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埼玉県本庄市 浅見残丘
大久保山(浅見山)112m

 ショッピングモールと本庄早稲田駅の向こうが大久保山
  

【日付】2021年03月16日(火曜日)
【メンバー】 礒田武志: 1名 コロナ第2回緊急事態宣言のもと新座市の累積感染者数627人につき 
【行動日程】      
【交通】
(往 路)北朝霞09:11-09:21南浦和09:28-09:30浦和09:47-10:45本庄  
(復 路)本庄13:47-14:50大宮14:59-15:11南浦和15:20-15:30北朝霞
【コースタイム】 
本庄駅10:50~本庄早稲田駅~11:27CAINZ駐車場先踏み跡登山口~11:32尾根~11:38三角点105.5m通過~11:41ベンチ、裏に古い道標大久保山散歩コース本庄市(昼食)11:57~12:15車道、破線路を探すが見つからず引き返す12:30~12:36三叉路~12:38標高点112を踏んだかも~12:47ベンチ~13:04CAINZビル裏登山口~本庄早稲田駅~13:44本庄駅
[歩行実時間(休憩を含む)]  2時間54分

【コメント】
1. 動機・目的・目標  
・動機・目的 コロナ禍の中、コロナ太りし、筋力が衰えたので回復しなければと思っていた。昨年初夏に久曾神さんから「埼玉の山に登っていますか?」との指摘とともに「日本山名総覧18000の山((武内正 白山書房 1999初版) 国土地理院発行の2.5万分図に記載されている全ての山16667山、過去に2.5万分図に記載されていたが山名が削除された山31山、その他の山1334山で、全収録山数は18032山)」にのせられている埼玉の山201の紹介を受けた。そのなかの未踏・未記録の山に登ることとした。

北武蔵台地の松久丘陵残丘の山崎山と諏訪山を登ったので次は児玉丘陵本庄台地の浅見残丘(大久保山(浅見山))を目指すことにした。なお信頼できる昭文社の「山と高原地図1998年版」や山と渓谷社の「分県登山ガイド10埼玉県の山1996年初版3刷」に北武蔵台地の山崎山、諏訪山、大久保山(浅見山)、御嶽山(みたけやま)の記載はなかった。登りがいのある山だろうか。

・目標 大久保山は早稲田大学の敷地内にある。インターネットで調べてみると立ち入り禁止との記事もあるし、開放されているとの記述もある。開放派の記述に従って三角点105.5mと標高点112を踏むことを目指した。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
11日の日本付近は高気圧に広く覆われ、日中は全国的に晴、最高気温は平年より高く、関東から西では4月並みの暖かさとなる所が多くなるという。本庄市も絶好のお散歩日和であろう

2.2. 体調
いつもようにまずは志木駅から北朝霞駅まで歩いてどこか悪いところはないかとセルフチェックした。不調の兆しはない。なお新規コロナウイルスで2回目の緊急事態宣言中であったので私も駅構内や電車内では不織布マスクをかけた。

2.3. 装備
一般的お散歩装備で十分である。

3. コース
3.1. 見どころ
・風景 早稲田大学本庄キャンパスの裏山の楢の森、トトロの森に近い。
・展望 ないに等しい
・三角点 105.5m三角点があったはずだが見つけられずに通り過ぎていたらしい。
・信心 本庄駅と上越新幹線本庄早稲田駅の間に飯玉神社がある。 
・自然 大久保山は上武山地から関東平野に張り出す北武蔵台地・児玉丘陵・本庄台地の浅見残丘である。楢林で覆われている。早稲田大学の敷地境界外の林床は笹で覆われていた。
・動物 徒歩道などの落葉の上にキタテハ等の越冬蝶が舞っていた。カラス、ヒヨドリの鳴き声を耳にしたが他の鳥類は認められなかった。
・植物 本庄駅近くの駐車場で数株のシロバナタンポポを見た。関東地方では珍しい

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
分岐が多く、行き止まりもある。手入れされている散歩道を辿るだけなら道迷いもなかろう。なお地形図(電子地図)の破線路はそのほとんどが消滅していた。地図読みに苦労した。

3.2.2. 寒さ
落葉の上をキタテハ等が舞うほどの春日和であった

4. 歩いてみての感想
・目的である大久保山を散歩できたのは嬉しい。これで埼玉の山201も残りが40になった。しかしコロナ太り解消、脚力回復にはなりそうもなかった。近所に住む方々のお散歩山と思われる。
・目標とした本庄駅から大久保山を往復するコースを歩くことができた。105.5m三角点と112標高点を確認できなかったのは残念である。
・大久保山の散歩道への登山口はいくつもある。CAINZビル裏登山口からの道が最も整備されているようだ。もっとも入り口を示す道標はない。CAINZ駐車場先踏跡登山口の前には空き地があり駐車場として使っている方もいるようだ。
・飯玉神社の由緒書きには、源平合戦で活躍した武蔵七党のうち児玉党の久下塚氏に縁があると記してあった。集落の名が久下から外堀となったとも書いてある。今では早稲田の杜に変わっている。地名の移ろいは時代変化の反映だ。

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(写真 礒田武志)
 
 5. 記録
5.1.本庄駅から本庄早稲田駅を経てCAINZ駐車場先踏み跡登山口
 本庄駅でコールドスタートしたGPSLが南口ロータリーを少しあるいたら335mと表示した。吃驚したが納得して歩む。空は薄曇りというか春霞の晴である。大型サービス施設が並ぶ大通りを南進する。並木の辛夷が美しい。駐車場の入り口で白花タンポポを見つけた。本当にお久しぶりである。東日本のタンポポは黄色、白花は西日本に多い。R23十字路を越えて橋を渡る。法務局を過ぎると繁華なバイパス風のたたずまいが一層艶やかになる。R86十字路・ショッピングモールの入口を過ぎて右手に神社が見えた。帰りに寄って由緒書を読んでみたい。地形図ではこのあたり水田のはずだがと思いつつ広い車道に沿って進む。早稲田の杜3(?)交差点からは低い丘が新幹線本庄早稲田駅の向こうに見えた。新幹線下を潜る。丁度、向こうから赤いシャトルバスが通って来た。本庄駅から早稲田大学まで片道200円とネット情報にある。さてネット情報では登山口が幾つもある。早稲田大学の私有地をできるだけ外したい。それで新幹線沿いの道を西に選んだ。それにしても地形図では小さな家屋記号が散在しているのに目前には巨大なビルディングが立っている。南にCAINZ駐車場を見ながら丘に沿いつつ西へ向かう。丘の右に田野が見える三叉路に着いた。右手には自家用車が1台駐車し、左手に笹刈道が見える。落ち葉で埋まった刈払道が尾根まで続いていた。ここを登ることにする。

5.2.CAINZ駐車場先踏跡登山口から三角点105.5mを通過してベンチまで
笹細茎と楢の落ち葉を踏んで登る。左右はよく手入れされている楢の疎林である。ほんの標高差30mを登ると尾根になり向こうを見下ろすと早稲田大学の施設がある。なんと尾根下には北東から南西に散歩道が延びていた。頭上ではカラスが騒ぐが他の鳥の声はない。南西に進んで三叉路・分岐、赤テープに出会う。地形図と照合すると踏み跡登山口から少し西寄りの登山口からの破線路であるようだ。散歩道になっているようで下る人達や登って休む二人連れがいた。いずれも私と同じ高齢者のようだ。左右の木には早稲田大の注文ポスターも、また森林エコ実験のネットやボトルのぶら下りもある。春の日差しの下、キタテハ、テング蝶などが落ち葉の上を舞い、先の落ち葉にとまる。どうやら三角点105.5mを通り過ぎてしまったらしい。三角点を示す白杭などが見つからないうちに広場のベンチに着いてしまった。分岐になっており、早稲田大の境界標赤杭が立つ。赤杭列の一方の先、北方向を見下ろすと疎林の梢と田園の先にはすぐに高速道、車騒音が届く。南西の方向は林床が笹薮になって徒歩道が薮の間に延びている。ベンチに座って昼食にした。ベンチの背後には古い道標が隠されており「大久保山散歩コース本庄市」と読めた。薮はここから先は早稲田大学の私有地ではないと示しているようだ。

5.3.ベンチから南車道登山口まで
昼食後、標高点112を探すために徒歩道を南へ進む。ここから先の徒歩道は楢林でも林床が笹薮となる。正午のチャイムが里から届く。背後からランニングの若者2人が声をかけて追い越して行った。道が分岐、少し東に入って標高点112の目印がないか探したが見当たらず分岐点まで引き返す。南へ下ると左手に広場(地形図実線入口だが)がある。ここかなと標高をGPSで確かめるとすでに100m台に降下している。もうすこしと進んでみると道は南西から東へドッグレグしていた。地形図では南から西へドッグレグしているのだがどうも地形図は頼りにならない。再び三叉路分岐に会う。道を東にとって北に曲がって行ってみた。先ほどの広場の中に出た。周りには伐採した枝や笹が積み重ねてある。ここが標高点112m入口かと道や踏み跡を探すが全く見つからず三叉路分岐に引き返した。現在地確認のために南に下る。ランニングの2人が帰ってきた。左右に携帯電話用アンテナ設備がある。道が簡易舗装に代わり、目前に車道が出てきた。南車道登山口だ。

5.4.南車道登山口から破線路探索後引き返して三叉路を東へ、ベンチまで
南車道登山口に降りると目前には多目的ホテルがある。カラオケ、昼食と看板、幟が立っている。標高点112を探すために車道を東へ向かい、キャンプ場東の谷へ入る。地形図破線路だが踏み跡はなく、笹薮になる。少し薮に入ったが諦めて引き返して南車道登山口に帰ってきた。登り返して三叉路分岐から東へ向かう。地形図ではすぐに十字路のはずだが直進路しかない。そのまま進む。標高点112を踏んだかもしれないが何も目印がなかった。左右は笹薮だ。笹薮が切れると疎林の三叉路となる。落ち葉が詰まった散歩道は境界標杭とともに北西へ谷まで下っている。散歩・休憩の人2組2人連れが散歩中だ。谷底から登り返すと昼食をとったベンチに出た。

5.5.ベンチからCAINZビル裏登山口
地形図実線がこの散歩道と信じて道の左を注視しながら進む。往路でも復路でも105.5m三角点標石を見つけられなかったので散歩道の北側尾根2つへ三角点探しに踏み込んでみた。帰宅後トラックログを見れば105.5m三角点標石を踏んでいたらしい。北の谷へ下る踏み跡道と分かれて散歩道を直進してみた。駐車場や早稲田大の建物が右下に見える。蕾が膨らんだ桜の並木道になる。下るとネットで有名な「斜面危険」の看板が幾つも立っている。人工斜面の突端に出て展望を兼ねて危険度をチェックしてみた。なるほど道を下る方がより安全だ。CAINZビル裏登山口に着いた。散歩道入口との道標、目印は何もない。やはり早稲田大学の敷地を通らせていただくとの気持ちが大切だ。

5.6.CAINZビル裏登山口から新幹線本庄早稲田駅を経て本庄駅
車道を南東に進み壮大なビルの裏から表に左折した。CAINZと表札がある。もしかしてCAINZ本社かと思いながら新幹線本庄早稲田駅下に向かった。駅の北にはまだ空き地がある。土手にはオオイヌノフグリの群落が続いていた。復路はマスクを着けて広小路の北東側(左)をとる。伐採作業中の神社は飯玉神社であった。由緒書を読むと武蔵七党の久下塚氏の産土神社だとのことだ。道なりに歩いて正面の本庄駅に着いた。

6.覚え書
6.1.飯玉神社 鎮座地の久下塚は、武蔵七党の児玉党の久下塚氏の名字の地と考えられており、元来は独立した村であったが、中世の末期に北堀に繰り入れられるようになった。中略 当社は、久下塚の産土として祀られてきた神社で、『児玉郡誌』によれば、創立年代は不詳であるが、児玉党の支族で公家塚庄二郎弘定が崇敬した最も古い社であるという。この公家塚庄二郎弘定とは「児玉党系図」(諸家系図纂)によれば、一の谷の合戦で源氏方に属して戦功があったと伝えられる家長の弟でその息子の親弘は公家塚本太郎と称している。 

(記:礒田武志)