| 【コメント&記録】 |
烏の鳴き声、車が駐車場を出入りする音に目を覚まされた。寝袋から出て、まず清潔な公衆便所に向かう。雨は霧に変わり天気は回復傾向にある。駐車場の路面は濡れたままだ。
TSさんの携帯電話天気予報によると「今日の蔵王山頂は雨後曇、風速は>20m」とのことで、刈田岳〜熊野岳往復を諦めて、笹谷温泉に近い笹谷峠から有耶無耶ノ関往復で足慣らしをすることになった。道の駅の入口にある看板を読むと村田は伊達氏ゆかりの神社、仏閣がある蔵造の町でそれらを繋ぐ観光ルートがあるという。時間に十二分の余裕があるので東北道に乗る前にそれらを見ることにして、それぞれ準備してきた軽い朝食をとった。
三々五々、産地直売所の前に軽自動車が集まり、農作物を持ってきた高年齢の人達が世間話を始めている。販売所関係者から車を移動するように言われたので、荷物をキャンピングカーに収納して急いで駐車ロットに移った。
道の駅村田を出て、まず蔵造通りに向かった。蔵造の家屋が見えるものの、東日本大震災の被害か、屋根にブルーシートが懸かっているものもあり、痛々しい。蔵造通りの規模は川越より遥かに小さく、志木市の本町並みであった。
蔵造通りを抜けて小雨が舞う白鳥神社の参拝者用駐車場に車を止め、白鳥神社の由緒書き看板を読んで、境内に向かう。駐車場と境内を繋ぐ赤塗の橋の下は濁った水が河原の草をなぎ倒して勢い良く流れている。霧に混じる小雨がうっとうしいので傘を広げて橋を渡り、目の前の鳥居に歩いた。
鳥居前には八幡太郎義家ゆかりの蛇藤、鳥居の先の境内には大欅と大銀杏、大銀杏は「最近倒れたので株だけ残した」と看板が立っていた。全員社殿で拝礼して社殿裏に回る。ここには大樫、竹が茂る裏山にも古木があるかと踏み跡に入ったが入山禁止の看板が立っていた。
白鳥神社を出て、村田ICから山形道に入り、笹谷ICで降りて一般道を笹谷峠へ向かった。途中の高速道から見える田圃の実った稲、一般道の路肩・法面の風に揺れるススキが美しいとUMさんが何度も「見て!見て!」声を上げた。
路肩が広くなり、舗装した林道の入口に看板が立ち、笹谷古道入口と書いてある。その先で笹谷峠に向かう峠越道は細くなり、交通規制の看板が路傍に立っていた。車長>6m通行禁止とあるのでキャンピングカーはこれ以上進めない。引き返して、先ほどの笹谷古道入口から有耶無耶ノ関へ散歩することに変更した。
笹谷古道入口駐車場に車を置き、小ザックを背負って出発した。小雨がパラつくが谷底に近いせいか心配した強風はない。まず笹谷古道入口の由緒書き看板を読む。「過っては奥州街道と出羽街道を結ぶ重要な峠道であり、冬は2mの積雪で旅人が難渋した」とある。
看板前からは簡易舗装した林道で、路面に先日来の雨で流された小石が溜まっていた。すぐに土道に変わり、杉林に入る。路傍に馬頭観世音石碑が二体立ち、荷馬・馬子が多数往復したのがうかがえた。
斜面についた傾斜の低い山道を進むと大きな落葉と丸い落果を踏むようになった。白塗りの道標によると下栃だ。山道が広くなり、樹林のせいで傘をさす必要がない。2、3分歩くと上栃に着いた。ここにも白塗りの道標があった。
道にミズナラの実が増えたと思っていると、道上に大きな糞が落ちていた。熊か、大型犬か、どちらか?次は水なしの「函水=はこみず」、旅人の水場、その次は「駒泣かせ」という、そんなに急には思えない坂に「見掛け倒しだね」と言いながら登る。
ミズナラや栃に代わり、今度は山栗が道に落ちていた。「帰りに拾おう」と言って進む。毎年のことだが、黄葉寸前のブナ林は新緑の頃に戻ったような葉をつけているのでUMさんが「綺麗!」「綺麗!」を連発する。
割れた岩が斜面に出て来たらこんどは「化け石」、今ではそんな化け物が出てくる所とは思えない。「吹き越し」という場所も風の通り道だが広くて傾斜も緩やかだ。小型で頑強な日本馬が吹き飛ばされたとは信じられない。「乾平」も仙住寺が乾の方向にあると看板に書いてあるが「平」とは思えないが狭さだ。昔の馬子は理由があって地名をつけたのだろうが伝承はどうも胡散臭い。
御影石の礎石や手水鉢などが残っている仙住寺跡に着いた。サワフタギが鮮やかな青い実に雨露を着け、隣ではアキグミが赤い実を結んで美しい。ここはかなりの広さで往時の寺の大きさが偲ばれた。寺跡のすぐ上手は清冽な水が流れる沢で、古道はここを渡っていた。水場があったからお救い寺ができたのだろう。
平坦な薮っぽい道の上には2系列の高圧送電線が見え、ヤマブドウを摘みながら道を進むと水が掘った地蔵坂になる。どこに地蔵があるのか分からずにそのまま登り、右手に曲がると広い平坦地の中の笹原を刈り広げた有耶無耶ノ関跡があった。
切り開きに大きな柱と由緒看板が立っている。西から吹き下ってくる霧の中で展望はなかった。 川崎町が立てた由緒看板には
出羽と陸前の重要な交通路 笹谷峠にあり、冬季は積雪で難渋した
往古から歌枕になっていた
義経記や吾妻鏡には伊那の関とか大関山としてでてくる
一番鳥の地名説話がある
と、書いてある。
芭蕉の「奥の細道」に有耶無耶の関があったはず、帰宅して調べてみたら、違う場所、三崎の関と分かった。村田の白鳥神社の日本武尊伝承といい、有耶無耶の関といい、古事記以前の古いの伝承地は日本各地に散らばっていて面白い。
霧に追いたてられて有耶無耶ノ関跡を発ち、往路をそのまま下る。笹薮から地蔵坂に下るところで目を上げると直前に「鶏亀地蔵尊」と書いた白塗り柱が立ち、その後に衣を纏った石仏が立っていらっしゃるではないか。登りに抱いた「なぜ地蔵坂」という疑問が解けた。
沢を渡り、仙住寺跡でアケビを見つけ、山栗を拾って笹谷古道入口に帰着した。同行者一同、秋の森のアロマを満喫して3時間の充実した足慣らし散歩を楽しんだようだった。
小ザックをキャンピングカーに積み込んで笹谷古道入口から笹谷温泉に向かった。道路わきにある温泉の大看板を目印に脇道にはいり、13時前には一乃湯に到着した。
予約してくれたUMさんに宿泊手続き、部屋割りを任せて玄関前の庭を見ながら待つ。男女別々の部屋に分かれて荷物を運び込み、荷物を仕分けして収納後、食堂へ向かって昼食を摂った。もちろん、生ビールで全員乾杯、ほろ酔い気分になったところで、宿自慢の鉄明礬泉に入って今後の登山に備えた。
湯から上がってフロントの地図を見て、ここの笹谷温泉から雁戸山まで往復5時間半の笹雁新道があることがわかった。後の祭りだが足慣らしには笹雁新道の方がずっとよかったかもしれない。
UMさんが電話で焼走国際村コテージ・食堂の様子を電話で確認してくれた。明日、連絡すればOKとのことでこれは一安心だ。 夕食後の天気予報では、明日も「強風変わらず」、07〜08日に北蔵王縦走する案は消え、07日姫神山、08日八幡平という計画に変更せざるをえないことに(陰のCLがそう提案して)全員の一致をみた。
夜半にウトウトと浅くなった寝耳に時折強い雨が降る音が聞こえた。 |
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