新潟・山形県 飯豊 
オンベ松尾根~大日岳~烏帽子岳~石転沢
倉手山
残雪季の飯豊支稜縦走と前衛の倉手山から飯豊を見る
2013年06月03日~06日(木曜日)
【参加者】CL =(T/K)、メンバー T/I (合計2名)
【記録:コースタイム】
6/3 実川ゲート11:20→13:55湯の島小屋(泊)
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6/4 湯の島小屋04:45→04:56旧道→05:39下降→06:20アシ沢底06:35→登り返し→06:59オンベ松尾根 新道→月心清水→12:55早川のつきあげ13:28→14:33牛首山→16:34大日岳16:44→18:40御西小屋(泊)
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6/5 御西小屋05:01→07:49烏帽子岳07:58→08:38梅花皮小屋09:16→石転沢出合→13:26温身平→14:10飯豊山荘14:29⇒14:39民宿越後屋(泊)
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6/6民宿越後屋07:29⇒07:33登山口07:35→08:36尾根上→09:05倉手山09:38→10:43登山口10:48⇒10:52民宿越後屋
【コメント】
6/3
   大宮で乗車したMaxとき303号3号車内でCLと合流、08:58新潟に到着、信越本線09:18会津若松行に乗り換え、新津を直通して10:43日出谷に到着した。新緑の中に藤やニセアカシアが咲いていて雪国にようやく初夏が訪れたことがわかる。
CLが予約した小型タクシーで実川ゲートに向かう。年配の運転手さんの話では「オンベ松尾根コースはまだ山開きしていないが二週間前に1パーティを送った」とのことで林道通過はまずOKと安心した。
   実川端を左折して、実川沿いに遡る。有人集落は小荒まで、実川集落は住む人がいなくなったと聞く。簡易舗装から砂利道に代わるとすぐに、林道ゲートが道を閉ざしていた。日出谷駅から約25分の乗車であった。
   重いザックを担いで谷沿いの林道を進む。新緑の若葉を広げた樹林を通る風が爽やかであった。水力発電に関係する建築物や設備があるせいか、よく整備された林道だ。1時間50分歩いてトンネル入口に着いた。天井からの漏水でビショ濡れになると言う情報でCLは雨具を装着、TIは携帯の傘を広げた。この空梅雨のせいか、漏水はたいしたことは無いが足元の溝を流れる水の量と勢いは中々のものだった。懐中電灯とヘッドランプで照らしながら約10分で出口についた。目の前のトチの木に花穂が立ち、暗所から出た目に爽やかに映る。ここまでの林道脇にバイクや軽自動車が置いてあるのを見ると渓流釣りや山菜取りなどで今朝も地元の人達が入っているいると思われた。我々もずっとタクシーで入ることができたらと思うが・・・
   飯豊山周辺生態系保護地域看板が目印なのだろうか。左手のブナ林に踏み跡が延びている。踏み跡を辿ると湯ノ島避難小屋が目の前に建っていた。先客なし。早速、蚊取り線香を点けてブユ・蚊除けにした。山渓の「山の便利帳2013」にはゲートから湯ノ島小屋まで歩程3:30とあった。我々の所要時間は約2:30とまず順調である。
   落ち着いたところで、オンベ松尾根ルートの偵察に向かう。林道は実川本流堰堤に降りる柵までで終わり、その先には登山道らしい踏み跡がない。左手の林に入って支流アシ沢沿いに進むと左手から踏み跡が延びていた。尾根末端に慰霊碑とブナ大木があり、「立ち入り禁止」札が結び付けてある。旧道は使われていないのだろう。大木右手の斜面の踏み跡には固定ロープがぶら下がっていた。前を進むCLが急なザレ斜面を横切り、踏み跡を下っていった。重荷を背負って下るのは中々大変と思われた。CLを追いかけて進むと左手にブルーシートで包まれた橋の資材と思われるものがあった。デブリや雪解け水で流されないように高所に保管してあるのだろう。アシ沢に下ったCLから、「先には鉄製階段があるが見ての通り、雪解け水の激流が岩を洗っていて渡渉は無理。直ぐ下の小滝まで流れたら天国行き」との声が掛かった。林道に引き返して林道支線を詰めてみたが、旧道へ繋がっているとは思えなかった。
   結局、遭難碑から踏み跡を詰めてCLのGPSにインプットした下降点まで旧道を登り、アシ沢まで薮を下ってオンベ松尾根取り付きを捜すことにした。尾根筋には明瞭な踏み跡が続く。左右から谷が迫る狭い尾根筋に北五葉松の大木が続く標高750mあたりでアシ沢にデブリがつけた薮の隙間にしたがって下った。所々に美味そうなウドやオオバキスミレが生えていたが採取する余裕も無く小木を掴み、声を掛け合いながら下った。どうにかアシ沢の支沢に溜まった雪渓に出て、アシ沢出合いの上流に立つことができた。幸運にもアシ沢もここから直立の崖が続く上流へ雪渓が延びていた。雪渓に立って見上げ、「オンベ松尾根の新道へは薄い薮をよじ登れば到達できるだろう」と推察した。
   一休みしたのち、アシ沢から旧道へ薮斜面をよじ登り、尾根を林道まで下って、湯ノ平小屋に帰り着いた。
6/4
   湯の島小屋入口からブナ新緑を透かして見上げる青空には雲一つ無い。気温は8℃で爽やかであるが顔の前を数十匹のブユが舞う。
   湯の島小屋を4:45に出発して林道末端近くの踏み跡から旧道を登る。空身の偵察と違い、ザックが重い。昨日付けた目印を探して下降点近くで右往左往したが約150m下ってアシ沢底の雪渓に着いた。斜面にシラネアオイが1株、その周りにはウドなど山菜の若芽が吹いていた。再び、薮を漕いで急斜面を約100m登ってオンベ松尾根の登山路に乗ることができた。待っていたCLと7:04に合流して額の汗を拭いながら「新道が利用できていたら1時間は・・・」と思った。
   汗を垂らしながら尾根を登るにつれ樹木は次第に低くなり、眼下のアシ沢の雪渓は見上げる尾根の残雪に繋がり、雪を被った櫛ヶ峰に連なる尾根が青空を背後に聳えていのが見えるようになった。薮にはムラサキヤシオが、足元の根元にはイワウチワ、路傍にはノウゴウイチゴ、隠れるようにヒメイチゲやミツバオウレンの花々が咲いていた。次第にCLの登りペースに遅れるようになってきた。おいて行かれるのはいつものことだが今朝は休むと直ぐに間が開いてしまう。
   標高1100mにある平坦な空き地で待っていたCLに合流した。暑い。残雪から立ち上がりかけたマンサクが満開だ。水を一飲みして休んだ。どうも石仏とペナントがあるという月心清水を通り過ぎてしまったらしい。水の補給が問題だ。ま、残雪を齧ればいいか。この先は急な尾根筋となり、固定ロープも見える。薮には大輪のカタクリが満開で疲れを癒してくれる。
   どうにか急坂を登ると、大輪カタクリが行列している細尾根になった。夏道の直ぐ下に残雪が帯になって繋がるようになり、夏道も残雪斜面に隠れるようになった。谷越しになんども雪崩れの轟音が響く。みると支谷の上部から本谷に向かって雪の塊が茶色の筋になって流れ下ってていた。標高1700mで昼食休憩としたがパンの欠片をコーヒーで流し込んでようやく飲み込むほどバテバテ状態になっている。背後の青空の下には霞んだ磐梯山が見える。残雪が続くようになったのでクランポンを履いた。
   前を歩くCLの姿が櫛ケ峰と早川突き上げの間にある雪斜面上に芥子粒ように見える。早川の突き上げ直下は雪が崩れて雪壁とシュルンドが何段も重なっている。CLは櫛ケ峰側のベルクシュルンドを渡って笹・ハイマツ薮をよじ登って雪壁の上に消えていった。ようやく雪壁下に到着した時、CLが牛首山側から顔を出して「こちらの方が楽」と声を掛けてくれた。牛首山側残雪の衝立を乗り越え、衝立の上を渡ってシュルンドに降り、雪の衝立にピッケルで窓を作ってどうにか最後の低い雪壁に取り付くことができた。雪壁の先はハイマツ薮、その間に夏道があった。息も元気も切れてしまった。
   稜線の夏道を歩む。薮斜面の先には飯豊主縦走路尾根が白く延びている。夏道の左右は満開のミネザクラが街路樹のように続く。大日岳が目の前に見えるようになったが今日のゴール 御西小屋はまだまだだ。
   牛首山に14:33に到着した。山の便利帳には湯ノ島小屋から牛首山まで5時間の歩程とあったが、今日はすでに約10時間を費やしてしまっていた。ザックの荷が重すぎたのか、天気が良すぎて暑すぎたのか、飲み水不足か、カロリーかどちらにしても今後の検討が必要だ。
   大日岳直下に近づく。目で探る夏道は急な斜面を巻き、薄い腐れ雪が張り付いている。先行するCLの動きを見つめるが滑落したらどこで止まるかと不安になる。CLの姿が巻き道の向こうに消えた後、暫くして腐れ雪巻き道に取り付いた。クランポン、ピッケルを草付や腐れ雪の下に利かせてどうにか危険箇所を抜けたがどうにも腐れ雪下に夏道があるように思えなかった。ハイマツの夏道を登ると大日岳の頂上であった。牛首岳から大日岳まで1時間の歩程に所要2時間とどうにも情けない。
   大日岳の頂上で待っていたCLに迎えて頂き、山座同定を兼ねて休憩をとった。登ってきた牛首山の右手には昨年CLと踏破した二王子岳から赤津山、そして二ノ峰と門内岳、遠くに阿賀野川、日本海が光って佐渡島が見える。さらに北股岳から御西岳、飯豊本山に至る峰々をつなぐ主縦走路尾根が目の前にあった。遠くに月山、朝日連峰、蔵王、吾妻連峰、磐梯山など有名な山や名も知らぬ南東北の山々も展望できた。
   日没が1時間後と迫ってきたので大日岳を下る。途中の下りでワンタッチクランポンが外れて標高差50mを登り返して回収、改めてしっかりと装着したがCLに再び遅れてしまった。文平ノ池にもまだ残雪が溜まり、水面の広がりも僅かであった。尾根道には雪解け後直ぐに芽生えたハクサンイチゲが蕾を膨らませていた。もう二、三日すれば一面満開となろう。尾西避難小屋がようやく目前になったがあと少しの登りがきつかった。大日岳から御西小屋までやはり歩程の2倍近くを要していた。
   先に小屋に入ったCLは水場を調べ、同宿の長岡の男性と挨拶を済ませていた。期待した水場は雪で埋まっているので雪を溶かしてまず水作りに取り掛かり、食事を済ませて寝袋に潜ったのはすでに21時を過ぎていた。こんなにバテた原因はなんなんだろうか。まさか年のせい?
6/5
   御西小屋を出て残雪の上に乗る。まるで雪原歩きという気分だ。今朝は西風が吹いて心地よい。天狗の庭を過ぎて出発より50分歩いた頃、CLが10分の休憩をとってくれた。昨日のバテバテを懸念してのことだろう。50分から1時間歩いて10分休憩と歩き慣れたモードで烏帽子岳に向かう。7:20頃、後発の長岡の男性に追いつかれてしまったが・・・ 振り返ると大日岳から御西岳の尾根の向こうに飯豊本山から下るダイクラ尾根が見えた。昨夜の話では吊橋復旧工事が遅れてダイクラ尾根コースは閉鎖とのこと、残念。エブリ差岳から飯豊本山まで縦走したかったのに。
   なぜか夏道が薮を避けてクランクしている肩を過ぎ、烏帽子岳から梅花皮岳を歩む。長岡の健脚家は梅花皮小屋にゴールしかけているのが見えた。梅花皮小屋の右手には北股岳から急な雪渓が谷に下っていた。今朝はこの石転び沢を下るのだ。この間、余裕綽々のCLは何度も今夜宿泊かつ登山口送迎をお願いした民宿越後屋に携帯電話をかけたがうまく繋がらなかった。
   梅花皮小屋に下りついて、石転び沢下降点で休憩する。長岡の方の携帯電話(ドコモ)を利用させていただいたところ、民宿越後屋に連絡がついた。「16:00に飯豊山荘出迎えを依頼できた」とはCL、ひとまず安心できた。エブリ差小屋に戻る長岡の男性と別れの挨拶を済ませ、石転び沢下降点下の雪堤上でクランポンを履いた。
   雪斜面に立ってみると毛勝谷や猫又谷の方がはるかに急傾斜であった。とは言うものの、スタスタ下るCLの踏み跡を活用させていただいて、クランポン・ピッケルを十二分利かせてオイッチニ、オイッチニと用心して下った。傾斜が緩やかになった斜面でようやくカメラ撮影ができた。谷を見上げても、もう梅花皮小屋は雪の向こうに隠れて見えなくなっている。CLは数十m先で今朝初めて石転び沢を登って来た方と談笑していた。谷には左右の崖・斜面から落ちてきた岩や雪の塊が散らばり、石転び沢の名の由来を示しているようであった。もう少し下流にはデブリも差し込んでいた。
   残雪斜面にスキーのシュプール跡が延び、登って来た男女2人組、男性3人組と挨拶を・情報を交わす。標高は約1050mと梅花皮小屋から標高差800m下った頃であった。二股から石転び沢は梅花皮沢となる。男女3人組が雪遊びをしていた。ここまで足拵えした観光客が登ってくるのか。雪渓の上には道しるべの小枝が適当な間隔を空けて列を作っていた。ホワイトアウトだけでなくクレバス・シュルンドを警戒してのことであろう。雪渓末端に近づき、赤テープを目印に雪渓から左岸の夏道に上がった。石転び沢出合の直ぐ上流になる。ザックを下ろして休憩しながらクランポンを脱いで収納した。これで危険と評判の石転び沢雪渓を無事に通過したと思う。立ち上がってみると夏道の脇に慰霊盤が草に埋もれ、カタクリ、エンゴサク、キクザキイチゲがその周りを囲んで咲いていた。
   雪渓を出ると再び昨日の暑さがぶり返してきた。サンカヨウやカタクリが目にして、彦衛門ノ平という看板を過ぎる。左岸の梶川尾根から下ってきた残雪が支沢に溜まって夏道際で口をあけている箇所がいくつも出てきた。残雪に倒された低木が重なって持ち上がり、その下を雪解け水が梅花皮沢に向けて落下している。重いザックを背負った身には石転び沢雪渓よりはるかに怖く、枝を掴み、小枝を払い、沢を渡らねばならない。延々と続く夏道は急斜面を巻き、アップダウンを繰り返し、おまけに正午の太陽が照り付けて心身から元気を奪って行く。バテバテになったところでブナの木陰で待っていたCLと合流して昼食休憩とした。
   時間調節を兼ねて30分も休んだ後、ヨイショと立ち上がり平坦になった徒歩道を下る。堰堤から落下する雪解け水の音が轟く。堰堤脇の階段を下ると、休憩所があり、車も通る林道の末端になっていた。これで本当に「ホッ」とすることができた。休憩を挟みながら林道を15分ほど(歩程は数分)歩くと温身平に着いた。ブナなどの大木の間から覗く谷間には飯豊連峰の白雪が遠望できた。観光客の散策には絶好だろう。ダイグラ尾根・飯豊本山分岐前の木陰で大休止したが大群のブユに追い立てられて飯豊山荘に向かうことになった。
   林道ゲートは天狗平の橋の袂にあった。昨年下ってきた梶川尾根登山口の直ぐ先である。ゲートの向こうには数台の車が停まり、橋をサンダルを履いた男性が渡ってきた。見ると温身平ガイドの大看板の脇にダイグラ尾根通行止めのポスターがあった。早く、吊橋を復旧してもらいたいものだ。昨年4月には残雪・デブリの上をクランポンで歩いた舗装道路を今日は登山靴だけで軽々と歩いて営業再開準備工事中の飯豊山荘前に到着することができた。
   再開工事関係者の方から携帯電話(ドコモ)を借りて、民宿越後屋に「予定より早く下山できたので迎えに来て欲しい」と連絡することができた。工事関係者の方の話では「東北電力の光回線端末にドコモだけ結ばれている」とのことであった。約15分で越後屋の若旦那運転の自家用車が到着した。重いザックを車に積み込んでやっと開放された気分になることができた。
6/6
   昨夕の食事は岩魚と山菜尽くし、久しぶりに堪能した。今朝も凝った和食でご主人の意気込みが感じられた。蕎麦打ち作務衣からヘルメット作業服に着替えたご主人が自家用車でタニウツギが満開の倉手山登山口まで送っていださった。今朝も快晴である。
   空荷に近いとはいえ、急な登りは疲れが残った体に辛い。道の脇にガイドブックに書かれていたオオイワカガミが出てきた。日本海・越後の物と較べると大分葉が小さい。麓に近い場所ではもう花時が過ぎていた。ほんのすこし登るとオオイワカガミも雪椿が満開であった。雪椿は美しい花をつけるが薮を漕ぐ時は辛い仕打ちをするとふと現実の生活のそれと較べてしまった。
   たおやかな飯豊の頂上稜線が木立の新緑の間に現れてきた。「鉾立の尖がりの右に朳差岳が見える」とCLが指差し示す。麓を見渡すと新緑の里山の向こうに枯松山と大境山が聳えていた。飯豊の前衛には素晴らしい山が多い。尾根上に着いて右に曲がる。背後の平地には玉川の学校の建物が目立つ。
  ゆるゆるとした尾根を下るとコルから再び急な登りが頂上部まで続くのが見えた。とはいえ、長いものではない。先に上っていた1組と擦れ違ってすぐに頂上部の雪田に登りついた。雪で倒された何本ものマンサクが花を満開にしていた。お互いに絡んだマンサクの枝を掻き分け雪田を渡って倉手山山頂標の立つ頂上に向かった。
  山名標と三角点の回りは薮がたち、背後の展望は無い。が、目前にはダイクラ尾根~飯豊本山、御西岳から北股岳そして石転び沢、扇ノ地紙から梶川尾根、地紙山から丸森尾根そうして鉾立と朳差岳まではパノラマになっていた。至福の展望だ。
  名残は惜しいが、小国駅から米沢駅へ向かう数少ない列車の出発時刻が倉手山から我々を引き釣り下ろす。煙のように体にたかるブユも追い立てる。後続の登山者も続々と登って来た。コルへ向かって下山することにした。
  急傾斜の登山道から見るとコルの先にはヤマツツジで彩られた断崖がある。満開、美しい! コルから緩やかな尾根を登るとヒメサユリを携帯電話で撮影中の3人連れの女性登山者がいた。登山道から一段下った場所だ。よく見つけたものだと一感心した。
尾根を左に曲がって一気に急な山道を下る。広葉樹林の中なので日差しは遮られるが次第に暑くなる。目の下に駐車場広場が見えると直ぐに、タニウツギの花がアーチになった登山口に下りついた。
   越後屋の主人の迎えで宿に帰り、まず汗を流した。着替えて落ちついたところで民宿自慢の天笊手打ち蕎麦を昼食に頂く。宿代を清算したところ、送迎込み宿代(2食)\8500、天笊\1500と梅花皮荘に泊まって飯豊山荘から小国駅までタクシーを利用するのよりはるかに経済的であることが分かった。ご主人のマタギ話は面白いし、周りの田圃の蛙声やクイナ、ホトトギス、カッコウの囀りも楽しかった。
   ご主人に雪国の民宿経営の真髄を聞きながら小国駅についた。前回と同じく、駅前のモールで飲み物を仕入れ、余裕をもって14:13発の米坂線の列車に乗ることができた。バテバテになり、予定の西大日岳の頂上を踏めなかったがオンベ松尾根~大日岳~石転び沢を始めて縦走できたのは本当に満足できることであった。機会があれば倉手山からみた飯豊主稜も歩いてみたいものだ。
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