| 大峯奥駆核心部 山上が岳から釈迦ケ岳縦走 【2008年10月11日(土)〜10月12日(日)】 |
|---|
【メンバー】 L:T/K、SL:T/I、他 H/T、M/I、K/I、H/N 計6名 【コース及びコースタイム(休憩・昼食を含む)】 前日は奥高野 護摩壇山、伯母子岳縦走 (10月11日)洞川〜大峯大橋4:45→一ノ瀬茶屋→4:58→一本松茶屋5:34→お助け水6:07→ニ少年遭難碑6:18→6:28洞辻茶屋6:38→陀羅尼助松清店6:54→西ノ覗7:18→大峯山寺7:35→7:37山上ヶ岳7:45→8:28小笹の宿8:36→阿弥陀ヶ森9:02→脇野ノ宿跡9:11→小普賢岳9:56→10:10大普賢岳10:15→水太覗10:24→弥勒岳10:34→薩摩転げノ鎖場10:54→稚児泊11:03→七ツ池11:32→七曜岳11:45→12:37行者還岳12:51→天川辻13:20→13:44行者還トンネル分岐14:02→一ノ垰14:24→奥駈道出合14:53~15:03→弁天の森15:21→15:44聖宝ノ宿跡15:49→16:31弥山小屋(泊)【所要時間11:45】 (10月12日)弥山小屋4:51→弥山神社4:59→5:23八経ヶ岳5:30→明星ヶ岳5:43→舟ノ垰7:12→楊枝ヶ宿7:57→10:52釈迦ヶ岳11:15→旭分岐11:21→11:46深仙ノ宿12:05→12:28大日岳12:33→太古ノ辻12:52→前鬼小仲坊14:13→14:52ゲート〜前鬼BS〜上北山村〜吉野町〜針IC〜亀山IC〜四日市JCT〜名古屋南JCT〜豊田JCT〜【所要時間10:01】 (10月13日)〜〜池尻IC〜04:50新宿 【動機】 吉野と熊野を結んで大峰山脈を縦走する大峯奥駈道は熊野古道の中で最も厳しいルートと言われている。古来、修験道の行者は大峯奥駈道に設けられた靡(なびきと呼ばれる行場)を修行して歩いた。靡は75箇所あって熊野本宮大社の本宮証誠殿(1番)から吉野川の柳の宿(75番)まであるらしいが、登山として面白いのは山上ケ岳から釈迦ケ岳・大日岳までの核心部分縦走だと聞いていつか歩きたいと思っていた。新座からアクセスするには不便なところにあるのでK/Tさんの山行計画に便乗して同行をした。 【山行記録】 (10月11日)雨のち曇、霧 昨夜の小雨が朝には勢いが強くなり、洞川の宿で雨具を着けて車に乗り込んだ。真っ暗な参道を5分位走って大峯大橋(清浄大橋)前の駐車場広場に着いた。ヘッドランプに照らされる水溜りに雨滴の輪ができ、目の前を霧が流れる。運転手のKさんに明日前鬼ゲートで会うことを約束して朱塗りの橋を渡った。「従是不許入女人」と記した有名な女人結界門を見上げながら潜る。 大峯寺に至る標高差830mの参道は信者の組が寄進した階段や鉄橋などで要所が整備され、雨の中でも歩きよい。気がつかないうちに一之瀬茶屋跡を過ぎ、参道を跨ぎ、覆いかぶさるように作られた一本松茶屋で小休止した。茶屋の中を霧が流れ、トタン屋根を打つ雨の音が騒がしい。杉人工林が広葉樹天然林に換わる辺りで「役之行者慈悲乃助水」があった。雨具で汗をかいた体には冷たい水が喉にしみる。二少年遭難碑を過ぎ、ヘッドランプの灯りが不要になる頃、吉野からの大峰奥駆道の道標が立つ尾根筋に出た。左へは吉野へ、右は洞辻茶屋を通って山上ケ岳に向かう。広い茶屋の中は売店や多数の昔風のベンチがあり、山開きの後、山仕舞の前は大勢の信者が休憩したのだろうと想像した。茶屋の出口の不動明王像にこれからの安全と天気の回復を祈って出発する。茶屋から上の道には陀羅尼助を売る茶屋が数軒続き、昔の人が大峰山に己の身の快癒を望んで登ったのがひしひしと分かった。 「雨が降り続くので油こぼしや鐘掛岩などの行場(岩場)道を割愛して平成新道を進む」とのリーダー判断に従い、整備された木段を登って石柵で囲まれたお亀石の脇を通った。「役ノ行者小角が亀石の上で座禅修行して悟りを開いたとの伝説がある」と聞いて日本における禅の起源に興味が湧く。大峯山等覚門を抜け、尾根に出て霧が登ってくる「西ノ覗」に向かった。両神山の「覗き」のように自然そのものの断崖を想像してきたが「西ノ覗」には信仰のための立派な設備がある。大峯詣でがまだまだ盛んであることが伺われた。広い参道に下りて尾根道を進むと宿坊龍泉寺で始まる宿坊域が現れ、大峯山寺と彫った大きな石碑を見て、山門を潜り寺域に入る。石段を登り詰めると左手に立派な大峯山寺の本堂があった。9月23日の戸閉め式が終わった境内は静寂そのもので、本堂の締め切った扉の隙間から覗いても本尊の金剛蔵王権現の姿は暗闇の中で捕らえられなかった。右の庫裏前の坂を登って山上ケ岳一等三角点に向かう。霧が立ち込めて展望はなかったが本堂を見下ろす小笹・草原の丘に聖蹟湧出岩があり、三角点はその前に立っていた。大峰山との書いた板があるもののどこにも山上ケ岳という山名標は見つからない。今では大峰山は山塊ではなく山上ケ岳そのものを指しているものと思われた。山上ケ岳(1719m)はかって300名山に選ばれたが女人禁制のため今では番外になっている面白い山でもある。本堂の軒先に戻って魔法瓶の湯を使った一杯のコーヒーでひとまず休みをとった。名山踏破目標の人たちは往路を下山して次の山に向かうのだろうが我々は奥駆道にこれから入ることになる。 これまでの広い参道と違い、「柏木」と記した案内標の先で分岐した道は細く、また草が覆いかかり、何か入るのを拒んでいるような気がした。 踏み込んだ行者道は地蔵ケ岳の頂上を巻いてモミとカエデなどの広葉樹の混交林中に伸びている。次第に雨も小降りになり、時々、雲が切れて青空が覗く。モミ、ブナ、カエデと崖を背景に緑苔を敷いて赤い行者堂が建っている小笹の宿で一息ついた。小さなプレファブの休憩舎の傍らには水場もあり、宿泊にも良さそうだ。もちろん修行の邪魔をしないという前提だが。水場に沿って行者道を登り、阿弥陀ケ森で柏木への道と分かれる。ここにも女人結界門があり、傍らには女人禁制という文化に理解を求める大きな看板が立っている。英文を読んでみたが文化を守れというには文章に力がない。 黄葉の始まった奥駆道にいよいよ入り、ハウチワカエデやオオイタヤメイゲツの散り敷く行者道を脇野ノ宿跡、経筥岩分岐を過ぎて大普賢岳へ向かった。小普賢岳と書いた板がある小ピークを下って上り返すと大普賢岳(1779.9m)の三角点に着いた。霧巻く頂上の狭い窪みには大台ケ原日出ケ岳に登って和佐又山から来た単独行の女性が湯を沸かして寛いでいた。挨拶を交わして急斜面を降下し、笹原の水太覗きの傍らに立った。縁まで進んで見下ろすが霧で遠望がないせいか先月登った前黒法師岳の白薙なみだと思う。弥勒岳を過ぎ、尾根登りの期待がはずれて国見岳を巻いてしまい、難所だという薩摩転げの鎖場に来た。経験豊かなメンバーにとってなんと言うこともない優しい鎖場であった。稚児泊まで行ってゆっくり休憩をし、ふたたび歩く。登り着いた小ピークに国見岳と山名標が架かり、「ここは地形図の国見岳ではありません」と書いた案内板もあった。親切なことだが先の国見岳は修験道ではなんという名なのか疑問が湧く。下って七ツ池に着いた。鬼の釜というからには大きいに違いないが目の前の窪地はいかにも小さい。「名前負け」というとK/Tさんが「奥を」という。目を凝らすと靄が漂う先に大きな窪地があり、水の枯れた底が不気味に暗い。再び、鎖、梯子と落差のある岩場が続く。七曜岳(1584m)を過ぎて無双洞・和佐又山分岐に着く。道標を見ると山上ケ岳から7.1q、宿泊地の弥山まで7.9とまだまだ長い。ブナ林の明るい尾根を気分よく進むと遭難碑(みなきケルン、大阪工大WV田畑南樹さん)に出会った。昭和40年に遭難したと彫ってある。夏に北アルプスを剣から槍を通って上高地まで仲間と縦走したあの年のことだと胸が詰まった。 行者還岳頂上分岐に着いて今回の目的の一つである行者還岳登頂に向かう。地形図通りに縦走が出来るのかルートファインディングも楽しみであった。10分も登ると三角点のある頂上に着いた。針葉樹と石楠花の薮に囲まれて展望はない。東の岩頭から大峰山脈南部の稜線が望めるというので岩の端まで出てみたが今日はすぐそこから雲に覆われて何も見えなかった。コンパスを出して地形図にある尾根縦走路を探して見るが踏み跡も赤テープも見つからない。行者還岳頂上分岐まで往路を帰ることにして三角点から標高差10mの辺りにそれらしきものがないか注意して探したがとうとう見つけられなかった。分岐に帰って行者道を梯子や固定ロープを頼りに下り、水場脇を通って行者還岩小屋跡に着いた。大きな岩に空いた穴に石碑や供えたお札が見え、岩の上から行者還岳を見上げると行者がここから引き返した伝説を信じたくなるような断崖が迫ってくる。岩小屋から数分で霧を纏った行者還小屋(行者還ノ宿かな)に着いた。新築の立派な小屋でトイレもしっかりしている。今晩を過ごしたいくらいと思う。 小屋をチラッと覗いた後、天川辻まで歩き、休憩する。疲れたせいか回数が増えてきた。地蔵尊のある十字路分岐で西は小坪谷、弥山まで6.0qと道標にある。「今夜は行者還小屋に泊まる」という男性に出会って「良い小屋ですよ」と声を掛けて分かれた。西の谷からは車の走る音が聞こえ始め、行者還トンネルに近いことが分かる。小屋から続く黄葉したブナ・楓の林の笹道はなだらかにアップダウンし、イトスゲらしい草地には枯れて真っ黒になったバイケイソウが何本も突っ立って絵に書きたい気分にさせた。鹿の食害防止網を見て、尾根分岐のピークで道標を見る。道標奥駆出合まで2.4q、弥山はまだ5.1qもある。分岐の先の南西尾根は進入と禁止なっていた。ピークを一登りして天林でまた休み、気を取り直して進む。見下ろすと木立の間から行者還トンネル西口が見える。疲れた足を運ぶとピークの道標にしなのき出合とあり、トンネル西口0.7q、奥駆道出合1.3qと書いてあった。トンネル西口への分岐に分かれて直ぐに壊れた廃屋があった。ここが地形図の一ノ垰(たお)に違いない。東への分岐を見送ると今度は一ノ垰、小谷村道などと記した道標があり、弥山まで2:15、行者還トンネル上北口0:40、天ケ瀬2:20、などと案内してある。見ると札が置いてあって行場になっている。これが正しい一ノ垰なのだろう。天川辻からここまで、道標、行場名板、地形図の記載地名とにずれが多いのでイライラ気分になる。統一してもらいたいものだ。ともかく巻き道を弥山の尾根へ西に曲がる。コルには黄葉したカエデが林を作り、「青空ならば素晴らしい風景になるのだろうが」と天気を恨んだ。ようやく奥駆道出合に到着した。休んでいると弥山から軽装の若い男女数人のパーティが降りてきて、分岐を行者還トンネル西口へ下って行った。道標によるとまだ弥山頂上まで2.7q、地形図の標高差で500mの登りがある。 奥駆道出合からは立派なブナ林の中を登る。緩やかな傾斜の礫道で黄葉を楽しむ余裕があり、K/Tさんはムキタケを見つけた。三角点と道標がある弁天の森を通って理源大師銅像がある聖宝ノ宿に着いた。休憩をとって最後の聖宝八丁の急登に備える。ここから弥山まで0.9qで標高差約300mに過ぎないが11時間歩いてきた疲れで足が重い。登山道は整備されているものの階段、梯子、石の転がる場所が続き、先頭と2番目の間隔が開きがちになる。それでも1時間弱で驚くほど立派な公衆便所の隣にある弥山小屋の看板前に到着した。弥山小屋の前では受付の男性が口調子良く、入口前に溢れる先着の団体に部屋割り、食事など小屋の利用の手引きをしていた。ひとまず団体を別棟から本棟まで割り振ったあとで「K/Tさん、もっと遅く着くと思っていた」と声を掛けてきて我々にも小屋の利用手引きと注意をし、担当者に部屋まで案内をさせた。トイレ脇廊下にザックを置き、部屋に入って上段ベッドに上り、1人に1枚分割り当てられた布団に潜り込んで暖をとって夕食の順番を待った。霧や風が舞う屋外に比べると満員の小屋はとても凌ぎ易い。そのうち風も段々落ちてきた。 (10月12日)快晴のち薄曇 弥山小屋の戸を開けて真っ暗な外に出てまず弥山の頂上で最高所と思われる坪ノ内天川神社に参拝する。少し風があるものの空に星が散らばり、ヘッドランプで照らした砂利を敷いた参道の水も退いている。坪ノ内天川神社の祭神に安全と好天を祈って弥山小屋の入口まで下り、ザックを担いで古今宿のコルへ下った。鹿除け網戸を開いてオオヤマレンゲ自生地保護域へ入る。オオヤマレンゲは葉の色を変え、冬の準備をしているのが分かる。韓国の雪嶽山で見たオヤマレンゲと比べてみたいが登山路の左右はロープで仕切られ、登山者が植生を踏まないようになっていた。再び網戸を開いて自生地保護域の外に出た。シラベ林の中の登りで若いカメラマンに追い抜かれる。東天に茜色が指し始め夜明けが近い。八経ケ岳(1914.6m100名山 近畿・奈良県最高峰 別名八剣山、仏経ケ岳)の頂上には男女3人がご来光を待って大台ケ原の上の薄明を見つめていた。頂上からトウヒの若木やシラベの枯れ木に挟まれた登山路を下り、明星ケ岳頂上を巻いて弥山辻に着く。東の空がいよいよ赤らんで太陽が山の上に出た。朝日に照らされて楓や草もいっそう鮮やかに紅に染まる。アップダウンする尾根の枯れ木の林も肌を赤く変えていた。釈迦ケ岳を遠望できる草地に座って山小屋自慢の弁当の半分で朝食をとる。黄や紅に変わった木々で取り囲まれて快晴の青空の下で食べるのはとてもうれしい。舟ノ垰を通って行者道を進む。楊枝の森まで6分と書いた道標を過ぎて1693m峰の東を巻いた。振り返って西を見るとこの峰から延びる尾根には巨大な岩壁がある峰がある(釈迦ケ岳で会った大阪の人から七面山と聞いた)。もっと近くで見てみたい気がした。コルで休憩後少し歩いて楊子ケ宿と記された道標に出た。東下の平地には立派な小屋が建っている。楊枝ノ森と同じ場所なのだろうか。 釈迦ケ岳が近づくにつれ、行者道は尾根から外れて斜面の巻道になる。巻道には多数の蹄跡があったがとうとう角をつけた鹿がこちらを見ているのに気が着いた。まだ枝の少ない若い雄だ。ストロボの光にも驚かず、警戒距離に入るまで動かずに待っていた。ツガ林から出るとオオイタヤメイゲツの群落になる。今年は台風が上陸しなかったせいか茶色に変わった葉より黄色に染まった葉のほうが多いようだ。行者道は仏生嶽(1804.7m)も頂上はるか下を巻いてしまった。登山道なら三角点峰は必ず頂上を通るのにと不満を胸の中に言ってみる。釈迦ケ岳まで2.6kmと記した道標を過ぎ、鳥の水という水場でペットボトルに水を補給して休憩した。枯れることもあるという水場だが前日までの雨で地下水も豊富になったのだろう。本日二頭目の牡鹿を写真に納めて覗きを過ぎて孔雀岳と書いた山名板と行場の前を通り過ぎた。ここはどうも地形図の孔雀岳より釈迦ケ岳に近いと思うが国見岳と同じだろうと自分に言い聞かせた。南に湖が見える。ゴールの前鬼に近い池原ダム湖ではと思うがメンバーからは違う地名も出た。釈迦ケ岳の急斜面を目の前にした草地で昼食をとる。紅葉したドウダン、ミネカエデやヤシオツツジが草地の外れから斜面に生え、秋の陽光に透過されて美しい。山小屋自慢の弁当の残り半分と行動食の餡パンで腹を満たす。弥山小屋には男性は弁当2食と事前注文していたが「小屋が満員だから1食で我慢してくれ」と言われて承諾した。やはりなにか物足りない気がした。草地から先は左右が断崖の岩場細尾根でどうも橡の鼻と言うあたりらしい。岩には仏像が安置され、岩を抱えて断崖の上を歩く。目の下の岩群は五百羅漢と名づけられているものだろうか。釈迦ケ岳に向かう男性パーティを追い越し、釈迦ケ岳から下ってきた男女パーティと擦れ違う。釈迦ケ岳0.5kmと記した道標を見て鎖場を登る。急な岩場を直登するのかと思ったら登山道は上手に巻いて付けてある。もちろん鎖場は多い。頂上の肩についてその先を見ると紅葉したドウダンの脇に大きな釈迦立像があるのが見えた。釈迦ケ岳(1799.6m200名山)頂上だ。 三角点と山頂標の周りには4人ほどがシートを広げて休憩していた。我々も休憩する場所を探し、写真撮影をしていたが、その短い間に三々五々人が登って来てすぐに20人を超してしまった。何度も登頂しているという大阪から来た人にまず通ってきた山々から八経ケ岳と弥山小屋まで、七面山のむこうにははるか葛城山、南は大日岳を見下ろし、その先には大峯南奥駆の山々という具合に同定して貰う。既に昼近いため下界から雲と靄が上がってきて西の方向の山々ははっきりしなかった。 満員の頂上を後に、低木急坂を続々と登ってくる大人・子供・飼い犬に挨拶しながら快調に下る。旭口不動木屋谷道分岐を横目に紅葉したカエデ、ツツジを楽しみながら深仙ノ宿まで0.9kmの道標も通り過ぎた。急坂が平坦なコルの東側広場に深仙ノ宿跡が広がり、灌頂堂とプレファブ小屋が建っている。灌頂堂には男性2名が休憩中で我々も柔らかい日差しの中にシートを広げて休むことした。プレファブ小屋には宿泊禁止の札が下がっているが灌頂堂を挟んで100m位先には釈迦ケ岳の大岸壁から沸く水場がある。黙って泊まる人もあるのだろう。餡パンと水場で汲んだ清水でお腹を膨らまして大日岳に向かう。大日岳分岐から小ピークを巻いて聖天の森に着いた。見上げると岩場に行者道がある。大阪の人は「登りは岩場をよじ登って下りは巻き道を木の根を掴んで下ったらよい」と言っていた。K/Tさんと空荷になって取り付きから岩場に入り、大きな岩に行き詰ったので細木を掴んで右に回ると巻き道と行者道の分岐にでた。行者道の岩場に登ると一枚岩に珍しい青銅製の鎖がぶら下がっていた。鎖を掴んで腕力を頼りに登りきると細長い頂上部についた。あれが三十三丁という鎖場なのだろうか?針葉樹と藪で囲まれたの狭い平地に大日如来坐像と行場を示す札などがあった。どうやってこの大きな像を運び上げたのだろう?ともかくここが大日岳(1568m)頂上だ。4人が巻き道から登って着たので大日如来坐像の前が人で溢れる。場所を譲って踏み跡を進むと木陰から釈迦ケ岳から針峰群が続く尾根が見えた。若い男性が巻き道を登ってきて鎖場の方へ降りていった。勇気があるものだ。我々は巻き道を下り、聖天の森でザックを回収して分岐に帰還した。 巻き道を太古ノ辻に下る。正面に「これより大峯南奥駆」と書いた大看板や道標が立ち、芝生から花崗岩群にょっきりと顔を出している。それらの先に延びる踏み跡は歩む人がすくないのか細くなっている。見つめているうちに「これで大峯奥駆核心部縦走は終わりか」と気が抜けてしまった。だが太古ノ辻から前鬼小仲坊までまだ標高差が650m位もある。 気を取り直して草地から広葉樹の茂る谷へ斜面を下っていった。次第に笹も木も丈が大きなものに代わり、黄葉も緑掛かって季節が初秋へ戻って行くようだ。暗い林の中に制多迦童子(セイタカ)童子と矜羯羅(コンガラ)童子という二つの奇岩が聳え、釈迦ケ岳で会った関東三人組が休んでいた。どうやったら岩の頂上まで登れるかなどと話しは盛り上がったが先を急いで、先発した関東三人組の熊鈴の音を追って下り続ける。今度は倶梨伽羅岩に出くわした。このあたりに来ると役ノ行者より平安期からの真言密教に影響されているのだろう。橡の大木が登山路に葉を落とし、周囲には湿潤を好む植物が増えてきた。地形図では尾根を下るように見えるが涸れた沢を二度渡り、さらにもう一回沢を渡り返す。自然林から人工林に代わり、杉植林の真っ暗な中に石垣など廃墟が現れ、五鬼上、五鬼童と書いた札が立っていた。林の中から飛び出すとそこには右いてに前鬼小仲坊の宿坊、左手の立派な石垣の奥に母屋があり、宿坊の主人が箒をもって周りを掃除中であった。宿泊しないでゲートまで下りますと挨拶した後、下の広場で休憩をとる。見れば広い舗装道路が麓から宿坊まで伸び、末端には二台の自家用車が駐車してある。ここまで車を入れてくれたらと愚痴もでた。重い足を引き摺ってゲートに向かう。橋を渡り、右側の道路法面に生えているイワタバコや白い花をつけたアケボノソウなどを愛でながらひたすら舗装道路を歩いた。ゲートの先にチャーターしたバンと運転手を見つけた時には本当に嬉しかった。谷の上の空を覆う流れ雲も車の中から眺めた不動七重の滝の滝も大峯奥駆核心部縦走に良い思い出を付け加えてくれ、乾杯した温い缶ビールでさえ、美味に思えた。いつか吉野から洞辻茶屋までの北奥駆と太古ノ辻から熊野本宮までの南奥駆も歩いてみたいものだ。 (記:T/I) |
| ※ 山行インデックスのページに戻る |