飯豊 二王子岳(1,420.1m)〜赤津山(1,408.1m)を通って二ッ峰(1642.4m)
目的 藪で塞がれた秘峰二ッ峰を残雪期に縦走
期間 2012年4月24日(火)〜4/27(金)
【参加者】CL (TK )、TI
【コースタイム】
4/24 4:45新潟4:56→5:19新発田5:29タクシ→5:43林道途中5:59→6:30徒歩道入口→6:45二王子神社7:04→07:15登山路見落として薮尾根へ→10:10一王子神社→10:12避難小屋10:34→11:31定高山→13:49二王子岳13:59→14:44二本木山14:46→15:54最低コル(1022m)にて幕営
4/25 最低コル(1022m)5:43→6:31雷岳-→8:14桝取倉山(1493m)→10:32ヤンゲン峰(1246m)→P1240→12:32赤津山(3等1408m)12:45→14:45藤十郎山(1332)14:57→(幕営)
4/26 標高点1231m付近幕営地05:05→5:40P1407→6:12P1469→8:01二ッ峰(3等 1642)クランポン回収休憩9:04→9:52P1622→10:35→11:30 門内岳(1887)11:35→11:38門内小屋(泊)
4/27 門内小屋5:40→6:06扇の地紙(1889)6:11→6:37梶川峰(1692)6:46→8:11P1021昼食8:43→10:12林道→10:31飯豊山荘(400m)0:53→12:49梅花皮荘14:48(タクシーにて)15:15小国駅
【記録・コメント】
4月23日
 志木駅を出るときは雨揚がりであったが池袋駅に着いて地下道の階段を登ってみると再び雨粒が歩道を跳ねていた。東口西武バス乗り場へ向かい、待ち合いベンチにザックを下ろして携帯傘から雨水を振るう。待っていたら23:00頃、TKさんが到着した。いつものように挨拶を交わした後、現地の最新情報を聞く。「残雪が多くて飯豊山荘〜梅花皮山荘までタクシーが入らず、6kmを歩かねばならない」とのことだ。新潟までのバスチケット(\5250)をTKさんから受け取る。
 到着した越後交通の高速バスのトランクに大ザックを放り込んで定刻23:30に池袋を発車した。直ぐに、アイマスクとイヤプラグをつけて出来る限り睡眠をとるようにする。 今夜の乗客は乗り慣れている様子で周囲は静粛だったが暖房が効き過ぎて何度も持参のお茶で喉を湿らさねばならなかった。
4月24日
 バスが高速道から一般道に降りた気配で4:25に目を覚まし、下車準備に取り掛かる。20分ほどで新潟駅前バス停に着いた。トランクを開けてもらって大ザックを出し、車内持込荷物を入れて夜明け前の新潟駅まで1番電車に乗るために急いで歩く。冬用登山靴の解けた紐を引っ掛けて転倒しかけた。危ない。靴の紐は常にチャンと結べとの神仏の注意なのだ。改札口で新発田行き電車の発車時刻を確認してほっとした。まだ10分ほど余裕がある上にスイカが使えるので乗車券を買う手間が省ける。高速バスの到着予定時刻は05:02、その場合04:56発の電車に乗れないので次の06:08発と1時間も遅くなる。
 首尾よく乗れた1番電車の中で持参した朝食弁当(おこわ)、野菜ジュース、ヨーグルト、茶を食べて落ち着いた。窓から見る新潟平野は曇り空ながら無風で、川沿いには満開のソメイヨシノが並木になって春爛漫の景色であった。 新発田駅に5:19に到着した。
 駅前にエンジンを掛けたままのタクシー2台駐車しているが運転手の姿がない。車の中を覗きこむと運転手は仮眠中であった。起こしてトランクに大ザックを2つ積み込んで乗車し、二王子神社に向かう。市街地にも農地にも雪は残っていないが、運転手さんは今春まだ二王子神社まで行っていないと心配なことをいう。タクシーが二王子神社への林道(参道)に入って1分も走ると目の前の道を残雪が覆っているのが見えた。運転手さんは「もうこの先には進めない」と言って我々を下ろして引き帰って行った。
 共同装備を2人で分配し、大ザックを担いでまず二王子神社に向かう。15分ほど歩くと最高所の田圃に着いた。曇空だがようやく見晴らしが利いてきた。再び尾根を巻いた参道を登る。ソメイヨシノもようやく咲き始めている段階だ。徒歩道への入口に着いた。前回(2010年のHP参照)はここよりもう少し上のほうまで乗用車やバスが登って来ていた。ここにもまだ雪が残っている。二王子神社下(280m)到着予定は7:20、現在6:30だからタクシーを使わなくても少し時間を稼いだことにはなっている。
 道標に従い、尾根を越えて徒歩道を進む。雪が融けたばかりの斜面にはショウジョウバカマが咲いていて目を楽しませてくれる。それ以外はまだ、徒歩道の回りに草の芽も蕾も出ていない。杉の落葉が残雪の上に積もっているだけであった。雪解けが進んできたせいか太鼓橋の下の沢には水が滝になって流れ下っていた。
 鳥居を潜り、石段を登って二王子神社の拝殿前広場に登りついた。参拝して安全と好天をお願いする。前回テントを張った自炊棟も、入り込んだ雪がまだ残って積もっていた。 雪がない炊事場のベンチでクランポンを装着し、登山届を出して7:04に雪道を用水路沿いに進んだ。
 用水路が雪に隠れ、古い踏み跡と杉の木に巻いた赤テープ、塗った赤ペンキマークに従って歩む。右手の細い沢に見覚えがあったがしっかりした踏み跡と赤テープに従い、水量が多い広めの沢を直進してしまった。右尾根に登るあの杉林が見つからない。
 さらに沢を渡る場所で左足のクランポンが外れ、そのまま気づかずに先行するTKさんを追っかけた。谷が狭まる場所に来て踏み跡もマークも視野から消え、偵察のため、左斜面に取り付いて気がついた。ザックをその場に置いて引き返し、沢を跳んで渡った場所で水に洗われているクランポンを見つけることができた。「なぜ、簡単に外れたのか」と思案しながらクランポンを再装着して引き返す。
 谷に下って最後のマークがついた朴の木から左右を丹念に見て目印を探す。地形図と風景を照合しながら現在位置を夏道の南側と推定しているとTKさんが「右薮尾根の斜面にテープがある」と叫んで、さらに「尾根の上にもテープがある」とよじ登って行った。前回登った一王子神社への楽々登り道ではなさそうだが二王子岳へのルートには違いない。
 08:15に右尾根へ取り付き、20分ほど雪椿やタムシバを掴み、掻き分け、よじ登って薮尾根に登り着いた。尾根には雪椿、シャクナゲ、マンサクやタムシバがびっしり茂っている。薄い踏み跡と古い枝折、鉈目があるが薮を押し分け、踏み越えて前に進む。難渋した。薮馴れしているTKさんはもう姿を消してしまい、音も消えてしまった。尾根に取り付いて約1時間後、ようやく尾根が薮から残雪に代わってホットした。TKさんの踏み跡をどうにか追う。残雪から顔を出している笹薮の端を選んで急斜面を登り続けた
 頭の上から「一般道に出たよー」との声が響いた。残雪急斜面を登りきると右手に平坦な尾根道が見覚えのある杉の林に向かって伸びているのが見えた。地形図の一王子神社辺りと現在位置を確認できた。登って来た薮尾根は夏道の南側ではなく北側だと谷間での地図読みの難しさを再認識した。10:10に一王子神社石祠を見つけ、ようやく夏道に合流できたと安心した。
 杉の大木の林を抜けるとTKさんが一王子避難小屋前の杉大木脇で座って待っているのが見えた。どっと疲れが出て、肩にザックが食い込んだ。一王子避難小屋もまだ雪がかぶさっている。 薄曇で雲がゆっくりと流れて景色を隠す。風は穏やかで春を迎える鳥の声が響く。雪解けの水がたてる沢の音を聞きながら、いつもと変わらぬマッフィンと暖かいコーヒーで15分の休憩を楽しむ。食べながらトレースを目で辿る。登山者は私が前回通った夏道(巻き道)を避けて尾根に直登しているようだ。
 出発の準備をしていると地元の男性が登って来た。「一王子から登って来たのか」と聞かれたので、「薮漕ぎしてきた」と答えたが、適切な回答だったのだろうか。「どうも今朝、彼の前を歩いて足跡を残したもう一組の登山者がいたに違いない」と察したが聞き返す元気がなかった。 ブナ尾根を尾根に直登し、地元の方の長靴跡を辿りながら尾根伝いに進み、定高山(994m)に到着した。
 次第にTKさんとの間が開いてとうとうTKさんは霧の中へに消えていった。踏み跡と木についた目印を辿れば二王子岳で追いつけるだろうと単独行を楽しむ。標高点1202mあたりから南の風が強くなり、風が運ぶ霧と雲が稜線を舞っているようになった。無論、遠望がないが2〜30mの視界はあるので安心して進んだ。
 三王子神社の辺りを過ぎ、奥ノ院近くの雪原で強い向かい風の中、下ってきた三人連れに「仲間が頂上で待っているよ」と激励の声を掛けられた。大柄の男性と宇都宮から来たという女性二人だ。寒風で強張った口でお礼を言って擦れ違った。道迷いがなければ会うはずも無かった人たちだ。
 まず二王子岳避難小屋へ直行して二年ぶりに入り口の扉を開けた。扉の脇には数本の缶ビールが冷やしてあった。小屋の中では朝会った地元の男性が荷物を広げていた。 「連れは頂上で待っているよ」と教えられて休むまもなく小屋の裏の頂上に向かった。
 狭いと記憶していた頂上は思いの他、広く、笹薮に囲まれているせいか烈風が遮られてしのぎよい。二王子岳の三角点(2等1420)前にウィンドブレーカー姿のTKさんが待っていた。立派な山頂石標はそのままだったが、架台には鐘が無い。飯豊の山々は雲で隠され、2年前の姿はなかった。
 小休止の後、二王子岳から二本木山を目指して歩き始めた。二王子岳避難小屋と奥ノ院との間の雪原から東、次いで南南東と二本木山への尾根を2人で探しながら進む。東に直行する尾根もあるので今日のような尾根筋が見えない状況では下りに神経を使う。雪の上に短い竹の柄が着いた赤旗の目印が倒れ、南南東に続く靴跡を見つけて正しい尾根に乗ったと安心した。
 コルから登りかえした峰を二本木岳の頂上と思ったが期待した三角点がない。20歩登ったら5〜10数えて休みのスローペースで進む。またして、小さなアップダウンでTKさんに置いていかれてしまった。
 「二本木山(1424.0m)山頂に着いた」との声を頼りにガスと風の中を進むと立派な山名標が立っている。二本木山山頂はそこだけ雪が融けて三角点も頭を出している。記録写真を撮影してそこそこに二本木山を離れた。予定より30分遅れと遅れ2時間を短縮できた。徐々にペースを回復している。
 二本木山山頂から下るとコルの先に尾根の分岐がある。分岐を東へ方向転換して下ると雲が薄くなって尾根筋が見え、予定したルートに乗っていることが確認できた。ナイフリッジとなった急傾斜の尾根に出くわしたが斜面を巻いて凌ぐことができた。TKさんの踏み跡を使わせて貰っているのだが、昨年の蒜場山兎返しよりも状況が良いと一安心した。
 標高点1212mを過ぎる。このあたりから飯豊主稜線の手前に赤津山のアンテナが見えるはずということだが見つからない。雲が流れているので目星がつかないせいもあるのだろう。標高点1212mの先の最低コルに到着した。
 本日の予定はさらに約1km先の桝取鞍山であったがすでに16:00近く、歩き始めて約10時間も過ぎということで、CLのTKさんから「ここで幕営」とのありがたい声がかかった。まだ北から吹き続けているものの風は落ち、曇ながら西空に点の様な月が登っていた。
 テントを張り、ザックはテントに収納し、残雪を溶かしてまず3Lの水を作る。干し大根・海藻・塩コンブ・カツオ節サラダに水を加え、湯を沸かしてアルファ米に注いで20分間待つ。頃合を見てサラダにドレッシングをかけ、Fソーセージを肴に焼酎の水割りを飲みながらレトルトカレーを湯煎して温める。アルファ米にカレーをかけて夕食にする。湯煎した残り湯で食器をすすぎ、緑茶を飲んで夕食が終了する。これが毎日の夕食だ。隣ではTKさんが切り餅の雑煮を作って召し上がっている。二人で明日は起床03:00、朝食を終えて05:00に出発と確認して寝袋に入る。思いついてテントの外に出て用を足すと、西空には点のような月が残っていた。
4月25日
3:04に起きて寝具を整理、テントの外に出て小用を足し、ザックにパッキングし直して朝食にかかる。あっという間に1時間が過ぎた。湯を沸かしていつものラーメン/雑炊を平らげ、お茶を飲んで食器をついでに洗って後片付けとする。改めてバッグパッキングをし直してテントの外に出た。テントの撤収にかかるが昨夜の風でフライ・テントが乾いている。気持ちよくザックに納めることができた。雷岳に至る斜面から日の出だ。用を足してすっきりした気分で固まったテント跡に立った。強風ながら体を飛ばされるほどではなく歩くのに支障はなさそうであった。
テント場にした最低コル(1022m)を05:42に出発して朝焼けに向かって登る。小ピークにも強い風が吹きつけているが雷岳へ標高差100mの登りをTKさんの跡を追って進む。細尾根から雪が落ちて、雪の崖ができている。急傾斜の雪面を引き返し気味に巻いて尾根に取り付いて休み、また、肝を冷やしながら急斜面を巻いて06:11に雷岳(1140m)登りついた。前途の尾根を眺めて薮にシュルンドと頭の中でルートをイメージしながら20分ほど休憩した
 雷岳の頂上の細尾根は既に雪が落ちて密薮が出ている。左右の斜面は到底歩けそうにも無い。潅木の中に飛び込んで薮漕ぎで進む。いつものようにTKさんは薮をすり抜けて行くが、私には木々がクランポンを引っかけ、ザックを後ろに引っ張って前に1m進むのさえ妨害する。苦しい。薮を抜けても急斜面のシュルンドに嵌らぬように渡らないと雪堤に到達しない。そんな苦しいアップダウンと密薮の繰り返しが続き、小休止したり、停止したりして細尾根を進む。どうにか緩やかな傾斜の南斜面の雪上を巻くことができるようになった。前途のヤンゲン峰からまだ遠い赤津山への尾根を見ると同じように薮が出て抜けるのが大変そうに見えた。
 8:07に当初テント泊予定地の桝取倉山(1493.0m)の到着した。今朝の好天でもシュルンドと密薮に阻まれてここまで2時間半、昨日の悪天候と疲れた手足では日没後暗くなって到着する羽目になっただろう。山頂も狭く、雪面も傾いている。昨日、早めに最低コルでテントを張ったのはCLの好判断であった。
 桝取倉山からヤンゲン峰へ続く細尾根のアップダウンへ進む。桝取倉山方向から眺めたので分らなかったが小ピークのヤンゲン峰側には雪が落ちてしまった場所が多い。どうにか抜けた密薮の先に割れた雪の大ブロックが見えた。ロープがあれば大ブロックから懸垂下降もできるのだが持参していない。ここで縦走中止かと思ったがTKさんが大ブロックと尾根の急斜面の境を慎重に踏んでつけた踏み跡を辿って、幸運にもブロックをどうにかかわすことができた。続く雪壁をどうにかクライムダウンして息を継いだ。前途の尾根には割れてできた雪ブロックと薮が連なっている。溜息をそっとついて空を見上げてみると青天がどこまでも続いていた。
 休憩してコルに下り、登り返す。崩落してできた雪壁を避け、北を巻いて標高点1212mの峰に着いた。残雪の造形を楽しみながら食事を終え、コルに下りヤンゲン峰の尾根に登る。東から南へ尾根は屈曲するが好天で遠望が利くので昨日のような緊張はない。
 尾根の西を巻いてヤンゲン峰(1246m)に10:31に登りついた。山頂からようやく赤津山の鉄塔を認めることができた。
 ヤンゲン峰(1246m)で小休止して美しい尾根筋を赤津山に向かう。標高点1205m峰についで標高点1240m峰を通り過ぎた。「青空に白銀の尾根が残雪期の縦走に求めてきた景色だ」。疲れを吹き飛ばしてくれる。西ノ峰に連なる正面右の丸い山頂の方に鉄塔があることもハッキリしてきた。アップダウンを繰り返す尾根を進んで標高点1193mのコルに下りついて飯豊主稜線を見る。主稜線は威圧していた。木綿の装束に草鞋履きの修験者はどうやって二王子岳から飯豊主稜線まで歩んだのだろうかとふと思う。
 斜面を登って13:32赤津山(3等1408.1m)に到着した。三角点は雪の下であった。先行したTKさんが休んでいる西の鉄塔(アンテナ)まで歩いて、ようやく重いザックを雪の上に下ろすことができた。 赤津山山頂から、登って来た稜線を目で二王子岳の向こうまで辿ってみた。正午過ぎの暑さで霞んではいるが日本海まで見通せた。山登りはこんな日に限る。
 10分間休憩して赤津山からが藤十郎山に向けて出発した。西ノ峰への尾根を背に東に向かう。これまでの苦労はどこへ消えたのか標高点1318m峰、標高点1231m峰もアップダウンの一部としか意識しないで通り過ぎてしまった。そのせいか標高点1231m峰の先の地点を地図読み間違いして「幕営地点」と思いこんでしまった。GPSL表示の緯度・経度で確認することも必要と下山後痛感した。
 やはり細尾根の雪は割れて薮が出ている。が、ヤンゲン峰まで程でもない。14:30に北東から東へ方向転換したが地形図からは尾根がクランクしているとは思えなかった。こんな好天でも地図読みだけでは現在位置確認すら困難だ。GPSを頼りにするほど飯豊の山は深く、変化が多い。赤津山から東に伸びる尾根にも大きなクラックや薮がでていた。
 ピーク(ここがあとで藤十郎山(1331.5m)と判った)に着いて雪堤上で休憩する。歩いてきた二王子岳から赤津山、そして二ツ峰への稜線をボーと眺めて汗を拭う。
 既に15時近くになっているのでテント適地をさがしながら歩む。尾根は北東から東へ屈曲し、等高線1300mコル付近の疎林斜面上の尾根にテント適地を見つけた。荷物を置いて平坦で、雨・風を避けられそうな場所をいろいろ偵察したが、デポ地点ほど傾斜が緩やかな場所はなかった。
 雪を踏み均し、テントを設営して落ちついたところで、GPSLで緯度経度を確認した。地形図を読んで標高点1231m近くと思っていたが、藤十郎山をすでに越した地点であることがわかった。日没とともに今夕も点のような月が西の空に残っていた。
 次第に風が出てきて強くなる。ラジオでは「下越の明日は強風注意報、昼まで雨、夕方までの降水確率は50%」との予報している。明日は沈殿かと話し合う。昨夜のように水作り、夕食を終えて19:00には寝袋に入った。 夜半に北の微風から南の強風に代わり、フライを雨が叩くようになった。
4月26日
 フライが風で鳴き、テント本体を叩く。風が吹くと南側のテント本体壁布がテントの半ばまで凹む。寝袋から出て上半身を立てるとぬれた壁布に叩かれて風下に倒される。壁布から跳んだ雫がシュラーフカバーに当って音を立てていた。テント内に嵐を閉じ込めたような感じで睡眠も浅く、寝たという気分にならなかった。
 2:55に起きて嵐のようなテントの中で寝具を整理した。強風の中、外に出て用を足す気分にならず、のろのろとパッキングし直した。強風でテント布に叩かれて朝食もママならず、お茶も飲まずにテントの外にザックを搬出した。
 テントの中は強風であったが、意外にも外に出るとそれほどでもない。歩けそうな風であった。飯豊主稜線には雨雲が積み重なって流れているが、テント場に降雨なく、 二ノ峰方向は朝焼けさえ見えた。強い風の中、テントを撤収した。
 フライは昨夜の強風で裂け目が何箇所も入り、飛んで来た小枝も刺さっていた。濡れたまま丸めてPE袋に収納し、浅いUの字に湾曲したポールは折ってどうにか袋に納めることができた。テント本体には傷が無い。すべてフライが守ってくれたようだった。
 テント場を出発するに当り、GPSLの表示を確認しようとしたところ、液晶画面になんにも数字が無い。昨夕交換した電池を1晩中通電して消耗したと考えてTKさんのGPSのログデータを下山後メールで送信してもらうようにお願いをした。下山後、電池容量を検査したところ電池は全く消耗してなかった。電池交換時にマニュアル通りの順番操作をしなかったので表示異常をしたことが判明した。今後は操作に気をつけて正常動作しているか確認を励行しよう。
 テント場を05:05に雪を踏んで出発した。雪面は風で硬くなりクランポンの利きが良い。南の谷から吹く風が強かったが北側斜面を歩くと風を幾分避けることができた。
 10分ほど歩くと尾根筋は東から北東へ変わり、風も東から吹きつけてきた。今日も登りになるとTKさんに置いていかれる。冬用重登山靴と通常登山靴の重さ、カットの高さの影響が大きいのだろうか。標高点1348m峰を過ぎると風が極めて強くなった。飯豊主稜線に黒雲が懸かり、その一部が谷を挟んだこちらの尾根に流れて来ている。
 風が残雪面から水滴を巻き上げ、雨具を叩く。強風が通る時は耐風姿勢をとってやり過ごし、風が息をついて止んだ時に前に進んだ。左(北東)の斜面を覆う笹薮に逃げ込めればと思ったが笹薮も強風で波を打って地に伏せてしまい役に立たない。
 豆粒のように小さく見えるTKさんはもう標高点1407m峰の斜面に取り付いて風と戦っている。踏み跡を辿って標高点1407mをどうにか通り過ぎた。尾根の北西側を巻いて右(南東)からの強風を避ける。細尾根は雪が落ちて薮が出ている。切れた雪を渡るか、薮に突入するか思案した上、安全策をとって薮と格闘することにした。
 標高点1469m峰の前後は、強風が残雪から吹き飛ばしたザラメ雪が顔に当って痛い。そんな時は耐風姿勢でも堪えきれず、二三歩風下に飛ばされてよろけてしまう。右手のレインコート袖がバタバタとなり、ピッケルの紐がループ、さらに縒りがかかる。しゃがみこんで風が弱くなるのを待った。ただ烈風が続いても手足、体が冷えないので助かる。耐風姿勢をなんども繰り返し、風が息継ぎするのを見計らって進む。
 雪が割れてでた薮に入ると風が緩くなり飛ばされる心配はないのだが薮が邪魔をして1m進むのに全身の筋肉が悲鳴をあげた。そんな繰り返しでもう薮に入るのが嫌になっったので岩場から落ちかけた雪を利用して越す。疲れが安全より危険を選ばせた。
 いよいよ7:24に鋭い二ッ峰の稜線の深薮へ入る。ミヤマブナ、マンサク、タムシバ、ムシカリ、ナナカマド、石楠花、赤蔓、始末が悪いアカミノイヌツゲが茂り、風が当るところは笹もある。岩場はツツジ、ハナヒリノキなどが繁茂していた。TKさんは斜面から尾根筋へ木を伝い、薮を分けて楽々と登っていったが、重登山靴と重いザックが邪魔をして薮を進めない。薮から斜面の残雪に下って残雪を拾い、薮が薄い場所を探すことにした。
 残雪が切れた雪崩斜面の薄めの薮を登り、尾根の深い薮へ取り付いたところで左足のクランンポンを再度、落としたことに気づいた。すぐ探しに行くべきだったがTKさんに追いつかなければとの一心で薮尾根を登った。潅木が笹や草に代わりどうにか、二ッ峰(3等 1642.4m)に登りついた 二ツ峰の狭い山頂に三角点があり、その傍でTKさんが待っていた。
 事情を説明して、TKさんの助言でクランポンを探しに下る。尾根筋の深い薮を見覚えのある残雪まで下り、雪の上に残る左足クランポンの前爪跡を追って登り返す。標高1550mの辺りで潅木にクランポンがぶら下がっているのを発見(撮影しておくべきだった)した。クランポンを履いて、尾根の深い薮へ取り付き、頂上に登り返す。ザックを担がないと密薮の上りも楽だ。再び頂上に到着して十二分な休憩を取らして頂いた。
 改めて頂上から周囲を見回すと二王子岳の先には日本海がみえるが、主稜線の門内岳の左には小屋が見えたが大日岳などには今朝と変わらず強風が厚い雲を送ってきていた。
 二ツ峰山頂から下る。クランポン回収の間にTKさんはルートを偵察し、細い急傾斜の雪稜(細い雪の崖という方が良い)にステップを切ってくださった。最後はクライムダウンして岩壁の鎖場に着いた。左右の潅木を掴んでバランスをとりながら鎖場を下る。最後は2mほど鎖が不足しているので先に下りたTKさんの声に従い、潅木を掴んで壁を降りて平坦な雪上へ降りることができた。少し歩いて二ツ峰を振り返ると鋭峰というより尖った岩のようだった。反対側の密薮といい、こちら側の岩と雪の崖といい手ごわい。
 雪原を下る。コルから登りかえして標高点1622mに、急登りの尾根をTKさんから遅れながら登って標高点1767m峰に、さらに標高差100mを登って門内岳(1887m)に到着した。
 TKさんに遅れること14分、計算するとTIはTKさんの1.14倍の登り時間が必要ということになる。 門内岳山頂も強風が吹き荒れ、祠の影で風を避けるがザックを置いて記念写真を撮ろうとすると吹き飛ばされた。早々に山頂から小屋に続く夏道を下ることとした。夏道は雪解け水が流れて、所々で雪の下が空洞に抜けて歩きづらい。
 門内岳避難小屋入口に11:38に到着してドアのノブを回すがドアが硬くて動かない。ザックを戸口に置いて梯子を登り、2階窓から1階に降りて入口に回った。入口内部の雪を除き、ドアのノブを回して開くことを確認した。ドアを開いてTKさんに声をかけ、入ってもらう。ザックを屋内に担ぎ込んでようやく一息ついた。
 烈風でなんども耐風姿勢をしたり、クランポン回収に時間がかかったにしては所要時間の予定時間の比が0.94と小さく、よく健闘して無事についたものだと思った。
 当初、「余裕があれば下山する」と予定していたが、霧と強風、午後は50%確率で雨、テント損傷、飯豊山荘から梅花皮荘までの6kmにタクシー入らずとのことでまだ朝のうちではあるが門内岳避難小屋で1泊することとなった。
 まず飲み水用の雪を小屋のスコップでPE袋に詰める。その間も小雨が流れ、手が冷える。PE袋を提げて小屋に入る。夕食の場所を決めるのに小屋の中を見回す。窓の隙間から吹き込み、溜まった雪が融けて1階の一部の床をぬらしていた。まだ雪を除く人も入っていなかったらしい。
 まず汗で濡れた装備を洗濯紐に吊るす。室内アルコール温度計で5℃、明日までに乾くだろうか。裂けたフライを広げ、テントを張ってこれらも乾かした。冬靴にも新聞紙を丸めて入れる。片足に半頁を2枚、新聞紙2枚で1日分が適当だと詰まらぬことを考えたりしながら一通り濡れた装備の処理を終え、寝袋を広げて午睡を取って時間つぶしをした。予定通りに目覚めていつものレトルトカレーα米、水戻し乾燥野菜サラダで夕食を摂り、日が落ちるのにあわせて本格的に目を瞑った。
 夜半には雨、風が強まり、どうなることかと心配したが日が代わるころから次第に納まったようだった。
  帰宅後、2回も外れたワンタッチアイゼンのチェックをしてみた。重登山靴にセットしたとき、左足用の後のバインディングが甘くなっていた。気がつかない内に調節用のネジが回っていたようだ。出発前に装着してネジが適切かチェックしていなかったのが原因と分って落胆した。
427
夜明けまで強い雨風の音がしていたが、次第に納まった。3:17に起きて予定通りの行動をとる。朝食を終え、お茶を飲んだところでガスを計算どおり(3日夕朝*70g〜80g)に使いきった。今回、何事も無かったからよかったものの予備ガスカートリッジを持っておく必要があったと深く反省した。
 霧雨の外で用を足して落ち着いたところでパッキングし直しをした。避難小屋のなかで首尾よく乾いたテントを収納する。フライは購入後20年を経て布地が劣化していたのか強風で留めていた縄の所から裂け、また飛んできた枝や懸かった潅木で破れが生じてそこからも裂けたように思われた。
 入口の壁に貼り付けられたバス時刻表や維持管理料などを見ながら、今日はマニュアル通りにGPSLスイッチを入れて表示を確認した。腕に填めた高度計兼用腕時計の気圧計を見る。大気圧は昨夜より上昇し、低気圧は抜けたかと思われた。室内アルコール温度2℃で昨日より低いが氷ができるほど低くは無かった。外に出て下界を眺めると雲海が広がり、山頂と同じく風が落ち着いてきたことを覗わせた。
 ゆっくりと準備して5:40に門内小屋を出発した。今日は梶川尾根を下る。薄霧が立ち込めているが尾根筋がそこそこ、見通せる。安心だ。風はない。池塘もまだ雪の下、足元は雪が融けたところでも芽吹きはまだで稜線に春はまだ遠い。左に夏道を見ながら雪の上を進む。扇の地紙分岐を探しながら進むと夏道に立つ石杭があった。胎内山と彫ってあった。
 25分歩いて扇の地紙(1889)に到着した。扇の地紙と書いた木の道標が立ち、梶川尾根への夏道が出ていた。夏道は直ぐに残雪に覆われたが所々に現れてルートの確認ができた。時にはケルンもあった。尾根から下界を見下ろすと雲海に浮かぶ山々が水墨画のように見えた。
 梶川峰(1692)と道標が立つ場所に到着した。風が無いので暑い。雨具の上着を脱いで風を通し、汗を拭う。周りにはナナカマドの薮があるが地形図にある三角点が見当たらない。帰宅して地形図とトラックログを照合したが三角点(1692.3m)は3分も下った場所にあった。良くあることだが道標で風景と地形図と照合して現在位置を確認する場合にはこんな誤差がある。10分ほどあるいて尾根分岐を地形図通り南東へ下る。
 雲海の中に入ってきた。遠望が利かなくなった尾根筋を残雪を踏んで南へ回りこみ、二分ほど歩いてどうにもおかしいと引き返す。TKさんのGPSにインポートしてあったウェイポイントでどうにか正しいルートに乗ることができた。TIのGPSLの緯度経度確認ではこんなに早くルート修正できない。
 7:17に尾根分岐(標高1350m付近)に到着した。ここが最も難しかった。3つに別れた広い尾根分岐でもちろん夏道は見えない。霧がたちこめ、水墨画の世界だ。慎重に地図読み、GPS読みをした上で霧が流れて先が見通せるのを待ち、地形図のような風景かどうか照合して南東尾根に乗った。
 標高点1145m尾根分岐では北東へ下って夏道を見つけてルートを確認できた。7:58に雲海を抜けてブナ高木林に入った。ブナ高木林の中に夏道が続くのを確認したがすぐに夏道は雪の下に隠れてしまった。夏道は必ずしも尾根を忠実に通らないので地形図やガイドブックに頼りすぎると動けなくなる。
 標高点1021m峰に登りついて雪の上で30分のお茶・昼食休憩をとった。ブナ林の脇には夏道が見え、古い空き缶が捨ててある。夏道の傍らにはイワウチワがようやく開花していた。休憩後約10分歩いて尾根分岐を過ぎ、さらに東から北へ方向を変えた。広い雪の尾根が東に伸び、地図読みだけでは方向転換を決めかねる。TKさんのGPSで確認してようやく納得できた。次第に雪が薄くなり、現れた夏道を左に雪の上を下るようになった。
 9:20に尾根右手の沢に家屋を発見し、ルート間違いかと地図、GPSの表示を確認し、風景と照合した。目を凝らして左手に飯豊山荘の赤屋根を発見し、ルート取りが間違いないと一安心した。尾根の雪が切れ、露岩が続くようになったのでクランポンを脱ぎ、夏道を下る。足が軽くなり、重登山靴が滑り始めたのでなんとも心もとない。夏道にもカモシカの溜め糞が何箇所もあった。山開き前で安心して休んでいたのであろう。見下ろすと沢を流れる雪解け水が緑色、まだ雪が厚く泥が流れ出ていない証拠ということだ。10:05過ぎに固定ロープ設置岩場を下った。濡れた岩は滑りやすく、使い込まれた寸足らずの固定ロープではヒヤヒヤだ。
 岩場を下って少し進むと夏道が雪の下に再び消えた。そのまま尾根を辿ると林道上の崖の上に出た。左右のどちらを下るべきか、飯豊山荘の東の湯沢に架かる橋へと左(西)の斜面を立ち木の幹や雪に押し伏された細木を頼りに下った。目論んだ橋を見つけて林道に立つことができた。湯沢に架かる橋の上から振り返ってみるがどこが夏道か、取り付き点か見つけることはできなかった。
 梶川尾根コースは、梶川峰から飯豊山荘まで尾根分岐が幾つもあり、視界がなくなると地図読みだけではルート取りはおろか現在地確認も難しかった。残雪季にはGPSが不可欠である。 飯豊山荘(400m)には門内小屋から4時間50分程で10:30に到着した。昨日の風雨の中で門内小屋を12時に出発しては日没前に着くのは無理だったにちがいない。
 今年は雪が多いのか飯豊山荘の屋根も雪で壊れていた。インターネットで見た正面玄関はどこにあたるのか分らない。舗装された林道があるはずだが残雪で覆われてこれも分からない。もう1棟の家屋の裏を抜けて崖の上に出てみた。崖下には左手から延びる林道が走って沢向こうまで通じている。林道にはまだ厚い残雪が残り、その先も除雪が進んでいるようには見えなかった。 山荘脇でクランポンを改めて装着し、10:53に出発した。
 雪が欄干まで積もった橋を渡る。林道はここから梅花皮荘の対岸まで6kmが沢の右岸、尾根の北斜面の下につけられていた。湯気を吐く温泉関係施設の周りだけ雪が融けているが林道には雪が積もって、北斜面に繋がるような急な斜面になっていた。延々と巻き道を歩き続ける感じだ。林道の右法面(北斜面)の上から右側から雪の塊が落下して肝を冷やす。前を歩くTKさんが林道斜面を川の手前まで2回も滑落して驚く。大きなデブリも何箇所かあり、雪の塊や折れた木を越すのに苦労した。沢に堰堤が出てきて、幾分沢も広くなり、杉の植林脇を通る林道の雪も平らになった。残雪から顔をだした道標には「ここより国立公園飯豊連峰」、さらに3分歩いたところにあった看板には「磐梯朝日国立公園飯豊地域」とあった。
 谷間に薄い煙が見えて人家が近いことが分ったが大きな建物と駐車している乗用車が見えてきたのは10分後であった。下流にも建物があった。梅花皮荘はどっちだろうか。その建物に向かって下流から除雪した舗装道路が繋がっているのが見えた。もう少しだ。
 ところが建物の対岸に着いたのに、右岸の崖から林道に落ちた雪が路肩に向かって急斜面を作っている。路肩の下は切り立った川岸で、激流が流れているので滑落して落ちたら助かりそうも無い。「ここが今日一番の急斜面、慎重に」と声を掛け合ってどうにか吊橋の袂に着いた。細い吊橋を渡ってロープにかかった張り紙を見るとこの橋は「立ち入り禁止」とあった。なぜ、対岸に張り紙が無かったのか。踏み跡がない坂を登って梅花皮荘の駐車場に到着した。
 クランポン、ピッケル、ワカンなどの荷物を整理しながら、長年自然監視員(門内小屋などの管理人も)を勤めた方と、「どこから来たのか?熊にあわなかったか?雪が多いので今年は5月末になっても林道除雪はどうだか。雪崩が心配だから6月末までかかるかも、飯豊山荘は7月山開きかも。飯豊山荘で森林セラピーの利益が小国町に上がっている」とかお互いに質問しあい、情報を交換した。林道の除雪が終わっていれば、石転沢を登って避難小屋泊まりで北股岳〜大日岳〜飯豊本山を楽しむこともできそうだ。2013年連休後に計画しようと心に誓った
  13:04に飯豊梅花皮荘の玄関へ向かう。もちろん温泉(入浴\500)に入って汗を流し、疲れをとるためである。フロントで交渉してきたTKさんがレストランは昼食営業13:00までと聞いて、できるものでいいからと定食を注文し、入浴前にまず食事をとることになった。久しぶりの生ビール(\630)で喉を潤し、食堂の窓から玉川の谷の奥を見ながら山菜天婦羅定食(¥1500)を頂いた。 入浴後、「1時間でも早く帰れば、本日中に藤沢に帰着できる。タクシーで小国駅に向かうと約30分で到着、次のバス(16:05)に乗ると小国駅に16:50に着く。「いくらローカル線でも15時〜17時台に出る電車があるだろう。」と話がついた。
 タクシーを呼んで14:48に梅花皮荘を出た。驚いたことに7分走ったところで道路の除雪作業にであった。これでは林道除雪がまだまだ先なのも分る。発電所近くの合流点から国道へ、この合流点から梅花皮荘に 入るコースはとても分りにくい。TKさんと運転手とはそれで話が盛り上がっていた。玉川集落を過ぎ、道の駅・横根スキー場の前を通る。石楠花祭が始まるというが蕾はまだ固い状態だ。運転手の話では「今年は積雪が多い。田にまだ雪が残り、苗代作りが遅れている。農家の方はイライラしている」とのことであった。車窓から眺める桜もまだ蕾で花見はまだ先のようであった。
予定通りの時間で小国駅に着いた。TKさんが駅員を呼び出して列車の発車時刻を確かめた。約2時間後の17:27(坂町行)、17:45(米沢行)まで電車はないことが分った。「大枚(約\9000)を叩いてタクシーで急いだ甲斐が無い。バスで間に合う」とTKさんは謝ったがこんなことは登山でよくあることだ。時間があるので下山報告をと、リーダー部長の電話番号を探したが、新座山の会の山行計画書を持参していなかったことに始めて気が着いた。帰宅後、深夜であったがリーダー部長に下山報告と陳謝をメールしたのは言うまでも無い。
 結局、小国発17:45の米沢行きの電車に(17:29坂町行きこちらは乗車券+特急券が高い)乗って米沢に19:15に到着、米沢駅前の食房杵で米沢牛本日おすすめ/米沢牛すきやき風(\950)を夕食に、20:08発特急つばさ158に乗って21:03に大宮着・解散と、無事に、TKさんとの山行を終えることができた
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