ヨーロッパ・アルプス 孤高の女王 マッターホルン(4478M)を登る! |
||||
【期日】2013年7月29日(月)〜8月14日((水) 【メンバー】 N.K 他1名(外部) 【内 容】 マッターホルンに登頂でき最高でした。 アイガーには登れませんでしたが、メンヒ、アイガートレイル、ベルナー三山を見ながらの花いっぱいハイキングなど、晴天の中楽しく素晴らしい自然を満喫しました。百聞は一見にしかず、ぜひ、アルプスの雄大な自然をご覧ください。 |
||||
【コース・記録】 | ||||
月 日 | 項 目 | 到着 | 出発 | 内容 |
7/29日 | 成田空港 | 22:30 | QR805 | |
7/30日 | ドーハ | 03:30 | 08:55 | QR49 |
ジュネーブ | 14;35 | |||
サース・フェー | 19:30 | |||
7/31日 | 8:02 | ハイキング | ||
バス停 | 8;42 | 9:04 | 岩登り | |
登山口 | 9:37 | |||
アルマゲーロ小屋 | 2:30 | 3:33 | 岩登り | |
8/ 1日 | 4:40 | 縦走 | ||
ワイスミース登頂 | 9:55 | |||
ホーサース小屋 | 11:16 | |||
ワイスミース小屋 | 5:20 | |||
8/ 2日 | 起床・朝食 | 4:15 | ||
取りつき | 6:00 | 岩登り総合練習 | ||
イエ(ラ)ギホルン登頂 | 11:20 | |||
サースフェーバス停 | ||||
8/ 3日 | 起床 | 6:00 | ||
8/ 4日 | サースフェー | 7:30 | ||
ヘルンリ小屋 | 13:50 | |||
マッターホルン試登 | 15:00 | |||
ヘルンリ小屋 | 18:30 | |||
8/ 5日 | 4:29 | |||
マッターホルン登頂!! | ||||
8/ 6日 | ヘルンリ小屋 | |||
シュバルツゼー | ||||
ツエルマット | ||||
サースフェー | ||||
5:00 | 食事 | |||
8/ 7日 | 休息 | |||
8/ 8日 | 移動日 | |||
グリンデルワルド | ||||
ホテル ベルデア・エデン | ||||
8/ 9日 | アイガーに登れず、休息日 | |||
8/10日 | メンヒ登頂 | |||
8/11日 | アイガー・トレイル | 北壁下トレイル | ||
8/12日 | ハイキング | フリストからブッスアルプ | ||
8/13日 | グリンデルワルド | 10:19 | 帰国日 | |
インターラーケン ・オスト | 11:00 | |||
ベルン | ||||
チュ−リッヒ空港 | 15:40 | |||
ドーハ | 22:40 | |||
8/14日 | 01:50 | |||
成田空港 | 17:50 | |||
: 7月31日 | ||||
※山行インデックスのページに戻る | ||||
☆出発まで 雪と氷の山モンブラン。ヨーロッパアルプスの最高峰モンブラン。この山に登りたい!と去年思い立ち登頂した。その時、ツエルマットまで足をのばし、ヘルンリ小屋からマッターホルンの取りつきに行ったのが運命?か。この岩山の頂点に登り、そこからの景色を見てみたい、と、とんでもないことを考えた。 その後、日本に帰り、山友が「モンブラン納涼会」と称して、打ち上げ祝勝兼の飲み会を開いてくれた。 私の話を摘みとして、山友と飲み話す、その山友仲間の会に、「練馬山の会」のK氏も来てくれた。彼女は、私の話が終わるや否や、「久保さん、来年私もマッターホルンにご一緒させて。石坂ガイドと登りたい!」と話を持ちかけてきた。私は一瞬驚き、躊躇した。 だってガイドは重要。彼は渡したくない。「石坂ガイドは私ということで了解なら。」との約束で、その場で、話は着いた。その二〜三日後、K氏から「友達がもう一人行きたいと言っているけど、どう?」との連絡!「ウ〜ン。」(嫌だ!嫌だ!このお喋り!)ともいえず・・・・。人数が多くなればなるほど、登頂の確率は低くなる。小回りが利かなくなる。状況に応じての対応が難しくなる。いいことないのに・・、と思ったが、断り切れず参加者が一人増えた。三人は何かと不経済なので、山友達Mに声をかけ誘い、四人で行くことになった。 それから皆で何度か学習会を開き、情報交換等をした。日和田の岩山でのクライミング、冬山の谷川岳、C.D学習、トレーニング山行もした。各自でも、メニューを決め、必要なトレーニングを、出来うる限り行っていた。 年が明けて、二〇一三年五月末。突然、K氏のヒマラヤでの疲労遭難の悲報が届き私達3人は愕然とした。 重苦しい空気の中、気を取り直し、各自、練習に励んだ。七月の出発間際に、そのK氏が誘った友達のmさんから、練習の岩山で、「足の膝をうち、怪我して、緊急に骨の手術をすることになった。ごめん行けなくなった。」と連絡が入る。「エエッ!」ショック!でも、彼女が一番心折れてることだろう。メールの文面も沈んで重かった。計画の中心は私で、一応リーダーだ。 頼みのK氏がなくなり、次に事故でmさんか。サブがいなくなりすべてを私がするのは嫌だったが、もうしょうがない。悪い空気の連鎖はこの辺で断ち切ろう。 七月二十九日、出発の日。この日成田の出発ロビーに元気に立てたのは、私とMさんの二人だった。 ☆7月29日(月)成田空港出発〜7月30日(火)ジュネーブ空港へ 二十二時成田発、カタール航空でドーハまで。私の預け荷物は二十一キロあった。午後、十時二十五分離陸。現地時間ドーハ四時着。出発まで空港で買い物、口紅購入。Mさんはカメラ購入。ドーハ発八時五十五分。ジュネーブ空港着、懐かしい小さな空港。石坂ガイドと、ルカが出迎えてくれた。イタリア人ガイドのルカの車で、シャモニーを目指す。 途中、シャモニーに、石坂さんの荷物をとりによるとのこと。ついでに、Mさんにシャモニーを見せてあげることが出来る。ここで、ルカに変わり、マルコ(ルカの友だち)に会う。三日間練習登山のMさんのガイドということだ。ルカはお父さんの具合が悪く,亡くなる前に一目会っておきたいということだった。 ツエルマットで、木の実のアイスクリームを食べ少し休憩をして、街のメインストリートをぶらぶらした。去年来た場所なのとても懐かしい。郵便局、レストラン、バス停、パルマ銅像、何も変わっていない。でも、去年より騒々しい。町の中心の川で、川遊びなのか、カヌーで下っていく人々を発見。面白そうだなーと思わずシャツッターを切る。 一路、サースフェーにマルコの車で向かう。 サースフェー着。ホテルは「ホテル・ドミノ」だ。かわいい、感じのよいホテルだ。明日の打ち合わせをして、6時に夕食の約束をした。美味しい店で、ピザ・サラダ・ラクレット等、たっぷりイタリア料理を食べた。通訳兼注文はマルコがしていた。なぜなら、ドイツ語だからだ。 |