「・・・なつかしの記録」 昭和44年度夏山一次合宿記録 |
目的 剣岳周辺登山と北方稜線(池の平〜僧が岳)縦走 |
期間 昭和44年7月17日〜8月2日 |
【参加者】 CL・吾妻純男(4年)、M/S(4年)、SL・T/U(3年)、M/N(2年)、T/K(1年)、M/H(1年) 6名 |
S大学体育会山岳部 報告者 吾妻純男(4年) |
【コースタイム】 7月17日(木) ●新宿発23:45分 急行アルプス11号→信濃大町→黒四ダム 7月18日(金) ●黒四ダム8:50→(4.1k)内蔵ノ助谷出合9:45・10:05→初めの雪渓11:15・11:25→ →4つ目の雪渓12:30(昼食)・13:30→ 白竜峡14:50・15:00→十字峡15:40 テント泊 7月19日(土) ●飯4:30→出発5:50→S字峡吊橋7:00・7:20→阿曽原との分岐点8:15・8:25→ →小水場9:15(昼食)・10:30→小休止(雪渓)11:30・11:40→温泉12:00→枝沢小休止13:30→ →小休止14:40・14:50→仙人稜線15:40・16:20→池の平16:50 テント泊 7月20日(日) ●飯5:00→出発6:00→池の平山頂手前7:00・7:15→小休止8:05・8:15→ →大窓コル10:10(昼食半分)−雪渓上部於訓練 14:40→出合15:00→テント地泊 7月21日(月) ●飯4:30→出発6:25→小窓雪渓7:55・8:05→小窓コル8:40→小窓コル上9:20・9:30→ →三ノ窓10:30(昼食)11:30→早月尾根分岐点12:40・12:50→長次郎出合14:15− →御釜状岩壁見学―15:00→テント地 泊 7月22日(火) ●休養日 (これより北方稜線縦走) 7月23日(水) ●飯3:30→出発5:30→大窓雪渓出合5:40→大窓コル8:15・8:35→白兀ピーク9:45・10:00→ →赤兀を越したコル11:30・ 12:00→赤兀の次のピークと白萩山のコル13:05・13:20→ →白萩山直下雪渓14:10→白萩山と赤谷山の鞍部14:30・14:40→赤谷山 山頂の草地 テント泊 7月24日(木) ● 停滞 7月25日(金) ●飯3:30→出発5:20→小雪渓6:00→小休止7:05・7:25→尾根の右の小雪渓8:25・8:35→ →ブナクラ乗越に出るひとつ前の沢9:10・(昼食) 10:20→ブナクラ乗越12:10→沢出合12:45・13:30→ →小休止14:35・14:45→稜線上の小草地 テント泊 7月26日(土) ●飯5:00→出発7:00→猫又ピーク8:05・8:15→釜谷山直下雪渓9:15・9:25→釜谷山頂9:40→ →釜谷のコル10:30(昼食)11:45→毛勝本峰12:40 テント泊 7月27日(日) ●飯5:00→出発7:30→天国の坂道の間のルンゼ下8:40→西谷コル手前の右の稜線8:50・9:15→ →西谷のコル10:30→西谷の頭10:30 ・10:45→平坑乗越12:20(昼食)13:20→ウドの頭15:05・15:25→ →ウドの頭を過ぎた稜線17:30テント泊 7月28日(月) ●飯6:00→出発8:20→昼食13:45→コル→サンナビキの下の平らな稜線の端14:30→ →サンナビキ直下・手前の草付の斜面14:50 テント 7月29日(火) ●飯4:00 7月30日(水) ●飯3:30→出発6:05→サンナビキS峰7:25・7:50→1960mのピーク9:20・9:30→ →コル手前11:05(昼食)11:50→二番目のピーク13:0013:15→滝倉山ピーク14:30・14:40→ →小さなピーク15:50・16:00→小ピーク右側の草地17:10 テント泊 7月31日(木) ●出発6:10→小休止7:10→小休止8:20→小休止9:20→仮テント9:30・17:50→駒ケ岳山頂21:00 テント泊 8月01日(金) ●飯4:00→(雨で時間待ち)→出発8:00→北駒ケ岳とのコル9:20→北又乗越11:30・12:00→(雨待ち)→ →僧が岳のトラバース道12:40・(昼食)13:50→福平への道との分岐点14:50→ →避難小屋15:45・17:30→宇奈月19:15 |
【コメント】(剣岳北方稜線、なつかしの縦走記録、HP掲載にあたり) |
今、振り返りますと 42年前、それも真夏に、北ア剣岳〜僧ヶ岳への縦走計画を、どうして思い立ったのか、ハッキリ覚えていません。 当時の所属した大学山岳部の合宿としては、それまでの山行からは考えもしない計画であり、 実際、毎日々が過酷な、ただ前進あるのみの山歩きで、筆舌し難く、よくこんな合宿を思い立ったものだと、思い起こしても、未だに不可解な思いがします。 縦走に入ってからの9日間、特大キスリングを担ぎ、ヤブ漕ぎの連続、危ない岩稜、急なルンゼ、痩せた尾根や滑る草付の登下降、しかも天気は雨とガスばかり、やむなき停滞、やぶ蚊に纏わられ、水は天水で補給etc、 過去の記録等はほとんどなく、あっても残雪期の部分箇所間の記録のみ、ともかく前進々と、背丈以上もあるブッシュの中に突っ込み、目標を定めながら、もがき通しの縦走でした。・・・結果、ルートに関しては、ただがむしゃらに通過しただけで、参考になるようなところはなく、今思えば5人の体力だけで、やり遂げた充実感だけの、まさに記録よりも記憶の縦走でした。 剣岳への想いは、高校山岳部の夏山で、すっかり魅せられて以来、今も変わらず、いわゆる一番のお気に入りの山です。合宿で剣岳の岩壁を登るたびに、北へ続く稜線を見るにつけ、上級生になって岩登りも面白いけれども、冒険・探検的な山行にも思いが生じて、いつものスタイルとは違った合宿を計画し、北方稜線の終点・僧ヶ岳まで踏破してやろうと思ったのかもしれません。 それにしても、想像以上の大変な合宿でしたが、なによりもこの縦走で、登山に対しての自身の総合力が相当身についたことは間違いありません。 4年前の夏、久々に仲間と剣沢にテントを張り、八ッ峰六峰Cフェースを登ってきました。穂高や北岳の岩場がどんどん崩壊していくなか、剣岳東面の岩は堅く、しっかりとして昔のままでした。 この素晴らしい剣岳の登山を、出来うる限り続けていきたいものです。 「目的:新人に夏山基礎技術を習得させながら、体力、精神力を養い、山における自分、山岳部の中の個人について全ての面で考えさせると同時に、上級生とのチームワークを強化する。上級生においては剣岳北方稜線にあたり、開拓者精神をもって山への情熱を改めて認識することを目的とし、今冬の剣岳合宿のために剣岳周辺の概念を認識する。尚、今夏は例年と形態を変え、夏山一次合宿では岩登りを行わずに、二次合宿を強制として穂高に入り岩合宿を行うものとする」 (吾妻純男) |
装備計画、担当、食糧計画はサムネール写真にあります |
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