台高山脈 高見山から池木屋山
ブナ林黄葉の台高山脈北部を縦走
 【期日】    2015年10月29日(金曜日)〜10月31日(土曜日)

 【メンバー】    CL(Qさん) TI (合計 2名)

 【コースタイム】 休憩などを含む
 10月29日(木)
 横浜高速バス 10/28 23:15)⇒7:05近鉄名張駅7:12→7:27榛原駅タクシー乗車7:32→8:04高見山登山口(470m)8:21→9:38小峠(820m)→10:22高見峠(890m)→11:04高見山(1248m)→高見峠(昼食)12:16→13:12雲ヶ瀬山(1075m)→14:21ハンシ山(1137m)→15:25伊勢辻山(1290m)→16:25国見山(1419m)→17:03水無山(1441m)→17:15明神平(1330m幕営)

 10月30日(金)
 明神平(1330m) 6:05→三塚分岐→6:37明神岳→笹ヶ峰(1367m)→7:44千石山(1380m)→水場→8:59赤倉山(1394m)→10:28池木屋山(1396m)→往路を帰る→13:42笹ヶ峰(1367m)→桧岳奥峰分岐14:15→15:01桧岳奥峰(1420m)→15:18桧塚(1402m)→明神岳16:30→三塚分岐→16:43明神平(幕営)

 10月31日(土)
 明神平(1330m)6:53→三塚分岐→8:21薊岳(1136m)→8:56木の実ヤ塚→9:14薊岳(1136m)→10:49大鏡池・大鏡山(1163m)11:00→12:13大又(県道)→昼食→12:51八幡温泉=コミュニティバス乗車15:32⇒14:11菟田野⇒三重交通バス⇒榛原→鶴橋→大阪→新大阪18:16→小田原 解散→品川→池袋

 【コメント】
 初夏に歩いた台高山脈南部(大台ケ原〜池木屋山)の続きはどうなっているのか、Qさんの調査では台高山脈北部(池木屋山〜高見山)の明神平に大学や高校の小屋と素晴らしいテント場があり、水場も近く、そこでテント泊すれば縦走のついでに山脈派生の山々にも登ることができるとのことであった。ブナの黄葉を見ようとの誘いの連絡が入った時は注文を付ける余地なく同行をお願いした。状況が悪ければ縦走のみ、良ければ桧塚、薊岳や木ノ実ヤ塚も踏めるんだ。
 交通機関の事情で明神平に2泊する行程に代わったが 好天のおかげで無事に桧塚、薊岳、木ノ実ヤ塚を加えた台高山脈北部を縦走することができたことに満足している。
 台高山脈北部縦走は南部に比べて岩場、薮も少なく、アップダウンの高度差も小さい。楽々コースといえるかもしれないが距離が長く、水場が限られるので相応の日程、装備と体力が必要だと思う。できるだけ日が長い時期に縦走するのが賢明だ。
 明神平の水場として先着の方から西(大又林道)の水場を教えて頂いたが、天理大学の山小屋の東5〜6分の近場にも水場があるとのことであった。情報調査の甘さを痛感した
これからも林道からピストンしたり、周回したり、日帰りで楽しむ関西の登山者がとても多いのではと、も思う
 【記録】
10/28
 JR横浜駅東口BTの C乗場 No.17に定刻30分前に到着した。深夜にもかかわらずバスを待つ人が多い。すこし遅れてQさんが到着、共同装備を預かる。 天候が悪く2日延期したおかげか、雨の心配はなさそうだが風が強い。三重交通の伊勢(伊賀)〜品川線No.0101(Qさん予約\13500/2人)座席はB2とB3に、大荷物をトランク預けにして座った。すぐにアイマスク、イアプラグを着けて夜行バス睡眠に入った。定刻を15分も過ぎてようやくバスが動き出す。気になって寝つきが悪かったがどうやら朝になるまで眠ることができた。ぴっちり閉めたカーテンのせいで外が見えずバスがどこのSAにとまったのか、どこのICで降りたのか分からなかった
10/29
 伊賀上野について多数の客が降車した。若い人が多い。運転席背後のカーテンが上がり、晴天の朝が迎えていた。伊賀は松尾芭蕉や忍者の里ということで静かな田舎を想像していたが名張の近くには工業団地もあり通勤や事業用の車が多い。対向車線は渋滞して数珠繋ぎになっていた。近鉄名張駅前で下車、大きなザックを担いで近鉄の電車に乗り、15分ほど先の榛原(ハイバラ)に到着した。出札口を出てQさんが予約していたタクシーに乗車して杉谷に向かう。菟田野(ウダノ)BS横を通過して分岐を杉谷へ、古民家が続く集落を抜けたところに高見山杉谷登山口(470m)(タクシー料金\6510)があった。道路の両側に高見山登山口との立て札・道標がある。登山口には水場と手入れされた植木があり、コンクリート階段が斜面を登っていた
 谷間の西入り口方向を見返ると快晴というべきか青空が緑の人工林の上に広がっていた。水場の清水で口を漱いで杉谷登山口を出発し、整備されたコンクリ階段を高見山へ登る。徒歩道はすぐに地形図破線から外れて民家裏から集落を見下ろすようになり、竹林から杉人工林に入って尾根筋に出た。右手に山道具と紙の鯛を供えた山の神の祠があった。攣り下げた供物とは珍しい。ジグザグ道を登るが久しぶりに担いだテント泊2日分のザックが重い。旧伊勢南街道とその由来を記した看板に出会う。足元は東海道の箱根と同じ一間幅石畳葺きの道に代わった。草鞋で歩けば滑らず快適であったろうが登山靴の堅いゴム底はなじまない。坂を上がりきると土道に代わった。電光道が終わり、尾根筋の平坦路を歩む。人が歩いていないせいか顔に蜘蛛の糸が纏いつく。狭い徒歩道の右は谷側で小木・薄が茂り、左手は人工林で、廃道になって久しいことが覗えた。古市という道標と由来書きがある。こんな場所で奈良と伊勢の人々が市を開いていたというが昔の面影が見つからない。674m標高点を過ぎると「虱とり」という地名がでてきた。旅人がそうしたとは面白いが昔の苦労に身がつまされる。左右から薄が覆う登山道を過ぎて「雲母曲り」で右に折れて坂を登り人工林の中に入った。徒歩道は殆ど等高線に沿っているので少々退屈する。休憩をとった後、ほんの少し歩いたら轍の跡が残る広い林道に出た
 小峠(820m)は林道の一部になっていた。階段に鳥居があり、高見大峠尾根道分岐と分かる。また小峠との看板も立っている。我々は明神平に行かねばならないので尾根道には進まず、林道を歩いて徒歩道の旧伊勢街道へ登る。登り口に看板が立ち、「林道も徒歩道も通行規制閉鎖中」とあった。そうなら、なぜ杉谷に通行止め看板がなかったのだろうか。少し悩みながら林道から細い踏み跡に登った。これが旧伊勢南街道かと思うような細い道が続くかと思えば所々幅が広くなる。右下には林道が並行していて不思議なコースだと思わせる。そんな感慨にふけっていると足下からヤマドリが飛び立ちびっくりした。杉木立を透かして白いコンクリートで覆った大斜面が現れた。先年の大雨で崩落して大工事があったのだと規制の理由をはじめて理解納得した。斜面手前に立つ看板指示に従ってトラロープの外を少し登ったが踏み跡がすぐに消え、見下ろせば完成した斜面上段平坦地に歩いた跡が続いていた。平坦地を抜けるとなんと目印テープが幾つも下がっていた。どういうことだろう?標高点904.1mを過ぎ、旧伊勢南街道を抜けて駐車場上に到着した。Qさんのチェック 歩程は重荷のせいで軽荷の1.5倍かも。
 林道の高見峠(大峠890m)の上にある山岳信仰石碑横に大ザックをデポしアタックザックに水などを入れて担いだ。高見山登山路に出て広場を見下ろすと駐車している車が1台あった。奈良側不通だから反対側から延々と杉谷林道を登ってきた先行者がいるに違いない。高見山の急斜面につけられた狭いが整備された徒歩電光道を登る。すでにカエデの紅葉は終わり路上に落ち葉となって積もっていた。ウリハダカエデの葉が目立つ。オオセンチコガネが紫色の金属光沢を輝かせながら足下を舞う。鹿の糞などが目当てだろう。登るにつれて葉を落とした木々の間から南の展望がきくようになった。草付斜面に出るとそこは展望地になっている。ベンチが置いてあって汗をかいた男性が1人休んでいた。挨拶を交わして話を聞くと、「大阪からきて今朝、台高山脈北部縦走路に向かったが薮・倒木に出会って撤退した。往復3時間かかった」とのこと、そんな厳しい状態なのかとすこし気持ちが暗くなった。我々は急ぐ身なので小木林の中の登山路を頂上へ向かう。次第に東の山麓にある集落を見下ろすようになった。また台高山脈縦走路のある尾根筋が遠くまで展望できるようにもなった
 高見山(1248m 300名山らしい)の山頂の二等三角点は祠の石垣の東裾にある。傍には東面の兜岳から三峰山、 曽禰の山々などを彫り込んだ金属製展望盤が光っていた。石垣を回って階段を登ると 高見山山頂を示す標柱が立っている。南には台高山脈北部の山々が幾重にも重なって見えた。石垣西下の建物の影で休んでいた二人連れの男性が西尾根の方に下っていった。入れ替わりに風を避けるため建物(何にため?)の陰で休ませてもらった。ついでに行動食を湯で喉に流し込む。高見山山頂南面には小木が林をなしている。冬になると、こんな小木に霧氷がついて輝くのだろうか? 榛原から臨時バスが出て高見山大峠から行列すると聞いたことがある。今はマユミが結実して美しい。一瞬、ツリバナとマユミの実の見分け方を再確認しなくてはと思った。
 立ち上がって、来た道をQさんを先頭にどんどん下る。里の気温が上がったせいか雲が増えてきた。見下ろせば中腹にはまだ黄葉が残っている。男女二人連れが登ってきた。女性はダウンジャケットを着込んでいる。暑いのではと無用の心配が頭の中をかすめる。改めて展望地から台高山脈の尾根筋縦走路を目でジッと辿ってみた。これが出発とデポ地点に帰って来た
 デポ地点から(高見峠の)広場に下って風裏の公衆便所脇で昼食を終えた。高見大峠駐車場の車は3台に増えていた。杉谷林道の奈良側は小峠と同じくの閉鎖されていて徒歩道も通行禁止と書いてある。冬には霧氷見物で混むだろうにどうなるのだろうか。心配はさておき、本居宣長の歌碑を見て台高山脈縦走路の入り口を探す。錆びた登山届ボックスが立つ広場の片隅から踏み跡が人工林の斜面に続いていた。地形図破線と異なり尾根の西側を登ることになっている
 陣ヶ平に到着して地名標を見ながら水飲み休憩をした。足元には苔が生えるほど古くなった東吉野村の台高縦走路道標がある。周りは人工林の中であるので風景・地形図照合による現在地確認はできない。が、道標を見て気分が軽くなった。どこからかバイクの排気音が聞こえる。しかし見下ろしても車道の形跡はなかった。目先には、杉林の中に林道(作業道)、台高山脈縦走路が交差して迷路になっている。コンパスで方位方向を確認して徒歩道へ出発した。古い手作り標識「高見山〜天神平」を見つけて、「これで安心」、もちろんGPSでも確認していたのだが。12:48には高見トンネルの上を通った(と帰宅してトラックログで確認)らしい。東のP1021m尾根への分岐には基準標石杭が丸石で大切に囲まれていた。コルに降りると「東吉野村北部台高縦走路」透明プラ標識があり、ついで「高見大峠〜雲ケセ山」と記した手作り標識もあった
 雲ケ瀬山山頂に着いた。「雲ケ瀬山1078m」と書いた山名板が木に架かり、地面にも雲ケ瀬山山名板が置いてあった。周りは落ち葉が積もり、西風が強く身体を冷やす。風を避けて小休止した後ザックを担いだ。10分ほど歩いて地形図破線分岐辺りを通り過ぎたが巻道への踏み跡が見つからない。杉などの人工林があるせいかなにか奥武蔵の山を縦走していると錯覚さえしてしまう。
 地形図破線合流点に来たはずだ。道標にはハッピタワとある。再び地形図破線分岐辺りに進んだと思われたが、ここも巻道への踏み跡は見えなかった。結局尾根筋を歩き続けたことになる。日が射すと谷越しに見える山は黄と緑のパッチ模様が青空に鮮やかに映えて秋が台高山脈の麓へ進んでいることを知らせていた。P1007mを過ぎると伐採跡地は薄の密薮に変わっていた。獣道を含めて踏み跡ははっきりしていたので安心する。撤退した男性はこのあたりまで来たのかしらと振り返って高見山の方を見た
 桧林の中にあるハンシ山(1137m)山頂には境界標識杭が立つ。10分ほど休憩して出発した。地蔵の谷の頭(1128.5m)を過ぎて伊勢辻へ向かう。地形図破線分岐には「伊勢辻八峰越え」と、「先は国見山」という道標がある。再び薄の縦走路を進み、踏み跡を登った
 伊勢辻山(1290m)山頂はこれまでの峰と似ていて登山者には現在地の判断が難しい。歴史的にはいわれがあるんだろな。知識がないためか感慨も湧かなかった。薄原から前方の縦走路を望む。日が傾いたのにまだまだ先には山々が続いている。Qさんの調査では笹薮が濃いとの情報であったが笹は見当たらず薄だけが広がっていた。笹枯れで薄原に変ったらしい。さらに南に進むと右手に地形図にはない池(池塘)があった。溜り水だが緊急の場合には利用できよう。P1320m標高点には「馬カケ場辻」という道標があった。少し進むと小木・薄薮に今度は「馬駆け場」、10分進んだ頃にさらに「馬駈け場」との道標があった。親切な道標だが現在地確認には紛らわしいと思った
 1418.9m三角点のある国見山にようやく到着した。薊岳とともにバイケイソウの花が名物というがすでに枯れて姿がなかった。また国見というほどの展望もない。日が沈みかけたがまだ水無山を越えないと明神平には着かないと少々気持ちに焦りが入った。
 水無山との間にある峰には思いのほか早く着いたが、日暮れはもう間近かった
 水無山に到着するのと合わせたように日が沈む。南斜面を駆け下ると明神平がようやく目に入った。Qさんが調査したように山小屋が2軒、緑のテント場が間に広がている。平地にかかる頃、西側を大きな黒い獣(猪らしい、カモシカにしては大きすぎる)がドッドッと足音を立てて北に走り去った。さらに平地へ下ると右手をヘッドランプらしい点滅が走り、影に隠れて再び輝いた。その方向に1張りのテントと点滅しているヘッドランプを着けた男性がいた。ちょうど風除けの木立もあり、隣にテントを張らしてもらうことにして水場の位置を聞いた
 教えて頂いたように明神平(1330m)から登山路を西に下る。真っ暗でヘッドライトのお世話になりながらガラガラ道を下って18分ほどで水場に着いた。明日の分を含めて6.5Lの水を汲んでナップザックを背負う。急いだせいで、ここにあるというヒメレンゲを確認することができず、下山後、残念な思いをしている。登り返して暗い中、テントを設営し、ようやく落ち着いた。夜半は晴天で月夜、風が枝を鳴らし、鹿が鳴いて眠りを浅くした
*
10/30
 池木屋山宮ノ谷登山口から奥香肌峡スメールまでの足として計画していた森タクシーが今年廃業して、急遽、Qさんは計画を改定した。本日は明神平から池木屋山を軽い荷で往復して明神平にもう1泊するように変更となったわけだ。明日は明神平から薊岳を経て東吉野村の八幡温泉に下山する。ということでアタックザックに雨具兼防寒具、昼食・行動食、湯・水、ヘッドランプを詰め込んだ。外は晴、まだ上空に残月がある。気温は5℃で暑がりのTIにとっては心地よい
 明神平テント場を出発する。天気は下り坂か、高い空に薄雲が広がり始めた。まだ薄明りの中、茶色に枯れたシダの坂に出る。「明神岳大又林道」と記した道標がある。すこし登ると薊岳分岐になる。シダの坂の上には青苔が広がる登山路になった。人が歩く道に青苔が残るとはよほど条件いいのだろう。巨岩の上に木々が生えている、これが塚かな。もう2つ、3つあるから三塚だろうが由来は知らない。ようやく朝日が上がるが曇天になって来た。尾根筋に入って桧塚奥峰分岐を過ぎると三塚分岐になる。ここも薊岳分岐となるらしい。そんなこんなで分岐がたくさんあって面倒だ
 明神岳(地形図では穂高明神岳1432m)は西側が切れ落ちた尾根になっている。崖から西風が吹き上がってブナ林が枝鳴りする。朝日が上がった。明神岳を過ぎてすぐに桧塚分岐という標識がある。やれやれ分岐だらけか。雌鹿が目の前から逃げ出して左側の緩斜面からこちらを見ている。ふり返ると黄葉の山肌に旭光が輝いている。西風が冷たい。下ったり登ったり、手作りP1370m標とこんどはP1380標を峰々の頂上で見た。小さなアップダウンを数多く繰り返す尾根縦走路ではこんな山名標があれば現在地確認ができて大変役に立つ
 笹ヶ峰(1367m)とはいうものの笹枯れだったのかその名通りではなかった。平坦な頂上(尾根)で山名標が見つからず通過してしまったらしい。帰りに確認しよう。笹ヶ峰から下って探していた地形図破線十字路も見当たらなかった。このあたりまでブナ高木疎林が続く。ブナはすでに落葉してその姿がよくわかる。豪雪地帯のような根曲がり、腰曲がりが全くなく、素直に伸びていた
 千石山(1380.5m)は狭く、薮で囲まれている。遠く北からみた豊満な姿とは大違いの痩せた岩峰であった。雲が太陽を隠し、西風は変わらず強く、寒々としていた。千石山の頂上尾根には3つの峰があり、西峰で休憩した後に中峰から南へ下る。東峰は登山路から外れているので踏み忘れた。間の岩稜尾根には蕾をつけたシャクナゲがある。寒風に追われ、木立の間に見える南の山々へ向かって急降下した。帰りの登り返しが辛かろうと思うがまだ池木屋山は遠い。
 コルに下る途中の左側にQさんがテント場を確認した。登山路尾根東脇の斜面の段にテント1張分の平坦地、その先に涸れ沢に水場(水溜り)がある。当初計画ではここまで重荷を背負って来てテント泊の計画であった。時間切れはともかく、ここでも水場を探すには明るい時間に到着する必要があるようだ。沢の向こうに崩落地があり、もしかしたらその手前の沢に本格的な水場があるのかもしれない。
 広葉樹林の下りでオオウラジロノキの実をQさんが見つけた。二年前の鬼面山の登りに見たのを思い出す。このあたりの下薮には白い蕾や赤い実をつけたミヤマシキミの緑の群落が続く。赤倉山へ登る。広葉樹二次林の中、草付やザレ場に古い切り株が残っている。伐採の跡らしく、赤錆びたワイヤーロープが張ったままあるいは巻いたままの状態で残っていた。
 赤倉山(1394m.)の岩稜に入ると石楠花薮があるアップダウンとなる。ここらの石楠花は枝を分ければ素直に従う。千里峰の山頂に着いた。木製の山名標は朽ちかけて千里と読めなかった。しかし山印石柱が立ち、それに「千里峰」とフェルトペン手書きの貴重な印があった。
 続いて奥の平峰と書いてある峰について南を眺めると初夏に歩いた尾根筋が横に伸びていた。まだ灰色に見える。アップダウンの次は霧降山と書いた峰であった。ここには宮ノ谷へ降りる分岐がある。関西の方は多くの林道を活用して自家用車であまたの登山口から台高山脈にアプローチできるうらやましい状況なのだと実感した。
 疎林の下薮がウグイスカグラなど灌木に代わった。薮道で棘のある灌木が脛に当たる。後少しのピークを越せば池木屋山かとようやく縦走折り返しの目途が着いた。落ち葉が積もった美しい二重山稜の谷、シダの緑が帯に、青空だったらいいのに思わせる空、美しいブナ林のアップダウンになる。登り返してすぐの池木屋山に向かった
 池木屋山(1396m)にゴールインした。馬ノ鞍山から迷岳への分岐にもなる。初夏には見えなかった東尾根から迷岳に向かう縦走路が木立の間からしっかりと展望できた。振り返れば初夏には広い!と思った登ってきた徒歩路が今は狭い踏み跡にしか見えない。馬ノ鞍山からの踏み跡はもっともっと狭かったらしい
 夕刻までに明神平に、できれば桧塚にとの思いからか、Qさんは池木屋山からの帰りを急ぐ。再びアップダウンを繰り返す。奥の平峰と千里峰と標識を再確認した。赤倉山も一度踏んだ道のせいか、往路ほどの圧迫感がない。ふり返って見ると伐採跡に植えたらしい杉林が峰を大きく高く見させていた。雄鹿3連鳴きが響いて恋のシーズンが始まったと知らせている。千石山もきつい急斜面登り返しと思っていたがそんな心配は無用であった。等高線1320mP尾根で西風を避けて休んだ後、地形図破線十字路に着いた(下山後のGPSLトラックデータでの確認)
 平坦な山頂尾根で笹ヶ峰の山名標を立ち木に発見した。往路は立ち木の裏側(表側?)を通り抜けたらしい。このあたりを見回せば立派なブナが登山路を囲んでいる。降雪地、寒冷地のブナに比べると細い。しかしこのブナ林は葉が落ちてもそれらしく印象的であった。振り返れば歩いた縦走路はあの尾根の上かとすでに思い出感慨を深くしてくれる。桧塚奥峰分岐に帰ってきた。 Qさんによるとこの時刻なら桧塚往復もOKとのことである。分岐を東にブナ林斜面を下る。道標に従って歩めば尾根分岐も方向転換点も間違わずに済む。突然現れた尾根を横切る切通にはなにか歴史が隠れていると思った。しかし今日は山登り、歴史探求の旅ではない。P1394mを過ぎて落葉したブナ林を登り返す。そこには桧塚奥峰10mと道標にあった
 数十メートル歩いて桧塚奥峰頂上に着いた。頂上標も特徴あるがなかなか展望が良い。尖っているのは赤倉山か、その先は 赤倉山に至る縦走路尾根か、更に向こうはと思い出しの山々は尽きない。とは言え白い積雲が遠望を隠してしまう。引き返して踏み跡を辿ると、草地を進んだ先のコルの向こうが桧塚と思われる峰が出てきた
 桧塚山頂(1402.2m)には三角点がある。悲しいことに国土地理院の白い標識杭が倒れていた。昨日の日没後の暗闇を思い出したのかQさんは五分ほど休んで広くて平坦な尾根アップダウンコースに帰り始めた。明るいブナ林と草地、なるほど明神平テント場からは素晴らしい短距離ハイキングコースだ。これでブナが黄金色に輝いていたら最高だったのにと思う。往路では目につかなかった千秋林道分岐の道標も見つかった。
 やはり気になったのだがコルを横切るこの切通は何のために掘られたのだろうか。奥武蔵ならすぐにこのあたりに山城遺跡があるはずというのだが。もしかしたら最近掘ったのか?疑いは深い。
 ブナの幹に判官平という標識があった。やはり平安〜鎌倉〜南北朝〜戦国時代から江戸時代初期には戦略的な場所だったに違いない。16:20に桧塚分岐に帰り、明神岳(穂高明神)で小休止した後、三塚分岐を経て残したテントが見下せる斜面を下った。例の分岐が入り混じる明神平分岐を過ぎ、地形図破線十字路もどうにか下って明神平に着いた
 明神平(1330m)で昨夕確認できなかった山小屋を巡ってみた。立ち入り禁止の天理大学の壊れかけた小屋の脇には大きな廃棄物が残っていた。とりわけ、五右衛門風風呂釜に「5〜6分水場」と記されていたのが目についた。Qさんの調査ではその通り、水場が近くあるという。この小屋の看板も朽ちて良く読めないが立ち入り禁止の表示だけははっきりしていた。小屋の西側の芝緑地は幕営に好適で昨日余裕があったらこちらでテントを設営してもよかったと思った。もう一軒のしっかりした大型の建物は「大阪府立四天王寺高校のあしび山荘」との看板がかかっていた。そこからも踏み跡が東の谷の方向に伸びていた。やはり皆が使う水場があるのかと思う。山小屋を見てテントに帰着した。予期通りか我々のテント一張りしか残っていなかった。
 寝袋に潜り込んで熟睡していたら夜半に、近くで狐か野犬かの鳴声がしてすぐに遠くに消えた。東吉野村は日本最後の狼が捕獲されたところだ。もしかしたらと思ったがテントから出てみる気にはならなかった。今夜はどうも月がない
10/31
 首を出してみると今朝は濃霧の中にいた。寝具をチェックしてみたらエアマット裏と銀マット上、とテント上底が濡れていた。テント底下と芝生に濡れはなく、寝袋・カバーは乾いている。隣に寝ていたQさんの銀マットは乾いていた。原因が分からぬままタオルで水を拭いて寝具を収納し、結露したテントを撤収した。もちろん霧でフライは濡れ、風が当たった面はテント本体にも濡れ浸みがあった。
 明神平の気温は3℃、濃霧のせいか指先が冷える。視界は約30m、霧は溜まって殆ど流れていない。透かすと踏み跡が見えた。三塚分岐(薊岳分岐)に向かう。分岐から尾根に登ると西から霧が動いてブナ林を白く隠してやはり視界がない。霧が当たる場所の下薮、その下の徒歩道に這う根が濡れて滑りやすい。大岩が尾根道に現われる頃から峰々を越してくる西風が強くなり、時々霧も切れるようになった。このコースも道標や踏み跡がしっかりしており、好天ならばたいへん楽しいブナ林漫歩だったろうと思われた。
 標高点1321mを過ぎると左から連なる尾根の右端に幾分尖っている峰が出てきた。薊岳だろうか。そうすると左が木ノ実ヤ塚、その前に尾根がまだ2つ重なっているように見える。丈の低い笹原が出てきた。台高山脈北部に広がっている笹枯れがなかったらしい。
 標高点1334m峰を過ぎると尾根が南北に別れる。南への踏み跡を辿り前山(肩)を越えて岩ぽい斜面を登った。尾根の南東側は尾根越しの雲が消えて遠望が利く。左手遠くに見える三叉峰は昨日の千石山かと思われた
 薊岳(1406m)の山頂尾根に出た。思いがけなく話し声がする。進むと北西風の風裏となる岩を背に男女2人組が朝食休憩中であった。大又〜明神平周回をする計画とのこと、桧塚のブナ黄葉の様子を尋ねられた。既に落葉して枝ばかりと伝えたら、1週間くらい前の強風が吹いたせいだろうとの見立てが返って来た。薊岳山頂は、ビニールテープに書いた山名標だけ、枯れた立木が目印になる狭い岩稜だ。背後の崖に落ちないようにQさんと立って二人に記念写真を撮影して頂いた。明神平に向かう二人送り出し、大ザックを岩陰にデポして崖越しに南を見て木ノ実ヤ塚を再確認する。
 すこし明神平側に引き返し目印テープに従って崖斜面を下った。安全に掴む場所、足を置く場所があるが崖の上から落ちたザレで歩きにくい。岩場を棚へ下り、前岳から急斜面を再び下る。コルから右手に杉人工林見ながらブナ疎林急斜面の踏み跡を目印を探しながら登る。踏み跡は縦横幾筋もあるがほとんどは獣道、鹿の糞や寝床がある。登る人が少ない証拠かもしれない。木ノ実ヤ塚の山頂が目前になった
 木ノ実ヤ塚(1373.8m)山頂には三角点がある。いくつかある山名標は手作りで、中にはなんと書いてあるのか分からぬものもあった。その近くの木には家族からの遭難者捜索願が巻き付けてあった。発見されることを祈って薊岳に帰る。
 薊岳から大ザックを背負って狭い岩稜の頂上尾根を辿る。低木が左右の断崖を隠しているので不安感は少ないが足許を注意して岩場を進んだ。目印に従って尾根から左(南)を巻く踏み跡を辿る。踏み跡ばかり注意していたので行き過ぎて南崖に迷い込み、「踏み跡が消えたと」のQさんの声で引き返す。と、尾根に赤目印テープがあって「あがれ」と招いていた。縦走路の岩稜には「前岳」、次には「雌岳」との目印を着けた小ピークがあった。
 岩場が終わって木屋ノ尾ノ頭で休憩をとった。周りが桧・杉の人工林に代わる。熊鈴を響かせて男性が1人、続いてまた男性が1人、その後も男性2人が登ってきた。すれ違って人工林自然林の間を下っていると今度は集団(約12人)が登ってきた。薊岳の大人気が偲ばれた。Qさんが携帯電話でコミュニティバス(相互タクシー)に予約連絡を何度もとろうとするが通じない。
 「大又バス停」の道標に従って下った
 名前のように水面が輝いている池を期待していたが、大鏡池は涸れて底が草地になっていた。地形図通りなら池の南東に分岐があるはずだったが通り過ぎたらしい。池の南西に大鏡山があるはずと縦走路を北西に進んだが踏み跡は池から遠ざかるようになる。そこで大ザックをデポして杉林の中から池の周りのシダ薮に出てQさんは神社に参拝、TIは獣道を辿って大鏡山らしい丘へ直登した。尾根の西側に三角点があった。大鏡山(1192.9m)である。
 三角点を撫でて下薮が薄い人工林の中を通ってデポ地点に戻った。荷物を担いで踏み跡を下る。踏み跡は人工林の中を北に巻いて下る。作業道/登山路兼用らしい。地形図破線路と方位が違うので緊張したが地形図破線に(トラックログだと11:17に)乗った。しかし三角点877.8m、雲の平など道標は見つからない。再び地形図破線を外れたらしかった。笹野神社と記した道標が出てきて大又に下っているのが分かる。ようやく人工林の中に深く切れた崖沢に会って地形図と照合して安心した。崖沢を注意して歩いたのは言うまでもない。その後は踏み跡が所々舗装された林道に代わり大又にドンドン近づいていることはわかった。舗装道路が続くようになって沢音が聞こえ、民家の屋根が目の下に見えるようになる。残念なことに笹野神社への分岐が見つからず、通過したらしかった。林道から一般道へ出て橋を渡り県道に出た。まだ川岸のカエデの紅葉は進行半ばのようである。国見山登山口の道標を過ぎて県道左右に古民家が並ぶ大又集落から舗装道路を西に下り大又口BSでバス時刻表を見た後、餡パン昼食を陽だまりで取った。
 県道を麦谷へ下り、橋を渡ると八幡温泉(奈良県吉野郡東吉野村大字大豆生720番地の2 0746-43-0333、料金(\500)は予想外の近さにあった。受付女性お二人にコミュニティバスの時刻表を調べていただいて、直近のバスの予約(ルールでは2時間前予約なのだが)が可能かを聞いて貰った。運よくバスがあるとのこと、感謝して、男湯に飛び込んだ。25分で汗と垢を流し、着替えと洗濯物仕分ける。立派な桧風呂に浸かっているさなかにコミュニティバスが早めに到着したとの連絡があった。ゆっくり休むことができたらなと思いつつ着替えの衣服を纏って玄関から飛び出した。コミュニティバスというが見ればタクシーが駐車しているではないか。
 コミュニティバスの運転手の話ではDocomoはOKだがauでは通じないかもしれないとのことであった。また土日は東吉野村役場を過ぎて菟田野が終点という。好都合である。29日に通った杉谷分岐を過ぎて菟田野BSに14:11に到着した。みればメーターは\5430を示していたが料金は\400/2人とびっくり、自治体の支援に感謝した。こうでもしないと過疎から無人の集落になっていくのだなと地域格差を思いつつ山行を無事終えることができた
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