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奥武蔵 都幾山463m~育代山462m~金嶽534.4m

 慈光寺山門
  

【日  付】 2020年08月10日(月曜日祝日)

【メンバー】 礒田武志: 1名 コロナ再拡大対策

【行動日程】      
【交通】アクセス 公共交通機関(なお自家用車の場合 駐車場 慈光寺、霊山院にあり)
(往 路)志木(東武東上線)09:45-10:10坂戸10:12-10:30越生/越生駅東口[イーグルバス]10:40-10:50ときがわ町役場第2庁舎前(乗換)11:18-11:26慈光寺入口  
(復 路)慈光寺入口15:53-16:00ときがわ町役場第2庁舎前(乗換)16:20-16:35越生駅東口/越生16:40-17:04坂戸17:16-17:40志木

【コースタイム】 慈光寺入口11:28~12:12慈光寺観音堂~12:33都幾山~12:41三角点410.3m~12:56都幾山~13:07育代山462m~13:16冠岩~13:36金嶽13:42~13:52冠岩~14:13霊山院~15:00都幾川河畔(バス時間待ち)15:30~15:34慈光寺入口
[歩行時間(休憩を含む)]  4時間06分

【コメント】
1. 動機 
新型コロナウイルス再拡大で県外山行を遠慮し、日本山名総覧18000の山にある埼玉県の山201峰のうち未踏の都幾山を登る

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
梅雨が明けて10日目の炎暑、東京で最高温度35.2℃、最低温度26.9℃

2.2. 体調
慈光寺入口~慈光寺、霊山院~慈光寺入口までの舗装道路歩きの登り下りの陽射し・照り返しが問題だ。生理的濃度近くに食塩を溶かした水を時々口に含んで熱中症を予防し、もちろんゆっくり歩いたので不調にはならなかった。

2.3. 装備
一般的ハイキング装備・足拵え/トレッキングシューズ、日焼け止め・帽子必携、水1.5L

3. コース
3.1. 見どころ
ときがわ町HPなどから転載すると桜、シャガが満開の時期の古刹・名刹の参拝が最高とのこと
・慈光寺(山号:都幾山。院号:一乗法華院。本尊:千手観音、宗旨:天台宗、坂東三十三ケ所第9番札所)伝承によれば、天武天皇2年(673年)、興福寺の僧慈訓が千手観音を安置し、宝亀元年(770年)道忠が開山となって創建されたという。
・霊山院(山号:拈華山(ねんげさん) 院号:霊山院(りょうぜんいん) 寺格:旧慈光寺の塔頭 本尊:釈迦如来・阿難尊者・迦葉尊者)鎌倉時代の建久八年(1197)都幾山 慈光寺の塔頭として、臨済宗開祖・栄西の高弟・釈円栄朝(しゃくえんえいちょう)により創建。禅宗寺院としては関東で最も古い寺と伝える。

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
慈光寺境内の塔頭に参拝する小道が複数あり、別途、車道もある。道標で観音堂への道を確かめながら進むと道迷いはない。観音堂北西脇の都幾山登山口に道標がないので心配になるが踏み跡は明瞭である。旧巡礼道を歩かなくても植林地の中の尾根沿い徒歩道はマウンテンバイクが走っているくらいはっきりしている。今回は途中に伐採作業箇所があったので相応の注意は必要であった。

3.2.2. 薮・倒木
昔の情報・記録だと尾根沿い踏み跡にひどい薮があるとのことであったが、今では手入れが行き届いたヒノキ主体の植林地で徒歩道に薮は全くない。営林作業で間引いた丸太で転がっているのが見えたが徒歩道を遮るようなものはない。 

3.2.3. 岩場・急坂 滑落・転倒/転落
冠岩・座禅岩から霊山院林道に下る尾根道に短い岩場があるが徒歩道は岩の上を歩かないようについていた。岩場が終わると急坂だが木段で滑らないようにしてある。滑落・転落を心配するような箇所はない。

3.2.3. 暑気 体調不良
梅雨明け後の猛暑による熱中症を心配したが、山中は杉・ヒノキ植林地の日陰を歩くのでしのぎやすかった。むしろ慈光寺入口~慈光寺、霊山院~慈光寺入口までの舗装道路歩きが熱中症・日焼けを起こすかと心配であった。いずれも木陰と微風があり体調は良好であったが…

4. 歩いてみての感想
慈光寺入口から「日本山名総覧18000の山」にある埼玉県の山201峰の一つ、都幾山と付け足しの三角点、育代山、金嶽を全て縦走することができたので満足。
梅雨明け後の杉ヒノキ人工林の中は単調であったが赤い実を着けたトチバニンジンに会えた。望外の喜びである。蝉時雨も満喫した。。
都幾山にある古刹・名刹の慈光寺と霊山院を拝観して奈良・京都と鎌倉・江戸と比企の繋がりを古代から近世まで思い致すことができた。大築山(城山)と慈光寺の間の戦の記録が慈光寺側にないのが不思議であった。
総括すればこのコースは寺社巡りか家族連れのハイキング向きであろう。

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(写真 礒田武志)
 
6. 記録
6.1. 慈光寺入口から観音堂脇登山口まで
越生駅東口からイーグルバスに乗車し、ときがわ町役場第2庁舎前で乗り換えて慈光寺入口に着いた。この間のバス路線には梅雨前に散歩した弘法山、関堀愛宕山、金比羅山、堂山などときがわ町の低山が続く。さらにバスは慈光寺入口の先の馬生や椚平入口にも行くので新柵山や大築山(城山)へも次の機会に登ってみよう。
慈光寺入口バス停は宿交差点東手前三叉路のバス周回場にある。公衆トイレと案内所も併設されているせいか家族連れの自家用車が頻繁に駐停車していた。目の前を高速サイクリングのグループがいくつも往来する。トレッキングコース案内板を見て慈光寺に向かって出発した。まずは狭い道を直進し三叉路を右手に曲がって坂を登る。坂の上から女人堂と復路の沢ルートを見下ろしつつ進む。木影を拾いながら自動車道を登ると大きな慈光寺・霊山院道標が立っていた。何度大きくなカーブをまがったのだろうか。自動車道の脇に昔風の石柱道標が立ち参道の入口を示していた。古い石段も残る徒歩道を踏んで杉林の中を登る。右手に不思議な形の石造物が立つ平地を見て再び自動車道に出た。道の向こうに青石塔婆がある。出口の左に慈光七井入口がある。慈光七井のルート案内を見ると七井は散在しているとある。都幾山を目指すのが目的であるので横道にそれず車道を行くことにした。慈光寺の旧境内には七井七石七木があるそうだ。またの機会に探索しよう。青石塔婆を拝観して自動車道を進み開山堂への歩道に入った。このあたりのお堂等は昭和の放火で失われ再建・修復されたものもあるという。ウグイスが盛んに囀る釈迦堂跡地前を通り、開山木造宝塔方向標に従って鐘楼の前で銅鐘を説明を読んでいると突然、鐘の音が鳴り響いた。鐘楼の鐘が自動的に撞かれるのかと一瞬思ったが鐘楼の裏手の方から時の鐘の放送があったようだ。時計を見るとちょうど正午である。鐘楼から歩道は直接、慈光寺の山門前の参道に続く。山門をくぐると坂東三十三箇所9番慈光寺の本堂(阿弥陀堂)であった。入り口から遥拝して心経堂へ進んだ。評判の石段を登り損ねたことになる。歩道は関東9番札所と言われる観音堂まで続いていた。観音堂の前には車道もある。なお、不思議にもどこにも大築山(城山)と慈光寺が戦ったという記録を書いたものがなかった。大築山(城山)側にあるのに。

6.2. 観音堂脇登山口から都幾山を経て金嶽まで
観音堂左から都幾山へ進む。色褪せた小さな木の看板が立っているが道標はない。登山口から右に短く巻くとヒノキ植林の尾根に出る。緩やかな登りでヒノキの林床は常緑樹で雑草が絡む。クロアゲハが舞っていた。峰を抜ける微風を感じるとそこがもう都幾山(慈光山463m)の山頂であった。アルミ板に名前を打った都幾山山頂標がある。ついでに四等三角点を確認したいと明るい斜面を北へ下る。踏み跡道が2筋、その上にマウンテンバイクの轍跡もついている。下りの滑り止めに手に当てたヒノキの根元や下草からヒグラシが次々飛び出す。コルから少し先の瘤に三角点410.3mがあった。西を望んだが、高木に挟まれた遠近の青山は霞んで名前が分らなかった。直ぐに登り返して都幾山(慈光山)に帰ってきた。慈光寺の山号が都幾山、都幾山の別名が慈光山とは面白い。この山頂には慈光寺の奥の院があったという。大昔は好展望だったと昔の記事にあったが木々が育って何も見えない。喉を潤したのち平坦な尾根を金嶽に向かって進む。八月二日に歩いたあじさい街道の大築山では見ることがなかったコアジサイ群落があった。もう実を着けていた。GPSと地形図を睨んで標高462mの峰立ち止まった。ここが育代山だろうが山名標など手掛かりはみあたらなかった。少し下ると右目の下に広い舗装道が尾根と平行に走っているのが見えた。1分も歩くと舗装道から尾根まで踏み跡がついている。ハイカーか、サイクリストか、林業作業の方か? 尾根道が左からの登り道と合流する場所に座禅岩・冠岩があった。巨岩と予想していたが思いのほか小さい。それぞれ座禅岩にも冠岩にも説明盤があった。読んでいる最中に遠雷のような音が間を置いて数度した。発破の音かもしれないが雷雨を用心して尾根道を急ぐ。昔の記録では薮が濃いとのことであったが植林の手入れが進み歩く人が多いのか薮もなく徒歩道もはっきりしている。きれいに間引かれた植林地の中には小さな丸太があるが路上に倒木などない。道脇に赤い点を認めたのでよく見るとトチバニンジン結実であった。緩やかな尾根登りが続いてきたが最後は急な斜面を登る。斜面の上はヒノキと杉の混合植林の長くて広めの南北に延びる頂上尾根になっている。
杉の幹には小さく金岳と書いたテープが巻いてあり三角点等が立っていた。金嶽539.4mなのだろうが三角点石杭の側面には凹凸もなく傍に国土地理院の白い木も立ってなかった。頂上尾根を南に少し歩いて確かめた見たが他に三角点らしいものはなかった。

6.3. 金嶽から冠岩と霊山院を経て慈光寺入口まで
金嶽から急な斜面を支尾根まで下り、平坦な徒歩道を往路を思い出しながら歩く。時折、雷鳴のような音が轟くが植林を通して見る空にはどこにも黒雲がなかった。座禅岩・冠岩の三叉路に着いて一休みしたのち、冠岩から南へ下る。短い岩尾根に続いて滑り止め木段がついている急坂になる。古い木段の道は林道に下りつく。休憩所もある。ここから先の林道とトレッキングコースは昨年の台風19号による荒廃で通行止めになっていた。予定通り林道を霊山院の方へ下る。荒れた林道の水溜りに3頭のカラスアゲハが吸水に来て輝く羽を震わせていた。歩きやすくなってきたと思ったら通行止めの札を下げたロープが張ってある林道の出口だった。目前は霊山院の墓苑でお参りの家族がお花とお水を手向けていた。日蓮宗の正法寺に向かう道に入り墓地の端に進んで展望するも、新柵山が見えるはずだが靄がかかって判別できない。霊山院墓地駐車場の公衆便所に寄って禅宗の霊山院山門前の一休さんの石造を見た。舗装道路分岐まで来て道標を見る。谷へ下る方向が「堂平山七重」となっていた。地形図で確認すると谷道は慈光寺入口に、通り過ぎてきた林道の先が七重峠、堂平山天文台になっている。谷から登ってきた人が見る道標か、紛らわしい。谷道へ下る。曲がりくねった舗装道路は谷と尾根を這って下る。林が途切れた尾根端でようやく遠くが見えた。畑や民家が現れ、道路脇には白いヤブミョウガやオレンジ色のキツネノカミソリ、沢に近づくとタマアジサイが咲いていた。台風後に治山工事が行われたらしい小沢に出合う。この沢と下ってきた沢が合わさって民家の前で一本になって都幾川に流れ込む。垣根の木からヒグラシが足下に落ちてバタバタしている。周りにも死骸があるところを見ると大発生しているようだ。女人堂が目の前に近づく。女人堂の前に上がって由緒書きをみる。慈光寺が比企に大きな影響を持っていたのが分る。三叉路に帰ってきたが調べてきたバスの到着時刻まで長い時間があるので(そのまま慈光寺入口バス停に行っていれば1便前のバスに乗れたのだが後の祭り)宿交差点(標高点139m)の先の都幾川まで足を延ばした。多数の家族連れが川の上流・真ん前・下流で水遊びをしている。河畔の椎の木陰で水に戯れる子供達を眺めながらバス待ちをし頃合いを見て慈光寺入口バス停へ向かった。
(記:礒田武志)