日高山脈 エサオマントツタベツ岳1902m)
          からカムイエクウエカシ山
1979.5m)ヘ
【2008年09月01日(月)〜09月06日(土)】
【メンバー】 L:T/K、T/I 計2名
【コース及びコースタイム(休憩・昼食を含む)】
(09月01日)羽田空港13:20〜14:41とかち帯広空港14:58〜15:15中札内村(泊) 
(09月02日)中札内村4:27〜5:15第6砂防ダム5:27〜5:43トツタベツ川林道駐車場→6:23入渓地6:49→11:20滑滝12:03→12:24北東カール→札内JCTピーク→16:32テント場16:44→17:14エサオマントツタベツ岳17:19→17:47テント場(テント泊)
(09月03日)雨風で終日沈澱
(09月04日)テント場5:30→5:38札内JCTピーク→10:01ナメワッカ分岐→11:11春別岳11:22→14:27標高1732mコル(九ノ沢南カール)テント場(テント泊)
(09月05日)テント場5:20→1903峰分岐6:28→6:47 1903峰6:55→7:15分岐7:25→9:10カムイエクウチカウシ山9:44→11:06八ノ沢カール11:42→13:04二股(999m)13:28→15:38八ノ沢出合(テント泊)
(09月06日)八ノ沢出合6:15→8:23七ノ沢出合9:10→10:49ゲート(あかしあトンネル)〜11:27中札内村〜13:48とかち帯広空港20:39〜21:55羽田空港

【動機】
今年4月、北海道百名山(山と渓谷社、北海道新聞)全山踏破されているT/Kさんと岩手和賀山塊縦走に同行した際、エサオマントツタベツ岳(愛称エサオマン)山行に誘われた。「「T/Iはカムイエクウチカウシ山(愛称カムエク、三百名山)に登ってない」と話すとエサオマン〜カムエク縦走を計画してくださった。

【山行記録】
(09月02日)
昨日の雨も上がった快晴の下、中札内村きくや旅館を中札内ハイヤーのタクシーで夜明け前に出発した。約50分走って戸蔦別川第6砂防ダム脇駐車場に到着して重いザックを担いで歩き始めた。15分ほどで戸蔦別川林道駐車場に到着し、T/Kさんが入林届を記入した。エサオマン岳方向指示に従い、左の林道に入る。ハンノキや笹が茂り、落石や沢の押し出しが道を塞いだ林道が続く。40分ほど歩いたところにエサオマントツタベツ川入渓地があった。緩やかな流れを石伝いに登る。小滝を越すと川床が変成岩の滑に代わり、水溜りには小イワナ(オショロコマ?)が右往左往するようになる。823二股、2箇所の中洲、997二股を過ぎ、標高1100m辺りの中州末端で昼食休憩となった。沢音が大きくなり左右がエゾトウウチソウが咲く草付きに代わったと思ったら長い滑滝が出てきた。左岸の笹や潅木を掴んで登る。標高差で150m以上は登っただろうか、ようやく滑滝の上に着いて息をつく。滝の上の石が重なった溝をエサオマン岳に向かって上り詰めるとパッと谷が開けて東北カールに出る。カールの底から縁を見上げるとエサオマン岳から札内ジャンクション(JCT)ピークまでは草つきの上に岩壁がそそり立ち、札内JCTピークから東は草つきの上に薮や高木が茂っていた。一休みした後、札内JCTピークの東を目指して草つきを登り、岩溝に入る。150m程登ったところで一本西の岩溝に入ったことが判明したので120m下って東側の草つきに着いている踏み跡を見つけ、低い尾根に上った。尾根に立っている細い木に巻きつけられた赤ビニルテープを見つけてほっとした。東側の岩溝を尾根に向かって登る。岩溝の底が浮石から木の根や土に代わるにつれ、左右から小木が伸びてザックを引っ張るのでなかなか上に進めない。T/Kさんの熊鈴の音が静かになったと思ったら「カムエクが見えるよ」と大声がした。息を整え、腕力を使ってハイマツ薮の尾根まで上り詰めた。札内岳側を見るとハイマツの枝に何本もテープがぶら下がっていた。尾根は首までのハイマツ藪だが両手両足を使って薮漕ぎしないと前に進めない。小さな瘤を越して、札内JCTピーク(1869m)の頂上から30mほど西下にくだると尾根西側にほぼ平坦なテント場が1枚ある。テントを張ってザックなどを放り込み、ハイマツ薮とお花畑が交互に出てくる踏み跡をコルまで下ってエサオマン岳(1902m)に上り返した。札内JCTピークからは尖って見えたエサオマン岳は北西方向に平坦な尾根が続き、目立った特徴もない予想外の頂上を持っていた。帰り道には夕日が東から湧く雲に我々のブロッケンを暫し映した。夕食を食べながら聞いた明日の天気予報は「明日は前線を伴った低気圧が北海道を通過するので一時大雨がふる」とのことであったがテントの外に出ると満天の星空で麓の灯りも輝いていた。曇り後雨ならば出発しようと相談して寝袋に入った。

(09月03日)
夜半からフライが強風に煽られてテントを叩く音で何度も目が覚めた。2時半頃、とうとう小雨がテントに当たる音がし始め、3時には大粒の雨が降り出した。相談して今日はここで沈澱することにして一寝入りする。予報では「午後急速に天気が回復する」というが16:30になっても大雨・強風は治まらなかった。明日の朝までに天気が回復することを祈って目を閉じた。

(09月04日)
3時に起きてテントの外に出て見上げると空に星々が瞬き、東の方には町の灯りが見える。朝食を済ませて青空の下、テント場を5:30に出発した。札内JCTピークに登ると今朝は360度の展望が現れた。北にはエサオマン岳の後に戸蔦別岳、幌尻岳、東には札内岳、十勝幌尻岳、南にはカムイエクウチカウシ山、ヤオロマップ岳、1839峰、ペテガリ岳、西にはイドンナップ岳、ナメワッカ岳などの山々が朝日に染まって見える。北方遠くに霞むのは石狩岳や大雪山地であろうか。南東に輝くのは太平洋、南西に白いのも太平洋だ。ハイマツを漕ぎながら尾根に従ってコルに下る。コルから踏み跡を追って1751ピークの東側の草つき、笹原を巻く。エゾノオヤマノリンドウが咲く草つきには羆が掘り返した跡や糞が至る所にある。滑り易い笹薮の巻き終わってハイマツの生える尾根に来るとほっとしたがそこからは厳しいハイマツ漕ぎが始まる。1760ピーク北の巻き道では草つきでとうとう踏み跡が消えてしまった。手分けして踏み跡を探す。やはり東の草つきから西のハイマツ藪へ乗り越す踏み跡がコルにあった。薮を漕いで1760ピークに登りつく。ここからは地図からは読めない細尾根が続く。岩場が点在したナイフリッジになっているが岩の間にはヒダカゲンゲや穂を靡かせたチングルマ、赤い実をつけたコケモモがあった。出発して4時間30分を要してようやくナメワッカ分岐(1831m)に到着した。ナメワッカ分岐からの日高山脈の展望は素晴らしい。展望と写真撮影を楽しんだ後、ナイフリッジを春別岳に向かって下った。「このあたりにはカムイビランジが3株あるらしい」とT/Kさんが言う。ふとT/Kさんが越した岩の割れ目を見ると紅葉したビランジの葉があるではないか。よく見ると2輪ほど残り花が俯き気味に咲いていた。岩を乗り越え、ハイマツを漕ぎようやく春別岳(1855m)に到着した。気温が上がってきたせいで十勝平野から上がってきた雲が遠望を徐々に消してしまった。しかしカムエク山はどっしりと横綱のように北面を表している。1791ピークを過ぎ、ようやくカムエク三山の一つの1917ピークに到着した。シマリスが踏み跡を横切ってハイマツの薮に消えて行った。エサオマン岳からここまでの間、ハイマツの球果の残骸が数多く散らばっていたのはこやつの仕業だったのだ。十ノ沢カールを過ぎて九ノ沢カールを見下ろし、九ノ沢南カールにあるというテント場を探しながら歩く。見つからない。1732コル北東草つきの上に見える平坦で広いテント場に幕営する。テント設営後、水汲みに踏み跡を辿って九ノ沢南カールの底に下る。左右のゴーロからナキウサギの声が何回も聞こえた。カールの斜面には高いイネ科の草やタカネアザミに混じってエゾノオヤマノリンドウ、ウメバチソウ、エゾノトウウチソウ、ミヤマリンドウ、チシマギキョウなどの花やヒダカミネカエデやナナカマドなどの結実がある。カールの底の草叢には羆の大きなベッドがあった。草の枯れ具合から新しいものでないと判断して一安心した。カールから九ノ沢へ流れ出る小沢を辿ると九ノ沢源頭になる湧き出し口があり、6Lの冷たい水を汲んで早々に1732コルのテントに登り帰った。たっぷりと水を使った夕食を終え、本日のコースの感想と明日の好天をお互いに期待しつつ、目を瞑った。

(09月05日)
朝食を済ませ、余った水を捨ててテントを畳んで薔薇色の空に向かって1732コルを出発した。1時間の登りで1903峰分岐に到着し、ザックをデポして尾根の上の紅葉したウラシマツツジが広がる空地を拾って1903峰に進んだ。尾根が痩せて岩場になると踏み跡ははっきりしてきたが岩にはイワタケが着いて掴みにくい。20分で1903峰の頂上に到着した。今朝も360度の展望が楽しめる。はるか大雪、石狩そして幌尻、近くの春別、札内、南にはカムエク、ヤオロマップに1839峰、たぶんペテガリ、西にはイドンナップも見える。狭い頂上で30分も過ごした後、往路を踏んで分岐に戻った。ザックを背負いなおして分岐から痩せた岩尾根を1730コルに下り、ハイマツの薮を漕いで250m登り返す。標高約1800mの尾根の肩でT/Kさんは中札内ハイヤーに電話を掛けて迎えの日時変更と場所を連絡した。残り標高差180mのハイマツの薮を45分掛けて登りきる。ハイマツ薮から抜け出ると、お花畑になり、その先によいテント場が広がっていた。「この2m上が頂上、とうとう着いたね」との声に励まされてカムエク頂上まで上りきった。大きな三角点標石と折れた丸太が立っている。頂上には誰も居ない。西から湧き出した薄い雲が北西の谷を隠し、湧き上がる雲の中を数羽の鷹(チュウヒかサシバ)が円を描いて舞う。柔らかな日に照らされて暫く、至福の時を過ごした。頂上から八ノ沢のコルヘお花畑の中を下る。痩せ尾根もハイマツもあるが道は広く、登ってきた踏み跡と比べるとまるで楽園の道を歩いているような気がした。標高1800m辺りでピラミッド峰(1853m)の方へ歩いている3人の人影を見つけた。1750mの平坦地まで来たところで顔を合わすことが出来た。挨拶をして今日明日の天気予報を聞く。「今日は山頂で雨、明日は全道で下り坂」とのことで明日は午前中にゲートまで歩くことにした。振り返るとカムエクの頂上は少し雲が掛かってきたがまだはっきりと見える。八ノ沢のコル(1700m)のカール降り口には赤符が下がり、草つきの道でも間違いようがない。水で洗堀された道を下るとピラミッド峰の方へ行く道に合流した。ここには赤符もなく、降りてきた道はまるで道を横切る小沢のようにしか見えない。カールの底から単独行の男性が登ってきた。「今朝早くゲートを出発し、登頂して今日中にゲートまで帰る」とのことだ。到着した八ノ沢カールの水場近くには3人連れの沢道具が干してあり、大きな岩には福岡大生の慰霊のペナントが貼り付けてある。水を汲んで近くのテント場で昼食を摂った。落ち着いて耳を澄ませば数少ないがナキウサギの声もした。ブユの群に追い立てられるようにザックを背負って、八ノ沢源流の道を下る。何筋か流れる小沢と登山路とが交錯しているので間違う人もいると聞いていたが赤符に注意すれば迷うことは無い。カムエクは直ぐに谷の影に隠れてしまった。登山路は急な沢、岩場、滑滝の傍の薮の中を巻きながらつけてある。道は沢の横を忠実に下るのかと思えば、低い尾根を越えて隣の沢に移ったりするので紛らわしい。要所には赤符や固定ロープが設けられ、転落事故のあった場所には通行止めのロープが結んである。それでも道に水が流れるせいで岩も濡れ、何箇所かは木の根や笹を頼りに滑落に注意しなければならなかった。滑滝が終わる二股(999m)で我々が軽登山靴から沢靴に履き替えていると単独行の男性が下ってきて同じように履き替える。聞くと横浜の人でやはり三百名山踏破を目標に今日はカムエク、来週までにさらに北海道の2山に登るとの事、早々に八ノ沢を下っていった。我々も後を追うがザックが邪魔をして見る間に離されてしまう。八ノ沢は大きな岩が転がる美しい沢だが登山路は岸の涸れ沢、薮や林の中を巻き、所々で沢を渡るように着けられていた。沢靴で歩くより軽登山靴で歩く方が歩きやすいが渡渉の度に履き替える手間を思えば沢靴で歩き通すに限る。登山路にはまだエゾホソバノトリカブト(ヒダカトリカブト?)やミソガワソウなど晩夏の花が残っていた。沢の音が穏やかになり、中洲を過ぎて左岸の林に入って暫く歩くと林間のそこが八ノ沢出合のテント場であった。テントと二、三人の人影が見えようやく秘境を抜けたと安堵した。

(09月06日)
今朝はゆっくりと八ノ沢出合を出発した。札内川を左岸に渡り、巻き道の入口を探す。そうこうするうちに昨日の3人組が下ってきた。3人についていって合流点から15分の左岸にある最初の巻き道に入った。倒木、笹薮、涸れた河原があるものの札内川は七ノ沢出合まで殆どが巻き道で川に殆ど入らない。仲の沢出合近くで休憩中の3人組を追い抜いて二つの中洲を過ぎ、ダム湖の末端から七ノ沢橋の袂に回り、七ノ沢出合に到着した。マウンテンバイクが二台が林道下の河原に横倒して置いてある。鰯雲が流れる青空で水面に漂う紅葉を眺めながら河原に座り込んで早い昼食を摂った。5分もしたら3人組が下りてきて合流した。3人組の皆さんと山の話は尽きなかったが準備ができたので七ノ沢出合を去ることになった。林道に出て坂を越すと広い砂利舗装になる。12号堰堤を過ぎ、最初のゲートを越すと広い駐車場脇の砂利山の陰にパワーシャベルが置いてあるのが見えた。南側には立派な観測小屋も建っている。車が走るのに差し支えないと思われるがなぜかあかしあトンネル北のゲート駐車場までしかタクシーは進入できないという。最近まで七ノ沢出合まで入ったと聞いたが復活して貰いたいものだ。太陽が高くなって風も暑く、林道に埃も立ってきた。汗を滴らせ、1時間40分も歩いて最終ゲートに到着した。駐車場には10台ほどの車が見える。中札内ハイヤーの大型タクシーと運転手を見つけて5日間の中日高の縦走を無事に終えることができた。

【感想】
大先輩のT/Kさんのお蔭で幌尻岳からエサオマン岳、カムイエクウチカクシ山、コイカクシュサツナイ岳、ヤオロマップ岳からペテガリ岳に至る日高山脈中部の縦走コースの一部を無事踏破できてうれしい。長いエサオマントツタベツ川を遡行し、同じく長い八ノ沢、そして札内川を下るのは楽といえないがまたいっそう秘境を歩いたという感じが強くした。
エサオマントツタベツ岳からカムイエクウチカクシ山までは年間何人の人が通るのであろうか?赤テープもマークもないハイマツの濃い薮や岩稜痩せ尾根についた薄い踏み跡を辿り、踏み跡が消えたら引き返して踏み筋を追ってルートに乗る。遠くから見ると柔らかな絨毯のように見えるハイマツの薮は重いザックを背負って登り降りする際も平坦な所でも通せんぼをしたり後から引っ張ったりする上に手足や顔を引っ掻き、叩き、躓かせて傷を負わせる。地形図ではなだらかに見える尾根も岩が飛び出て重なりあった痩せ岩稜で上り下りの一歩一歩に細心の注意が必要だった。無傷では無理な縦走コースだったといえる。また一日9時間以上歩かないと良いテント場・水場がないロングコースでもあった。
2日目が大雨強風で沈殿せざるを得なかっただけで、残りの好天の日々は三百六十度の展望が楽しめて本当に幸運であった。すでに日高はエゾノオヤマノリンドウやミヤマリンドウが咲き、草付きやウラシマツツジ、ナナカマドが紅葉する秋であった。クロマメノキ、ガンコウラン、コケモモの実を摘んで疲れを癒し、喉の渇きを軽くする楽しみがあった。カムエク山山頂ではチュウヒやサシバなどの鷹が数羽の群を作り、南への渡りをしていたが、痩せ尾根でもう遅くて見られないかも知れないと思っていたカムイビランジも残り花をつけた株を発見したのはひとしお大きい喜びであった。
縦走路の至る所に羆の掘り返しや糞が落ち、九ノ沢カールでは大きな寝床の跡もあった。かって福岡大学の三人の学生が4歳の羆に襲われて死亡したコースであったが今回は一頭も目にすることがなかったのはちょっと残念な気もする。
カムエク山山頂に来ると道も良くなり、麓から登ってくる人たちに会うこともできた。三百名山のなかで最も難しいと言われている山であるが人気の高さも確認できた。人気の山も山頂から一歩北へ離れると南側よりもっと美しいが困難なコースが北にも南にも続く。
新座山の会の方々も薮漕ぎ、沢登り、岩稜歩き、テント山行、長時間歩程に経験を積まれて、カムエク山を踏破されたらと思う (記:T/I)
※ 山行インデックスのページに戻る