【日  程】2002年11月03日〜10日

【エベレスト街道・トレッキング:行程】
 11月 3日 東京羽田空港→関西国際空港→上海浦東空港→カトマンズ・トリブヴァン国際空港→ヴァイシャリH

 11月 4日 カトマンズ→ルクラ→チョプルン→パクディン

 11月 5日 パクディン→トクトク→チュモア→モンジョ→ジョルサレ→トップダラ→ナムチェ・バザール

 11月 6日 ナムチェ・バザール→シャンボチェ空港→エベレストヴューH→クムジュン東分岐→クムジュン村

         →シャンボチェ空港→クムジュン東分岐→ナムチェ・バザール

 11月 7日 ナムチェ・バザール→トップダラ→ジョルサレ→モンジョ→チュモア→ベンカールの橋→トクトク

         →パクディン→ガート→チョプルン→ルクラ=ホリデイロッジ泊

 11月 8日 ロッジ(6:30)→ルクラ空港→カトマンズ→ホテル

         午後:タメル地区

 11月 9日 カトマンズ市内見学=スワヤンブナート→パシュパティナート→ボーダナート

         市内自由見学=アサン→ハヌマン・ドカ→タメル

 11月10日 カトマンズ→空港→上海浦東空港→関西国際空港→東京羽田空港→帰宅

【メンバー】   CL T.M 監督:R.A 記録:C.I、S.O、会計:H.S、渉外/医薬品:T.K、C.O、写真:T.M
         * ツアー・ガイド:C.K(FITS)
         * 現地ガイド:Dawa Nuru Sherpa、Sona Sherpa、Dawa Temba Sherpa 他ポーター。

【コメント】
 エベレストを眺めに行くのは長年の夢だった。チベット、ブータン、ネパール(世界高峰が並ぶ地域、エベレスト、ラマ教、・・・・尽きない興味を感じるこの地域)に一度は訪ねてみたいと想っていた。今までは本、映画、ニュース、等でしかふれる事が出来なかった。山の会の創立十周年記念事業として企画され、2001年に計画されたが、自分は現役最終年しっかり区切りを付けて終わりたいものと不参加を選択、9・11による一部の人達が延期と言う形でチャンスが回ってきた。いよいよ準備段階になって今度は、マオイスト騒動のニュースに躊躇するメンバーも出てきたが少々の障碍は乗り越えて・・・・・と連帯感を強め実行へ。
 ネパール駐日大使館に事情を問い合わせたり、外務省のアナウンスを注視したりいろいろやった、また、入国時カメラ機材の持ち込み制限があるとか、持って行く物の準備に迷って、カメラは一台しかもって行かなかったが、結局はそんなチェックはなかった様だ。残念。
 11月3日
 いよいよ出発の日がきた。 成増駅始発の電車で、池袋で全員8名合流、品川経由羽田へ。
 早朝の出発にもかかわらず、皆元気だ。羽田ではFITSのIさんの見送りと今回お世話になるアテンダントのKさんの紹介を受ける。皆、いやがうえにもこれからの旅に期待と興奮が高まる。
 7時35分搭乗、8時50分発全日空NH141便関空へ、新雪を頂いた富士山が美しい。乗り継ぐロイヤルネパールRA412便は12時30分発、空港内を見学したり、免税店を物色したり、でも気分は既にネパールへ。 定刻に出発した機は東シナ海を経て上海浦東空港へ向かう、昼食を摂って暫くで真新しい上海空港に、長い回廊を歩いて案内された待合室は何も無い休憩室、免税店を期待していた人達はがっかり、まだ整備の途上なのか?再び機内へ、旅は道ずれ、機内では隣り合わせの人と話が出来るのも楽しみのうち、左側、窓際の女性はネパール人(少女)、幸いな事に「日本語」、「英語」が話せる、日本の事、ネパールの事、カトマンズの見所・・・、と日本滞在、旅行等々の感想・・、日本にはお姉さんの出産の手伝いで来ていたとの事だった。話がはずむ内に機は夕焼けに染まるヒマラヤ山脈を越えかかっていた、山脈を越えると既に夜の世界、暫くすると下界に明かりがポツポツと見え出し、間もなく高度を下た機はトリブバン国際空港に着陸。入国手続、再び手持ちの荷物にレントゲン検査とは驚き、マオイスト騒動の余波か、途上国(失礼)にありがちな混乱か?無事カトマンズに降り立ち、現地旅行会社のマイクロバスでホテルへ。 ホテルでは折からのティハ‐ル(光)の祭とかで 電飾がされていた、ウエルカム・ミーティングと両替を終えて各部屋へ、当てられた部屋が工事中だったり・・・・、いろいろ有って就寝は十二時を越えてしまった。
 ※エベレストをはじめヒマラヤの山々は初めて見る驚きと興奮とその美しさに、度々似た光景が出てきますが
   呆れないでご覧いただければと思います。
 
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