| 【エベレスト街道・トレッキング:行程】 11月 9日 カトマンズ市内見学=スワヤンブナート→パシュパティナート→ボーダナート 市内自由見学=アサン→ハヌマン・ドカ→タメル 10月9日 いよいよ帰りの日、快晴窓辺に映るカトマンズの日の出が美しい。 現地ツアー社の社長が来られたり、Kさんの妹さんの友達だと言うRさんで観光飛行機のパイロットとか、いろい ろ事業プラン・・・・を、とそんな話をしながらゆっくりと朝食を、残念ながら自分はモーニング・ティーで我慢、胃腸 の働きすぎを抑えるには絶食に限る。 マイクロバスに乗り込み、日本語の流暢なガイドのおじさん?の説明を聞きながら、街中を通って、観光の名所 へ、まず最初は「パシュパティナート」ネパール最大のヒンドゥー寺院だそうだ、よく写真とか本でみるインドの聖地 、ベナレスの沐浴場を小さくしたような感じもする、川沿いの階段、配置される火葬台(ガート)、その下の川で沐浴 する人々、おりしも一体の葬送の準備が進められる風景が対岸にあった、白い布で包まれ木組みの担架に乗せ られ、多くの花に飾られて・・、橋を挟んで利用者の身分を分けているそうだ、まさしく上流は・・・。 門前には、花売り、香料、鮮やかな色の粉? が売られる出店が並び、姦しい呼び込みも。門前を後にして次は 、「ボーダナート」へ今度はネパール最大の仏塔(ストゥーバ)が建つチベット仏教の巡礼地だそうだ。観光案内パ ンフレットには必ずある風景、白いお椀を伏せた様な上にかの“目“が描かれた建物に、上の尖塔から幾筋物張 られたタルチョ(赤=火、青=空、黄=地、緑=水、白=風を表現)の布地に経文が印刷されている)が真っ青な 空にはためく、巡礼と思しき人々、僧侶、そして観光客。中国がチベットを武力併合した後、チベット文化がこの様 に場所を替えて人々を惹きつけて止まないそうだ。 基壇部分にはマニ車が沢山仕組まれていてそれを回しながら右回りに巡回、若い少年僧が、当に向かってひた すら読経、礼拝する僧侶の姿・・・、基壇の上に上ってみると、周辺の、幾つかの僧院の屋根越しに真っ白なヒマラ ヤの峰が望まれる、その向こうにはチベット仏教の故郷、ラサが在るのだろうか、先日クムジュンで出会った老人はあんな高みの峠を越えて来たんだろうかと想いを馳せる。境内周辺の土産物店を物色して、次の「スワヤンブ ナート」へ、カトマンズの市外を通り抜けて反対側、西方の緑に囲まれた高い丘の上に建ち、ネパール最古の仏 教寺院。 ここからはカトマンズを見下ろすことができる。 バスから下り、坂道を、我々がホコリ除けるためマスクをして登っていくと、通りすがりに欧米人?が「ノープロブ レム、クリーン」と話しかけてきた、我々は少し神経質になっているのかな? 建物の姿は先のボーダナートに似て いるが“目” の上の尖塔は五輪状の物が何層もあって尖がり帽子の様に高い、矢張り、タルチョが幾筋かはため いている、正面に巨大な「金剛杵」が安置され、本尊は「大日如来像」が安置されているそうだ。 境内には蝋燭、灯明の油の煙が立ちこめ独特の匂い、雰囲気が漂う中、大勢の参拝客が詣でている、真言密 教の寺院だった。伝説ではその昔、カトマンズ盆地が湖だったころから丘の上に建てられていたそうです。市内観 光を終わり、ホテルに戻ると来週からアンナプルナ方面に行くと言っていたダワ・ヌルが、時間が空いたからと午 後街中を案内してくれると言う(是も帰りの飛行機が遅れた為に出来た時間の活用に、Kさんの気配りで)今度は 歩いて街中へ、まず腹ごしらえから、昼は久しぶりに日本食を食べに、タメル・チョーク(四辻)、タヒティ・チョーク、 アサン・チョーク、ここでは香辛料が沢山そろえて売られており、白、黒の胡椒をお土産に、インドラチョーク両側に は生活用品雑貨を所狭し、と、積み上げた店が並び買い物客で一杯、金物、真鍮の器などが目立つ、さながらカ トマンズのアメ横と言った所か、興味深々にぶらぶらとこんな所を経て旧王宮のあるダルバール広場へ寺院、博 物館、寺院の有る一帯は入場料がいる、いかにも年代を感じさせる建物が並び、軒下で行者(サドゥー)と思しき 人が瞑想したり、話し込んだり、通りすがりの人に声をかけたりしている前を通って庭の奥のほうに進むと、細か な木彫りで飾られて中庭を四方から囲む形で建てられた「クマリの館」と言うのがあって、中庭に入って暫くすると 二階の窓から「女神クマリの化身」と言われる濃い化粧に着飾った少女が一瞬顔を出した、すかさず写真を撮ろう としたが、制止させられて残念、それにしてもなんとも不思議な人生を歩まされる人もいるもんだ、今の日本では信じられないな、そんな感慨を抱いて門をでた。 祭りの日には生贄にされる牛の血で真っ赤に染まると言う広場を通り、旧王宮をあとに。 観光では体験できない通り、カトマンズの人々が日常使う裏通りの喫茶店?で飲みなれたレモンティーで休憩、 嘗てダワ・ヌルが通った学校があった、ナムチェの様な遠くからこの様な学校に通わせる、シェルパ族の教育に対 する姿勢が覗える。 タヒチ・チョークの近くの、スィガー・ストゥーバの門前の紅茶店で、それぞれにお土産の茶葉を物色、皆沢山買 い込んだ様子、ここからは皆、見馴れた通りを三々五々ホテルへ。 いよいよさよならパーティー、ホテルでの予定だったが、マイクロバスででかけた、名前は忘れたが真白い建物 に入って、日本人が良く使うところか、殆どの客が日本人、食事とショーを楽しむ、 これからトレッキングに向かう グループ、我々のように終えたグループが、先ずは2階でネパール料理の食事、そして、強い地酒(ロキシー)とそ れを使ったショウ、カワラケのお猪口に高いところに上げたピュータから注ぐ妙技、明かりを消して手につけたロキ シーをライターの火を近づけるとほのかに青い炎が燃える、酒度の高い事を・・。 3階に上って、今度は他のグループとも一緒にロキシーをチビリちびりやりながら、民族舞踊の観賞、2,3人ず つ交代で衣装を変えながら、昔の生活を表現しているのか・・・・、それにしても街中では見かけない美人ぞろい、 中央アジアの、シルクロード地方の容貌と雰囲気の・・・・。 ロキシーが美味しかったのでボーイに買って帰れるかと聞いたら、門外不出とか、例のガイドに裏交渉を頼んで みると、ミネラルウォーターならOKとか、交渉成立ペットボトルに1リットルで1000ルピー、しめしめ。是ですべて 手持ちのルピーを消費したことになり、いよいよネパールともお別れ、ホテルに戻り、翌1時まで仮眠。 |
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