糸魚川市 焼山
【2008年11月01日(土)〜02日(日)】
【メンバー】 L:T/K、SL:T/I、他: H/T、M/I、H/U、H/N 計6名
【コース及びコースタイム(休憩・昼食を含む)】
(10月31日)東松山22:30〜東松山IC〜 (11月01日)妙高高原IC〜01:43笹ヶ峰5:11〜妙高高原IC〜能生IC〜笹倉温泉〜7:24湯川内キャンプ場林道ゲート 林道ゲート7:50→焼山登山口→追分→展望台→大曲→大谷→地獄谷→13:10坊々抱岩付近13:30→往路を帰る→16:54林道ゲート〜能生〜糸魚川(ホテル糸魚川泊)【所要時間09:04】
(11月02日)糸魚川4:33〜糸魚川IC〜妙高高原IC〜笹ヶ峰〜6:11杉野沢橋6:24→滝沢→金山谷→裏金山谷→地獄谷→富士見峠→丁字路→泊岩→13:30焼山頂上直下→往路を帰る→17:59杉野沢橋〜笹ヶ峰〜妙高高原IC〜能生IC〜島道鉱泉(泊)【所要時間11:35】
【動機】気象庁では約1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある108の火山を活火山としている。活火山の登山は浅間山、渡島駒ケ岳や霧島・新燃岳にように解禁されたり、突然禁止になったりするので登山禁止が解除された機会を大切にしないと登れなくなる。焼山は新潟県で唯一の活火山といわれている(妙高山も気象庁定義では活火山)が地元糸魚川市から長い間登山禁止になっていた。焼山の姿は新座山の会の皆さんと火打山の方から、あるいは新ハイキングの人たちと金山や雨飾山の方から眺めてきたが危険を承知の自己責任で登た人達から火打山や金山から焼山縦走をしたと聞いて羨ましく思っていた。平成18年に糸魚川市から晴れて登山解禁となったことを昨年知った。今年の始め、K/Tさんの個人山行計画に焼山が入ったのでこれ幸いと同行の依頼をし、軽装備で秋の紅葉を楽しめると期待してこの日を待っていた。

(11月01日)曇時々雨
チャーターしたバンは深夜に登山口杉野沢近くの笹ヶ峰の駐車場に到着した。小雨が降り、車の外を霧が流れる。仮眠していると天気予報どおり寒冷前線通過で大雨に変わり、駐車場の周りに雷が落ちるようになった。渡渉が数箇所ある真川コースは増水により危険ではないかとK/Tリーダーの判断で増水渡渉の心配がない当初下山予定の笹倉温泉コースに登山口を変更することになった。笹ヶ峰を出て、妙高高原ICから能生ICを過ぎ、能生川沿いに進む。能生川は濁り、水量が増していた。谷間の霧が沢筋を上がって雨も霧に代わる中に笹倉温泉に着いた。その先は分岐が複雑で焼山に登る林道が分かりにくい。ドライバーはリーダーが説明するのにもかかわらず2、3度見当違いの道へ入って乗っている我々をギョッとさせた。ともかく、湯川内キャンプ場方向へ進み、湯川内ゲート前に到着した。ゲート前は車を2、3台停められるスペースがある。時計を見ると7:25になっていた。歩程を考えるともう帰りが心配だ。車を降りて周囲を見ると木々は紅葉していて晴れていたらさぞや美麗に違いないと天気を恨んだ。

今にも降りそうな空模様に備えて雨具を着込んでゲートを抜ける。ゲートには「焼山へは目印も無く自己責任で登ってくれ」との張り紙があって緊張した。舗装した広い電光林道(ゲートから数えると左から右への屈曲点が5回位もあったような気がする)を登る。西側には新田山から延びる尾根が続く。10分登ったところで雪が落ち葉の上に残っているのを見つけた。嫌な予感がする。東への分岐を通り過ぎ、ゲート跡(バーなし)を通って歩き続け、堰堤へ西に下る分岐に来たがまだまだ舗装した林道登りが続く。地形図から見ると分岐先数十mに南の尾根に入る徒歩(登山)道がある筈だが目を皿にしても入口が見当たらない。そのまま舗装道路を進む。霙が降り始め、鬱陶しいので傘を差した。舗装道路から砂利道が分かれる場所に焼山登山口入口という道標が立っている。いつの間にか霰も上がり分岐で休憩して疲れをとる。路傍に生えている野菊を摘んで花冠を見た。冠毛がないのでユウガギクと思ったが西日本分布から外れているので疑問が湧いてしまう。矢印に従って砂利林道を西に向って尾根を巻いていくと目の前にコンクリート製のシェルターが出てきた。ゲートさえ開いていれば楽々と車でここまで乗り付けるのにと再度恨んでしまう。

シェルターの先に焼山登山口という道標が立ち、濡れた草木で挟まれた狭い道がこちらだと招いている。刈り払いの済んだ登山道は傘をさしたまま進むことができた。追分の分岐を右の展望台へ向かう。展望台に着いて焼山の方向を見渡すが中腹から雲が懸かって遠望が全くない。登山路は根曲がった低木帯の中を次第に登ってゆくが雪解け水で溝の中を歩くようだ。積った雪が増え、霧も立ち込めて道の周りしか見えなくなった。積雪の上で休憩をする。潅木に巻き着いて枯れた蔓に十字型の残骸が付いていた。何の?と興味が湧くが先を急がねばならない。大曲という道標が出てきたので高度計を見ると地形図の記載と表示が大幅に違う。大気圧が上がったかあるいは地形図と案内標の表示場所が違うのだろう。登山道は一本道ではっきりしているので現在位置確認ができなくても問題ない。雪が段々深くなるが標高差から先の歩程を考えると焼山に登って明るいうちには林道まで帰られるとみた。正午に近づいたので昼食をとりラッセルを交代しながら大谷に向かう。

大谷に着いて雪に隠れた道を足元から谷底、谷底から向こうの谷上まで目で追う。足元から谷底まで積雪から所々で固定ロープが顔を出しているのが分かった。ロープを頼りに降下して谷底から登る。濡れたロープを握ったため手袋が濡れ、指が冷えて硬くなる。一人づつロープを使い、壁へつりもあったので予想外に時間がかかってしまった。ようやく次の地獄谷に着いて固定ロープで谷底へ下る。登りのルートは積雪の下で固定ロープが見つからない。青空が覗く谷間に白銀の焼山が流れる雪雲をかぶって輝いていた。ようやく固定ロープを掘り出して大谷と同じように注意して地獄谷を越えることができたが、坊々抱岩が見える等高線道でとうとう時間切れとリーダーが判断して下山を決定し、行動食と暖かいコーヒーで一休みをとった。

引き返してトレースを辿るのだが地獄谷も大谷も腐れ雪の壁ヘツリと固定ロープ下りの滑落に注意して一人ずつ下る。時間がかかり、手袋がさらに濡れて指が悴んだ(明日はオーバー手袋を濡れる前に付けよう)。緩やかな斜面に帰ってきたので振り返ると青空に焼山が聳え立っていた。大曲を過ぎ、道脇の展望ポイントの雪上から火打〜裏火打〜焼山そして目の前の賽の河原を写す。 明日はあの山に登りたいと思う。展望台に15:00頃到着したが太陽も山の端に近づき日暮れが直ぐそこに迫っている。秋の日は釣瓶落としだ。休憩もそこそこに風穴(手を突っ込んだが無風)、追分と通り過ぎて焼山登山口に帰ってきた。ここからは林道だから暗くなってももう安心だ。東への林道分岐で小休止した後、舗装林道を早足で下って真っ暗になる前に車の待つゲートに帰着できた。

(11月02日)晴のち曇
昨夜のうちに海谷三山縦走を取りやめて焼山に再挑戦することになった。南面は積雪が少なく昨日の大雨による水ももう引いているだろうと判断して笹ヶ峰から真川沿いに登って、笹ヶ峰に帰ってくる計画に変わった。宿泊したホテル糸魚川をまだ暗いうちに出て高速道路を走り、妙高高原ICから笹ヶ峰に向かう。その間に昨夜糸魚川駅前の食料品店で買った弁当で朝食とした。笹ヶ峰の駐車場を通り過ぎて砂利道を杉野沢橋まで走ってきた。車が二台停まっている駐車場で車を降りて道路を渡り、赤尾岳遊歩道を横目に杉野沢橋袂に立っている道標、看板を見て真川沿い登山路の入口を探す。車進入禁止の真川上流方向に向かう林道の奥の広場から登山路は出ていた。天気は快晴、山からまだ日は上がってないが明るい。

霜と氷で白くなった砂利林道へ入った。広場と見えたのは駐車場でそこから直ぐに徒歩道に替わり、石葺き護岸に出てこんどは堰堤巻き道へ上がった。水が引いているので滝沢では石を踏んで沢を渡る。急な坂を登って段丘に出るとカツラやクルミなどの高木林の平坦地になった。鎧岩が東側対岸に見える。ヌケドというあたりだろうか。標高1400mの等高線に沿って続く巻き道を少々アップダウンしながら進む。ブナの幹に打ち付けた「笹ヶ峰焼山」道標板と多数のナイフで彫った落書きを見つけた。いずれも自然保護などと言わなかった古いものだ。「今こんなことしたら」とフィレンツェの大学生落書き事件でひとしきり話が盛り上がった。金山谷も岩の上を跳んで靴を脱がずに越す。石割坂の急登を過ぎて標高点1454m近くのブナ高木/笹平坦地で一休みした。尾根末端まで1分ほど歩いて真川の谷を見ると目の前は黄葉した裏金山谷、地獄谷その上に雪で化粧をした焼山が全身を現していた。ここは焼山撮影ベスト点だ。皆を呼んで暫く写真撮影休憩とした。急斜面を下り、斜面中腹の細いヘツリ道を進んで裏金山谷に着いた。ここも水が少なく渡渉も何と言うことはない。昨日の大雨の中だったら大変、ここまで来られたかどうかと話し合う。このあたりは枯れたオオイタドリが多いが刈り払いがしてあるうえにもう枯れて伏せている。踏み跡がはっきりして迷うことは無かった。ヌルイ沢と地獄谷合流点を東に見て地獄谷渡渉点に来た。これまでと同じく渡渉点には赤テープが多数ぶら下がり目印には困らない。コースと石を選んで地獄谷を渡ることができた。

河原沿いを少し進んで明るい林の中へ登る。大きな石が多くなった登山道には黄葉した落ち葉が積もり、人があまり入らぬせいか道に熊の古糞も落ちていた。日溜りで秋の山を満喫しながらひと休みして元気を回復して登る。高度が上がったせいか左手南正面には高妻山などが見え始め、道に残雪が出てきた。雪盲にならぬように眼鏡に前掛サングラスを着けて登る。途中の水場では残置コップで清水を汲んで喉を潤す。多くなった雪の上を熊の足跡が道を横切って麓のほうへ続く。昨日歩いたに違いない。1760m辺りの曲がり角で休んで急斜面の電光道を登る。40分も登ると傾斜が緩くなり巻道に替わってさらに南面の等高線道になった。等高線道を歩ききると真っ白な富士見峠であった。足元からの白雪青空で裏金山〜金山に続く稜線が美しい。目を南面に向けると白く霞む高妻山から戸隠連山が遠望できた。

雪に頭を出した道標に従い笹藪の間の雪道を抜けて下る。北面に入ったせいか本格的ラッセルになったので交代で先頭を勤める。丁字路について道標を見ると笹倉温泉すなわち昨日到達した坊々抱岩ルートは深い雪の下に隠れて何処に踏みだしたら良いのか分からなかった。道標にしたがって泊岩に向かう。小屋分岐に着いたらS/Mさんは「懐かしい。一目見たい」と言ってK/Tさんと小屋を覗きに出かけた。大岩の間の道をラッセルして登るのだが、岩の上に生えた木々に着いた雪や海老の尻尾も岩の間に落ちて積もり、雪の深さは膝より上までになっている。その上、雪の下の岩の間は所々が抜けていて歩き難いことこの上ない。どうにか正午過ぎに大岩帯を抜けて焼山斜面の藪帯に登りつくことができた。西からの風が強いがどうにか赤テープを見つけながら藪帯を抜けでた。上を見上げてルート目印の赤テープ、ペイントマークを追うが積雪で見つけられない。見当をつけて火口南縁の岩場まで登ってみたが行き詰まる。一旦下ってルート探し・目印探しをすることにした。H/Tさん達三人は諦めたのかリーダーの指示がないのに下山を始めた。S/Mさんが火口凹地の岩の上にケルンがあるのを見つけ、さらにリーダーが火口壁に赤テープを十字に結んだ目印を見つけた。3人を呼び返して火口壁を登る。さらにリーダーが火口縁の岩場に固定ロープを見つけた。2人で固定ロープ末端まで岩場を登りって雪の下敷きになっていた固定ロープを掘り出す。高度計では焼山頂上直下10mと示していた。固定ロープの周りの岩場は氷雪に覆われ、「アイゼンなしでも登ることはできるだろうが下りは滑落の惧れがあるので残念だが撤退する」とリーダーが判断して皆が待つ岩場下の火口の縁に降りた。風の来ない火口の凹地ですこし長い休憩をとって気持ちを治めた。

トレースをつけてあるので下山は早い。三十分弱で泊岩分岐に着いたので泊岩小屋を覗いてみた。床が濡れているものの岩小屋としてはまあまあである。丁字路を曲がり登り返して富士見峠に帰り着いた。休憩して山々を同定する。午後になったせいか遠方は霞んで富士山までは見通せなかった(本当に見えるのかな?)。富士見峠から少し下った地点でK/Tさん携帯電話で今夜の宿の島道鉱泉に連絡をとる。電光道も快調に下って 水場でヘッドランプの準備をした。15分も歩いて振り返ると夕暮れ近くの焼山は雪が赤く染まって美しかった。地獄谷と裏金山谷を渡り、川沿いを進んで斜面に登って巻き道を注意の上注意してヘツる。1454m焼山撮影点で焼山の全容を目に写しこんで落ち葉が積もる急坂を下って金山谷に帰ってきた。金山谷を渡ったところで休憩をとったがこのあたりで暗闇になり、ヘッドランプの灯りがよい助けになった。高巻をして滝沢に付き、堰堤から落ちる水の音を聞きながら真っ暗な林の中を抜けると車のライトが輝く杉野沢橋袂であった。谷間から見上げると冬の星座のオリオンが空に輝き、駐車場には今朝そのままの2台の車が我々のライトに照らされていた。疲れてはいるものの皆元気に車に乗り込んで笹ヶ峰からカーブの多い道を下り、妙高高原IC〜能生ICを通って今夜の宿の島道鉱泉に向かった。

【感想】雨飾山、金山、あるいは火打山から眺めた焼山にいつか登りたいと思っていたが、寒気団・寒冷前線の通過により新雪や氷結で頂上直下で撤退したのは残念、ラッセルや固定ロープ掘り出し、登山路目印さがしに時間がかかり時間切れになったの仕方がない。しかしメンバーの多くが軽アイゼンを持参していなかったのはこの時雨の時期を見くびっていたと反省しなければならない
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