PAGE TOP ▲

奥武蔵 埼玉県秩父市・東秩父村・ときがわ町 川木沢ノ頭874m


 川木沢ノ頭頂上のアンテナ設備敷地
  

【日付】2021年02月28日(日曜日)
【メンバー】 礒田武志: 単独 新座市新型コロナ累積感染者数 615人につき
【行動日程】      
【交通】
(往 路)北朝霞08:24-08:34新秋津/秋津08:43-09:15飯能09:19-10:04芦ヶ久保 
(復 路)芦ヶ久保16:41-17:18飯能17:25-17:52秋津/新秋津18:00-18:11北朝霞/朝霞台18:15-18:16志木

【コースタイム】 
芦ヶ久保10:06~10:26赤谷~11:53大野峠~12:14高篠峠~12:36白石峠~12:59川木沢の頭~13:38P848~13;49高篠峠~14:18大野峠分岐~14:31丸山森林管理道降下点14:40~15:39赤谷~16:05芦ヶ久保
[歩行実時間(休憩を含む)]  5時間59分

【コメント】
1. 動機・目的・目標  
・動機・目的 コロナ禍の中、コロナ太りし、筋力が衰えたので回復しなければと思っていた昨年初夏に、久曾神さんから「埼玉の山に登っていますか?」との指摘とともに「日本山名総覧18000の山((武内正 白山書房 1999初版) 国土地理院発行の2.5万分図に記載されている全ての山16667山、過去に2.5万分図に記載されていたが山名が削除された山31山、その他の山1334山で、全収録山数は18032山)」にのせられている埼玉の山201の紹介を受けた。そのなかの未踏・未記録の山に登ることとした。
昨年に東上線沿線の山を登り終えたので今年は西武秩父線沿線の山々に挑戦している。芦ケ久保駅周辺は三山残っていたが甲仁田山とカバ岳(桑畑岳)を登ったので川木沢ノ頭が最後かつ今回の山になった。

・目標 調べてみると川木沢ノ頭は白石峠から急な階段道を登れば徒歩15分で踏破できるという。アンテナ施設のある874m峰だ。白石峠は1997年1月30日に白石車庫から登っている。川木沢ノ頭を知らなかったせいで足を運ぶことなく白石峠からは堂平山と笠山を経て御堂に下っていた。ピークハントだけの目的で車に乗って白石峠まで行って急坂を一登りするだけではつまらない。もちろん運転免許証を返上した身にとってはスタートとゴールを芦ケ久保駅にするのが望ましい。芦ケ久保駅~赤谷~大野峠~高篠峠~白石峠~川木沢ノ頭というノーマルルートを歩き、登山地図やネット情報にデータがない大野峠~高篠峠~白石峠の自動車道コースタイムを報告したい。また復路は尾根伝いに川木沢ノ頭~高篠峠~大野峠分岐~森林管理道路丸山線分岐~尾根コースで赤谷まで下って芦ケ久保駅周回を達成するのも面白かろう。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
28日の天気予報は、「日本付近は高気圧に緩やかに覆われるため、多くの所で晴れる見込み」、現地の横瀬町は「晴 冬日 乾燥低温注意報 花粉多い 最高12℃、最低-5℃ 降水確率0% 風 北東の風後南西の風」で12時-18時は「晴 8℃ 降水確率0% 雨量0㎜ 湿度36% 北東風2m/s」であった。当日の気温は「最高12℃ 最低-6℃」と報告されていた。

2.2. 体調
いつもようにまずは往路の志木駅から北朝霞駅まで歩いてどこか悪いところはないかと、また芦ケ久保から赤谷の間でもセルフチェックした。不調の兆しがない。やはり芦ケ久保で2mの北東風があり、風にあたると寒いが日向では気にならなかったので植林の中のコースでも問題なかろうと思った。実際その通りであった。ただ復路の下りで右足中指の霜焼けが擦れて軽い痛みが出た。次の散歩にためには擦り傷と霜焼けが早く消えてほしい。ところで杉の花粉が多く飛ぶとの予報であったが目にも痒みが出ず、鼻水もわずかであった。山と里との気温差のせいで飛散がすくなかったのであろうか。
なお新規コロナウイルスで2回目の緊急事態宣言中であったから後期高齢者二年生の私も電車内、人混みでは不織布マスクをかけた。

2.3. 装備
一般的トレッキング装備で十分である。車道を歩くにしても赤谷から大野峠まで一般登山路を歩くのでトレッキングシューズで足拵えした方が良い。

3. コース
3.1. 見どころ
・風景 やはり赤谷集落を通して芦ケ久保駅の方向を杉林地点から見る里山風景が秀逸だろう。なにも作物が植わっていない土だけの畑でも心打つ。
・展望 白石峠、川木沢ノ頭から遠望がある。老眼・乱視・白内障の目には霞が邪魔をした。
・三角点 悲しいことに歩いたコースに三角点がないようだ。ただP848に都幾川村一級基準点のペナントがある。
・信心 芦ケ久保から赤谷までには石仏、石像が道に向いて立っている。赤谷から少し登った地点に諏訪神社への分岐があり、山中で馬頭観音の石柱を一基見たような気がする。他には気がつかなかった。
・歴史的建造物 高篠峠には環境庁・埼玉県が設けた「峠の歴史」を記した看板がある。説明の通り、看板脇の枯草薮に古い石標がある。
・自然 芦ケ久保から赤谷の杉林入口まで山里の春を花壇や庭の草木で満喫できた
・動物 あしがくぼ国際釣り場から舞い上がるタカ(尾羽の開きはノスリ)とアオサギを見た。早春のせいとトレッキングの人の多さ、林道を走る車のせいか留鳥も数少なかった。

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
・白石峠から川木沢ノ頭までの急斜面では、定峰峠分岐から落葉で埋まった溝道を直登する。落葉で滑るので道を歩むのを諦めて、道右外の広葉樹疎林の踏み跡を辿った。頂上近くになり踏み跡が溝道を横断し、さらに目印テープが立ち木に下がっているのを見つけた。踏み跡を辿ると林を抜けて明るい巻き道に出た。2か所ほど倒木を潜って陽だまりまで進んだ。この脇道は余りにも水平で頂上に登る気配がない。このままでは頂上からどんどん離れていくのではないかと地形図を見て直登道に引き返した。約10分の寄り道であった。もちろん地形図には破線で記してない脇道であった。

・大野峠分岐から森林管理道路丸山線へ下る分岐と「西武鉄道管理地立ち入り禁止」の看板が立つ分岐とを間違えてしまった。尾根道のコルを過ぎて少し早いとは思うが地形図には下る破線は一本しかないのでこの「西武鉄道管理地立ち入り禁止」の看板が立つ分岐が破線の分岐であると判断してしまった。ジグザグ下りの末、同じく「西鉄道管理地立ち入り禁止」の看板が立つ丸山森林管理道路に降り着いた。東の大野峠に向かって尾根、谷を地形図と照合しつつ赤谷へ向かう降下点をを探した。降下点が見つからないまま、とうとう大野峠の東屋が見える場所まで行ってしまった。引き返しながら見落としたのかとさらに注意して丸山方向に向かう。なんと降りて来た西鉄道管理地入口の直前に目立たぬ目印テープと薄い踏み跡を見つけた。18分のロス、地形図に記されている2つの破線分岐は「西武鉄道管理地立ち入り禁止」の看板が立つ2つの分岐より丸山寄りのすこし先になる。

3.2.2. 薮・倒木
・薮 高篠峠から大野峠分岐に至る間、まず高篠峠の交差点から尾根への行政境(地形図一点鎖線)に取り付く。末端に薄い笹薮があって踏み跡が見えない。少し笹をかき分けて植林に入ると薮が消える。ここが全コースを通して唯一の薮であった

・倒木 森林管理道路丸山線降下点から赤谷に至る登山道の等高線約750mの地点には、この2~3年の大雨・台風で起きた沢崩れと倒木が道を断っている。沢は雨水裂だが泥と小石、小枝で盛り上がっていた。通り越してみての話だが盛り上がりの山側は少々危険、谷側を回った方が安全だ。ノーマルコースを通して唯一の障害倒木であった。 

3.2.3. 岩場・急坂
・岩場は全くない
・白石峠から川木沢ノ頭北側アンテナ施設までの急斜面直登路を見上げて「これが噂の木段急坂か」と息を飲んだ。左右は雑木の疎林に挟まれている。木段を時々息をつぎながらゆっくりと登って定峰峠分岐がある踊り場に着いた。分岐から上は落葉で埋まった溝道となっていた。踏み跡の上に厚く積もった落葉で足が滑るので登山道を登るのを諦めて、道の右、広葉樹疎林の獣の踏み跡を細木を掴みながら辿ることにした。頂上に近づくにつれ傾斜も緩やかに、落葉堆積も薄くなった。時間に余裕があればこのルートより高篠峠よりのアンテナ設備管理道路入口から車道を歩いたほうがよい。安全な上に楽である。

3.2.3. 寒さ
国道と尾根で弱い東風に吹かれてヤッケを羽織った。登りや陽射し強いところはヤッケを脱いでも寒さを感じなかった。

4. 歩いてみての感想
・「分県登山ガイド10埼玉県の山(初版第3刷1996年)などに記載の川木沢ノ頭に関連あるコースを1997年に歩いた記憶を思い出すことができた。久曾神さんに感謝!

・ネットフェンスで囲まれた北側アンテナ設備敷地のどこが最高点かわからない。川木沢ノ頭の頂上にともかく到達できた。これで埼玉の山201のもう一つに足跡を記したことになる。満足である。

・大野峠から白石峠まで距離2.9km(埼玉県HP関東ふれあいの道データ)、事前調査のマップファンでは2.4kmであったが、それを歩いた所要時間は43分であった。下りにしては少々時間が掛かりすぎたと不満であるが記録を残すことができるのは嬉しい。なお昭文社山と高原の地図22奥武蔵・秩父(1998年版)によると赤谷から大野峠までの登りは歩程1時間20分、後期高齢者の私が所要時間1時間27分とほぼ同じであった。コロナ禍で衰えた脚力の目安も得て喜んでいる。

・芦ケ久保駅~赤谷~大野峠~高篠峠~白石峠~川木沢ノ頭というノーマルルートには、最後に定峰峠分岐から川木沢ノ頭頂上までの落葉が詰まった急坂がある。昭文社山と高原の地図22奥武蔵・秩父(1998年版)にあるように高篠峠と白石峠の間にあるアンテナ設備管理道路入口から車道を辿れば、楽々、川木沢ノ頭頂上に到達できるようだ。今回、白石峠に拘り過ぎたことに反省している。

・川木沢ノ頭頂上の南側アンテナ設備敷地から尾根通しで歩く計画であったが、突端の南側アンテナ設備敷地から尾根への下り口が見つからなかった。それで巻いている車道をコルまで下ったがコル近くに南側アンテナ設備敷地からの歩道らしきものがあった。もう少し下り口を見つけるよう頑張ったらと悔しい思いをした。コルから「西武鉄道管理地立ち入り禁止」の看板が立つ分岐までは尾根通しで歩くことができた。それで幾分気持が休まった。

・「西武鉄道管理地立ち入り禁止」の看板が立つ分岐に迷い込んだ。地形図の破線分岐はここより少し丸山寄りであった。地図読みの限界かもしれない。教科書通りにはいかない。

・同じような山々に登り続けると、構成が類型的、文章が紋切り的になってくる。どうしたらいいのだろうか。後、埼玉の43山に登りたいのだが・・・
(記:礒田武志)

サムネイルをクリックすると、拡大写真のページを開きます
(写真 礒田武志)
 
 (写真:礒田武志)
 5. 記録
5.1. 芦ケ久保駅から赤谷まで
武蔵野線新座駅過ぎで富士山が姿を青空に向かって現すほどの晴天だったが芦ケ久保でも同様だ。横瀬川と国道R299を吹き抜ける東風が竹を揺らしている。木々の枝は動いていない。予報通りの風向・風力だ。R299を往来する車は日曜日のせいかとても多い。駅前までバイクの轟音が響く。階段を下り、橋を渡って国道に出る。目の前を数台づつのグループでバイクが走る。歩行者横断ボタンを押し車の流れを止めてR299を渡った。すこし御免ねと言いたい気がする。歩道沿いに東へ赤谷に向かう。国道沿いの民家の石垣から垂れ下がるオウバイが満開になっている。大畑地区の歩道脇花壇でも福寿草も花が増え葉が開いている。2週間前は蕾や花が顔を出したばかりだった。満開の水仙が首を垂れているが隣のラッパスイセンは袋を被った花芽が上向きに伸び始めている。少し歩くとミニラッパスイセンが開花していた。黄色の花春だ。赤谷の集落への分岐に着いた。

5.2. 赤谷から大野峠まで
赤谷の集落へ坂道を登る。国道を見ている小地蔵の冬着もそろそろ衣替えか。民家の石垣の隙間に植えられたキンセンカも橙色の花を開いて点々と飾っていた。民家の生活舗装道から農林業プラス登山者用の細い土道へ入る。今日も杉林入り口近くで赤谷集落を振り返って撮影した。杉林に入る。登りになり気温もそこそこなので杉丸太ベンチでヤッケを脱いでザックに収めて軽装になった。井戸ノ入へ作業道を北進しないで道標通り大野峠へ向かう。短いジグザグを登ると傾斜緩やかな巻道になる。右に谷と民家の屋根を見下ろす。諏訪神社と記した道標が出た。復路で時間余裕があれば訪れよう。右手下の麓に茶畑が見える。人里の屋根が見えなくなり山に入ると分岐道標に会う。歩んでいる巻道は立派な杉の林の中にある。カバ岳へ登った時に使った井戸ノ入りの沢へは足元から崖があって下れそうにない。カバ岳へは分岐を進んで堰堤から井戸ノ入を遡行したのが正解だったのだ。次の尾根との間の沢には小橋がある。渡って尾根を巻くと丸山分岐に出会う。復路は尾根を下ってここに着く予定だ。

道標に従って谷沿いの巻道を緩やかに登る。沢底には古い間伐材が多数落ち込んでいるのが見えた。また小橋があった。今度は沢沿いに登る。小沢を踏み越して岸を替えたらすぐにまた小沢を渡り戻した。左上の杉植林斜面から男女の声が聞こえる。沢を離れて杉植林斜面に、前を登ってゆく二人連れの姿が木陰に見えた。斜面を登り詰めると尾根道になる。次いで尾根道から巻道に変わり、巻道で下山してくる単独行の男性二人とあった。こんどは主稜線の斜面を大きく東に巻く。足元に砕けた霜柱が出てきた。男性2人組、単独行の女性がとすれ違う。人気コースと実感し、大野峠に到着した。車道の向こうに先行した2人が歩いていた。

5.3. 大野峠から高篠峠 
大野峠で車道は三叉路なっている。左手の森林管理道路丸山線は通行止だが刈場坂峠方向と白石峠方向とは自転車、オートバイ、自動車が通行していた。東屋には男女2人、外のベンチにも男女2人が休憩・談笑中で、東屋外から赤ヤッケの男性が東屋中の女性に「白石へ帰る」と言って白石峠方向に下り始めた。赤谷から登ってきた二人は徒歩道を稜線に向かって登って行った。今回の目標の1つである大野峠から白石峠まで所要時間を調べるため、忠実に車道を辿って行くことにする。2番目のヘヤピンの車道分岐で赤ヤッケの男性が閉鎖中のゲートから先をのぞき込んでチェックしていた。車やバイクの往来がある。麓から正午のチャイムが聞こえてきた。 曲がわからない。横瀬町の野薔薇とは違う。五つあるヘヤピンのそれぞれで現在地を確認しつつ下る。五番目のヘヤピンでは車道左(北)に木材切りだしのためだろうか作業道が新設されていた。キャタピラーの跡が赤土の上に残っている。車道分岐に下ると右手に分かれた先の広場が木材集積場になっていた。赤ヤッケの男性は白石峠へ向かわずに右手の「竹の谷」の方へ下って行った。交差点が高篠峠である。

5.4. 高篠峠から白石峠を経て川木沢ノ頭まで
高篠峠には環境庁・埼玉県が設けた看板がある。「峠の歴史」が記してあった。説明の通り、看板脇の枯草薮に古い石標がある。周囲は余りにも人臭い。白石峠に向かって忠実に車道を歩んで登る。左に徒歩道入口を見つけた。地形図の破線とは違うが復路はここに下って来たい。等高線に沿った車道を歩いてアンテナ設備管理道路入口に着いた。ゲート封鎖であるが登山地図ではここから川木沢ノ頭に赤線が延びている。歩きたいのを我慢して白石峠に向かう車道を忠実に歩いた。

東秩父村の白石峠に降りついた。ここには1997年1月に白石車庫バス停から登って来て堂平山、笠山を踏んで御堂に下った時に通っている。その時の記憶が薄いのが悲しい。見れば今日は赤い自動車やオートバイが駐車している。とあれ大野峠から距離2.9km(関東ふれあいの道データ、事前調査のマップファンでは2.4kmであったが)、所要時間(0:43)を確認できた。目標の1を達成したのは嬉しい。峠の広場にあるベンチでバイク愛好の男女が座って、男性が女性にいろいろ助言中の様子であった。西側の階段下に定峰峠への道標と外秩父七峰ハイキングコース看板がある。見上げて「これが噂の木段急坂か」と息をのむ。坂の左側にはアンテナ設備への電柱が列をなして電線で繋がれ、左右は雑木の疎林に挟まれている。時々息をつぎながら登り続けて木段の上の踊り場に着いた。定峰峠分岐である。男性が追い越して定峰峠へ巻いて行った。あのスピードは外秩父七峰ハイキングの練習かと思う。

分岐からは落ち葉で埋まった溝道を直登する。厚く積もった落ち葉で足が滑る。登山道を登るのを諦めて、道の右、広葉樹疎林の踏み跡を辿ることにした。ようやく傾斜も緩やかに、落葉堆積も薄くなったところで見れば目印テープが左に下がっていた。踏み跡を辿ると林を抜けて明るい徒歩道に出る。2か所ほど倒木を潜って陽だまりで昼食にしようとふと足を止めた。余りにもこの脇道は水平すぎる。このままでは頂上からどんどん離れていくのではないかと地形図を見て道を引き返すことにした。改めて直登道を登る。約10分の寄り道であった。どうにか川木沢ノ頭の北側アンテナ施設に到着した。敷地はネットフェンスで囲まれてどこが最高点かわからないがこれで本日の目的を達成したことにする。

5.5. 川木沢ノ頭から高篠峠と大野峠分岐を経て森林管理道路丸山線降下点まで
アンテナ施設のネットフェンスをどう回るか。地形図を見ると西へ直進すると北の定峰峠に向かう破線路がある。足元を見るとフェンスの東側に沿って踏み跡が続いている。「こちらの方が青空も太陽も見えるので」と東側の踏み跡を辿ることにした。角を曲がるとアンテナ施設入口と管理道路(車道)が見える。車道を歩むと東南東に関東平野が展望でき、ついでハンググライダーが東の峰の上を舞うが見えた。ここから目標である尾根筋を歩きたい。尾根の上の管理道路を歩いて南のアンテナ施設に着いた。地形図では一点鎖線の行政境界が記してある。ネットフェンスで囲まれた施設の周りのどこからくだるのか。さて境界巡視路でもとそれらしいところを見るが杭さえない。残念ながら尾根筋を外れ遠回りになるが車道を下ることにした。東風を避けてコルの北の陽だまりで幾分遅い昼食をとる。目の前に丸山とその上のアンテナが迫る。食後、コルまで下る。巻道の出口がある。もしかしたら見捨てられた関東ふれあいの道?埼玉県のHPでは今は車道が関東ふれあいの道だが。コルから踏み跡はないが尾根に入る。少し登ると踏み跡が出てきた。さらに古いPEテープが吹き流しになっている。その上は平坦尾根だ。鳥(カケス?)の尾羽が散らばっている。猛禽の仕業か。平坦な頂上で尾根が南西と南東に分かれている。迷いそうなので地形図とコンパス方位を確認して南東へくだった。再び管理車道に出る。ヘアピンから尾根の踏み跡に進み、ほんの少し登るとP848に着いた。都幾川村の一級基準点ペナントがある。踏み跡が登山路らしくなる。しかし登山路を下ると道は植林保護ネットの中に延びて、その外の植林の縁に新しい踏み跡がついていた。トレイルランナーが登ってきた。保護ネット越しに丸山が近づいてくる。尾根から左に曲がって林道へ下ると往路で目星をつけた地点に着いた。高篠峠に下る。

高篠峠から行政境界一点鎖線を歩む。車道のヘヤピンをすべてショートカットできるか試すことになる。最初は笹薮があって踏み跡が見えなかったが植林に入ると笹が消える。さらにピンクテープとピンクペグが道案内をしてくれた。ガードレールを跨いで車道に、車道からまた尾根へ入る。上の車道から男性1人下ってきた。お互いにまじまじと見つめあう。短い脚でガードレールを跨いで車道にでた。目の前の徒歩道入口には「関東ふれあいの道」の道標と「道が荒れているので注意」とのポスターがあった。「関東ふれあいの道」を登る。上から高年齢男女の集団7人が下ってきた。傾斜の緩やかな稜線についた道で針葉樹植林と広葉樹雑木林の間を気分よく歩むことができる。大野峠分岐に近づく。

丈の低い笹薮で縁取られた大野峠分岐に到着した。植林された広い頂上部にある。林床に雑木の灌木がなく奥まで見通せるが標高点896を示すものはない。頂上部の南側を歩み、下る。熊鈴をリンリン鳴らす男性とすれ違う。そういえば要所に熊目撃注意のポスターが貼ってあった。コルから北東を見れば植えた若木を保護するネットの先に川木沢ノ頭のアンテナ2基が望める。そろそろ丸山森林管理道へ下る分岐があるのではないかと左(南側)を注意して進み続けた。「西武鉄道管理地立ち入り禁止」の看板が立つ分岐に出た。尾根道は北に曲がっているが踏み跡が南へ向かっている。少し早いとは思うが地形図には南西へ下る破線は一本しかない。これが分岐破線であると意を決してこの踏み跡に従うことにした。ジグザグ下りの途中で丸山のアンテナが大きく見える。西武鉄道管理地立ち入り禁止の看板が立つ森林管理道路丸山線に降り着いた。東の大野峠に向かって赤谷へ向かう降下点を探す。「森林管理道路丸山線」と大看板が立っていた。左の尾根、右の谷を地形図と照合しつつ降下点を探す。なかなか降下点が見つからない。とうとう大野峠の東屋が見える場所まで行って引き返すことにした。見落としたのかとさらに目を皿にして丸山方向に向かうと目印テープと踏み跡があった。なんと降りて来た西武鉄道管理地入口の直前なのだ。18分のロス、地形図の破線分岐は丸山寄りのすこし先だったのだと地団駄を踏んだ。

5.6. 森林管理道路丸山線降下点から赤谷を経て芦ケ久保駅まで
まずは急な斜面についた踏み跡を木の根に足をとられないように、土に足を滑らせないように下る。地形図破線だから歩き易い徒歩道に入るかと思ったので不安になる。踏み跡が立派な徒歩道に合流して一安心した。左側、丸山線に向かう方向には通せん坊の木を置いて行き止まりにしてあった。右側は昔からの林業作業道が登山道にもなっているのだろうか。道の所々にしっかりした石垣がある。また杉・桧の植林の中に歩き易い巻道が続く。林床には植林の枝や落ち葉が積もっているが所々に緑のシダが覆って目に鮮やかなところもあった。突然、沢崩れと倒木で道が消えていた。等高線約750mの地点である。沢(雨水裂)は泥と小石、小枝で盛り上がっていた。倒れているのは巨木でセオリー通り根の上側を選んで枯沢を超す。太い根を跨ぎ越したが着地点が柔らかく心もとなかった。振り返ってみると沢上流側は少々危険、下流側を回るべきだと思う。巻道から尾根道に入る。南へ尾根筋に沿った道をどんどん下って往路の大野峠コースに合流した。

目標を達成して慣れた道を通り赤谷集落に帰ってきた。西に傾いた太陽に向かって国道に向かう。R299は上り線の車が多い。歩道を芦ケ久保駅に歩む。犬の吠え声がしてあしがくぼ国際釣り場から舞い上がるタカ(尾羽の開きはノスリ)を見た。ついでアオサギが横瀬川の上流に飛んで行った。大畑集落を過ぎて駅前の横断歩道信号脇にカメラ持ちの男性が立っていた。車はR299を流れ続けていた。歩行者用ボタンを押して横断して橋の上に立つと今日も飯能行電車が出て行った。降下点がわかっていたら間に合ったのに。
 
(記:礒田武志)