵コースから出てきて不思議そうにこちらを見つめていた。なにか常識はずれなところはないかと身を正して右折した。
最後のお家の前で草取りをされている高齢女性に挨拶して正丸峠に向かった。簡易舗装が終わり、石道に入り、まずは申(猿)講の由来看板を見て狭い谷間を登る。石の間にたまった水が凍っている。滑らぬように石面を選んで登ると分岐道標に会う。斜面登路は遠慮して沢路に入る。関東ふれあい道である沢路は2019年の水害で荒れたようだが歩くに障害がないまでに手入れされている。3、4回は通った記憶がある暗い沢路を登り続ける。目前の斜面に林道の白いロードレールが見えて正丸峠がすぐそこと知る。沢の上部が開けて右手斜面には植栽された躑躅などが見える。今は冬で雑木の薮と見間違うが、花の頃は美しかったし、花が終わった後の草刈りに勤しんでいらした人たちの覚えがある。石道は気が付かぬうちに終わり土道からコンクリ階段道に代わる。休み休み階段を登って谷から左巻階段道へ入る。ありがたいことに階段道上部にはステンレスパイプ手摺が設けてある。感謝しながら階段を昇り詰めると奥村茶屋脇分岐に到着した。茶屋脇を回ると正丸峠に着くことになる。登山者駐車お断りと書いてある奥村茶屋駐車場から西を展望した。冷たい東の尾根風が頬を撫でる。何度も見た風景だが快晴は初めてのような気がする

5.2. 正丸峠から正丸山、川越山、旧正丸峠、サッキョ峠、虚空蔵峠を経て刈場坂峠まで
奥村茶屋駐車場から正面の階段へ向かう。左に広い作業道を分けて階段を登る。階段上には休憩所がある。デジャブなのだろうか。見たような記憶がある。日当たりの良い広い登山道を歩み登る。左に武川岳から二子山へ延びる尾根とその向こうに武甲山が見える。急坂に連なる木段を登り正丸山の山頂に到着した。行政境界上にある等高線780mの小峰だ。背中に汗が浮いてきたのでヤッケを脱いで正丸山山頂から下った。陽光降り注ぐ明るい尾根道で西に聳える武甲山と二子山の写真を撮りたいがナラなどの枝が邪魔をする。東の檜杉林からキツツキが木を叩く音がするが姿は見えなかった。

尾根漫歩を楽しむうちに川越山山頂に着いた。GPSの表示766.8mと地形図三角点標高766.4mとを照合した後、道標・山名標の文字を確かめた。太陽が寒さを消してくれたようだ。山頂から道標に従い東へ曲がる。広い尾根道に山栗の毬が散らばり残っていた。中の実はない。獣のせいだろうが周りに獣道や形跡がなかった。旧正丸峠へ下る。晴天乾燥が続いたせいか登山路にザレが浮いて靴底が滑り土煙が上がる。変哲もないコルが旧正丸峠であった。

木段を登り返し706m峰分岐に着いた。もうこのコースを歩くことはないかなと考えて支尾根にある706m峰に登ろうと東に向かった。踏み跡を2~3分辿ると尾根末端に着く。木に706Mと小さな標高点名標が着けてあった。歩く人がないのかその周りの苔ベッドが美しい。苔を踏みつぶさぬよう足を選ぶ。踏み跡を辿って分岐に帰還した。計画外の数分を使ったことになる。東から北へ曲がる。再び左手に武甲山と二子山とを望みながら歩んだ。等高線700m峰からの下りは地形図では想像できない位の急傾斜で、崩れた木段にロープが垂らしてあった。滑りやすいザレを用心してコルまで下る。見上げると登り返しも木段が見えた。コルにある道標にはサッキョ峠と刻んであり、尾根の左右に細い踏み跡がある。木段を登る。こちらは崩れていなかった。地形図では正丸トンネルの上を過ぎたことになる。道は737峰を巻いて北北東に延びる。ここまでは茶色の枯れ笹の茎が立つばかりであったのに青笹が道脇を薮にしているの驚いた。鹿がいないのだろうか。北から東へ方向を変えて巻道となった。再び北へ延びる尾根となり下ると東屋に着いた。

東屋の先には舗装林道と道標が見えた。林道側からは道標に刻んだ虚空蔵峠と字が読める。峠から舗装林道を進むと数分で牛立久保分岐に着いた。予定より22分遅れているので牛立久保ルートは諦めて舗装林道歩きを続けることにした(1999年01月23日に牛立久保を歩いていると帰宅後分かった)。曲がりくねる林道を車などが走る音が聞こえないかと注意しながら刈場坂峠に向かった。林道の左手上に白壁の家が透かし見えた。家屋が次第に連なる。林道出口の先が刈場坂峠である。通って来た林道の入り口には通行止めの看板が立っていた。なるほど車やオートバイが走っていなかったわけだ。無駄な注意をしてしまった。刈場坂峠には車が止まってるたが。

5.3. 刈場坂峠からつつじ山、三田久保峠を経て三田久保峠入口まで 
刈場坂峠に登って来た林道の交通標識の近くにツツジ山への踏み跡がある。林に入って石祠の傍まで登ると道標があった。道標の向こうには広い登山路があり、左には舗装道路につながり登山口になっていた。「あ、1998年はここから登った」と、記憶を確かめるために舗装道に下って刈場坂峠の方を振り返った。集落の中を通って峠に降りてここまで歩いて来たなと思い出した。ツツジ山へ登る広い道に帰って頂上を目指す。登山道が尾根と斜面に分かれる。尾根道を選び一息でツツジ山に登った。ツツジ山山頂には三角点879.1mや分岐道標と大きな山名板(ツツジ山)や飯能中学校記念植樹の大杭などがある。関東ふれあいの道分岐の南には「関東ふれあいの道ではありません」との看板もあった。GPSの表示は879.6mと地形図の三角点の標高とほぼ等しかった。帰宅して本棚から引っ張り出した「山と渓谷社分県登山ガイド10埼玉県の山1996年5月1日初版第3冊」記載の「34正丸峠」の地図ではここがツツジ山、地図に塗ったマーキングから見て1999年1月23日に頂上を踏み関八州見晴台を経て西吾野に下山していたらしい。ツツジ山は高木に囲まれているが枝や幹を透かして東に少し展望がある。

ツツジ山から南へ下る道は一挙に細くなり薮めいた踏み跡となる。踏み跡の左右にネットが張られて、下る途中に皮が落ちた太い丸太がネットと踏み跡を跨いで倒れていた。倒木を跨いで下る。檜杉植林に入るとネットが消えて幾分広いただの登山路になった。森林公社のコンクリ杭が刺さっていた。なるほで私有地でないので私どもも歩くことができるのか。林の中の小都津路山(大つつじ山)山頂831mに着いた。青色の山名標兼道標が立つ。山名の最初の小の上を黄色に変えて大と書いてある。周りの木に巻いてあるピンクテープには「ここは大つつじ山」と記してある。持参した昭文社「山と高原地図22 1998年版 奥武蔵・秩父」ではここがツツジ山だ。地元飯能の方の郷土愛を感じつつ南西へ下った。尾根の肩の小峰に立つ木に小さな手作り山名板があって小ツツジ山670mと書いてあった。やはり幹に巻いたピンクテープにも小ツツジ山とある。再び郷土愛に胸を熱くして尾根を急降下した。標高差50m位だがザレ道で踏み跡の左右にある杉の木を掴んだり抱いたりしながら足を運ぶ。後期高齢者のせいか何度も石車に乗り足が滑った。下りついても低いアップダウンがある。時間をとられたが、その先は平坦な尾根になりはかどる。標高点628についてGPSを見ると604mと大分低かった。

広い林業作業道にぶっつかる。踏み跡は林業作業道の片側に一線となってついていた。林業作業道が交差したり曲がっている箇所では濃い踏み跡を選んでトレースした。林業作業道の左の林にアンテナが隠れ立つ。しばらく林業作業道を歩くが右手の作業道と分かれて踏み跡が薄・棘苺薮に入った。冬だからだろうか踏み跡ははっきりし、左右から被さる薄も木苺の枝も楽々払えた。薮道は尾根を南から北に巻いて不安にさせつつ再び作業道と合流する。歩きやすくなり地形図通り南へ向かうので一安心だ。5分も歩くと作業道から徒歩道が尾根に分かれる場所に出る。林業作業道を直進してはならない。尾根には青ポリエチテープを巻いた木以外、目印がない。ここが下りコース随一の要所であった。尾根を巻き気味に進んで三田久保峠に着いた。峠には大きな峠名・道標が立ち正丸駅への方向を指示している。道標に従って西の谷に下る。谷間の急斜面には小刻みな電光道が切ってありザレてなければ歩き易かっただろうに思いつつ急ぐ。沢筋に下ると道はなだらかになり、杉林を抜けて広い舗装林道に出た。 

5.4. 三田久保峠入口から正丸駅まで
暗くなりかけたせいもあって道標などが見つからなかった。三田久保峠入口とはここなのだろうか。舗装林道は左手の登りカーブの先で通行止めになっていた。予定した電車の発車時刻まで残り18分、小走りに下って坂元集落のR299合流点に着いた。こここそ三田久保峠入口なのか? 残り13分、高麗川沿いの曲がりくねったR299の歩道を小走りする。対向車は点灯、気温5℃との電光表示も目に入る。駆足・並足を繰り返して正丸橋に着いた。橋を渡り正丸駅に登ってどうにか電車に間に合った。乗車して乾杯だ。(記:礒田武志)